辛くなかったはずがない。

アラシの顔を見るたび、声を聞くたび、心はひまわりのように彼へともたげた。あきらめた想いが息を吹き返しそうになる。自分の心なのに思うようにならなくて苦しかった。

だからといって決めたことを翻そうとは思わなかった。のばらは固い決意で大車輪を回すように事態を転がし、すみれとアラシの結婚までこぎつけた。荒技ではあったが一晩としてはかなりの成果だと思う。

すみれを手放し、抱きしめるアラシをみつめる。泣き叫ぶ自分の声が頭蓋骨に跳ね返って聞こえたが、望んだのは自分だ。自分が仕掛けた結果だと思えば耐えられた。耐えてみせる。決意を新たにしたイブだった。


さらに二ヶ月とちょっと、のばらは馬車馬のように走り続けた。すみれのためのウェディングドレス、ケーキ、花束にご馳走。考えることは山ほどあった。

式は家の庭にある古い四阿あずまや　で行うことになった。家族だけの式だ。雨ならリビングでいいとすみれもアラシもこだわらなかった。かなり古くなっている四阿の修理と式次第は祖父に頼んだ。ぶつぶつ言いながらも実は喜んで祖父は引き受けてくれた。

実家とは縁を切っているらしいアラシだが、紺野という編集者だけは招きたいと言われた。長く世話になり懇意にもしているそうだ。彼にもそんな人がいたのかとのばらはホッとした。それから自分を笑った。バカね、もう自分が心配することじゃないのに。

アラシとすみれのために空いていた部屋のひとつを改装するのは祖母に任せた。すみれの希望を聞きキヨとも相談しながら出入りの大工に指示をする。祖母は生き生きと使命にいそしんだ。

家族が増える喜びと変化への期待が家全体を包んで活気を呼ぶ。のばらは何かにつけては相談と称してアラシを家に招き、祖父母やキヨたち使用人とも親しくなるよう図った。自分がいなくなったら彼を頼りにしてもらわなくては。

自分の準備も怠らなかった。教授に、やっぱり留学できるだろうかと相談したのはイブの前のことだ。その後、決まっていた就職先へ申し訳ないがと断りを入れ、教授の薦める留学先から書類をとりよせパスポートを申請する。卒論の仕上げもおろそかにはできない。眼が回るほど忙しい日々だったが決して立ち止まらなかった。立ち止まることを自分に許さなかった。


毎日毎晩、すみれと話した。これまで以上に色々なことを話した。たくさんの思い出、ささいな笑い話、辛かった出来事、これほど話すことはきっともうない。姉妹だけの世界が終わろうとしているのをどちらも痛いほど感じながら、だからこそ一時一時が大切だった。

一方でアラシとは別れを告げて以来、ふたりで会うこともふたりだけで話すこともなかった。そういう状況をのばらは意図的に避けた。選んだ道に持つべきは責任で未練はいらない。すみれと彼が結ばれ、自分が旅立つその日まで。

昼間は楽だった。やりたいことやるべきこと、やらねばならないことが次から次とあったから。辛いのは夜、目覚めた時だ。どれだけ自分を律しても、眠りは人を無防備にする。思い出が隙をついてこぼれだし溢れだし、指の先まで、身体の芯まで煽りたてる。のばらの中の女が疼いた。疼いて求めた。

恋しくて恋しくて恋しくて。
アラシが恋しくて。
泣きたくて。

でも泣けなかった。涙をこぼせば一晩中泣き明かしてしまう。朝になったら必ずすみれにばれる。すみれだけじゃない、祖父母やキヨや、三日とおかずに訪れるアラシにまで伝わりかねない。だから泣かずにつらい夜をのばらはしのいだ。朝ご飯の席ではいつもどおり笑ってみせた。

だって私はのばら。
野に咲くたくましいばらだから。

自分の名前にこんなに助けられるなんて。名付けた両親に珍しく感謝したくなったり、そんな話をアラシとしたのを思い出してダメダメと封印したりもした。

ありがたいことに時は流れる。
止めようにも止めようがなく時は進む。

アラシとすみれの式は、のばらの卒業式の翌日だった。