翌昼、アラシはすみれとタクシーで、弦巻の家へ戻ろうとしていた。

式の後、新婚旅行もしないふたりに、のばらと祖父母が高級ホテルのスイート一泊をプレゼントしてくれたのだ。せっかくの気持ちだからとありがたく受けた。

アラシにしても、すみれとの初めての夜はのばらと同じ屋根の下でない方が気は楽だった。式を終えるまですみれに触れなかったのは、アラシなりのけじめでもあった。贈ってくれたのばらにも祝いはもちろんだが、似たような思いがあったのではないだろうか。


「もう少しゆっくりしてもよかったな」
「だっておばあさまが用意してくださった部屋、まだ私も見てないんだもの。待ちきれないわ」

お土産のスイーツを膝に乗せたすみれの顔は昨日までとは違う。彼と結ばれ妻となった自信と艶が加わって見とれるくらいだ。

「たけぞのさん？」
我に返ったアラシはすみれに苦笑いしてみせる。
「自分も竹園だろう？　竹園すみれ」

ついさっき、ホテルを出た足でそろって役所に婚姻届けを提出してきたばかりだ。真っ赤になったすみれがうろうろと眼をさまよわせる。

「えっと、じゃあなんて呼べば」
「名前でいいさ」
「あ、あ、あら」
「アラアラアラ」

「もうっ」
「早く呼べって」
「……アラ、シ、さん？」

アラシの耳に『アラシ』とのばらが呼ぶ声が重なった。姉妹のくせに似ていないようで、妙なところが似ていたりする。声ではなくアクセントとか抑揚とか、微妙すぎて驚かされてしまう。これも、罰か。

「変？」
「いや。いいんじゃないか」
「はい」

微笑むすみれは自分には過ぎた妻だ。守らなくてはと決意を新たにする。それがのばらの願いでもあるのだから。


「そういや、のばらはいつ渡米するんだ」
「三月って」
「おおざっぱすぎないか、それ」
笑うアラシの横ですみれが眉をしかめた。

「いろいろ忙しくて、いつ聞いてもはっきり応えてくれなかったわ、そういえば。卒業式と結婚式が終わったら、ってそればっかり」

もしかして。アラシの胸を予感がよぎる。
予感は家に着くと現実になった。


「ただいま」

玄関から駆け込んだすみれを、祖父母や使用人たちが喜んで迎える。そこにのばらがいないのをアラシはすでに見て取っていた。
祖父の視線が告げること。

「のばらは？　おみやげ買ってきたのよ」

アラシはすみれに寄り添い、肩を抱いた。祖母が静かに言った。
「アメリカへ、発ったわ」

すみれの手からスイーツの箱がパシャっと落ちる。
「嘘。聞いてない」
「お別れは昨日すませてる、もう泣くのは嫌だからって。あなたたちに手紙よ」

渡されたメッセージカードは短かった。

『　私の帰る家をふたりで守ってね。　未来永劫愛してるわ。
　　行ってきます。　　のばら　』

達筆な文字にすみれの涙が落ちる。

「笑って見送るつもりだったのに。ひどい」
「無理だろ。もう泣いてる」
「のばらのせいよ」
「さよならじゃない。帰ってくるさ」

『愛してる』　と　『行ってきます』　に込められた想いは優しく、厳しい。
託されたのはすみれと、使命。

「ここを守ろう、ふたりで」

アラシの腕によりかかりながら、うつむいてうなずくすみれ。
どちらともなく窓を振り仰ぐ。

のばらが飛んでいくだろう春の空は、明るくかすんで遠かった。