変な男だと思った。

女を逆上させた割りには構わぬ身なりだ。ジーンズに破れたシャツ。髪は伸ばし放題。うなじで無造作にくくった紐はビニールテープときている。なのにさまになるなんて。

帳場に近づいたのばらが差し出す本を、受けとった掌は大きかった。骨ばった節々、中指の第一関節にあるのはペンだこに見える。タコができるほど何を書くというのか。

のばらは本から手を引いた。自分の中で動き始めた好奇心に驚いたのだ。なんてこと、知りたいと思ってる？　女を泣かせて笑ってるろくでなしのことを？　男はのばらの渡した本を膝でもてあそんでいる。


「これを？」
「取り置きして欲しいの。あとでお金を持ってくるから」
「さすがだな。耳をそろえてか」

値札を見ながらそう言われて、のばらの頬がきまり悪げに染まった。

「申し訳ないけど分割にしてくれる？　なるべく早く払い終えるようにするから」

眼を丸くした男がハッと笑い声をあげた。目尻にくしゃっとしわができる。幾つだろう。のばらよりかなり年上に違いない。

「意外だ」
「何が」
「お高くとまったお嬢さんが分割とは」

「お嬢さんが裕福とはかぎらないでしょ」
「貧乏なのか」
「極端ね。天国と地獄の間に人の世はあるのよ」

ククッとまた笑う。やだこの人、色気がだだ漏れで困っちゃう。

「いいねあんた。理想とは違うが、いい」
「理想？」
「こっちの話だ。負けてやろう」
「折角だけど。分割にしてくれればちゃんと払うわよ」

「どうして」
「払うだけの価値があるもの」
「本にか」
「贈る人によ」

のばらの返答を男はおもしろそうに受け止め、くだんの本を帳場の後ろの棚に置いた。

「あんた、名前は」
「どうしてあなたに教えなきゃならないの」
「誰に取り置きしろっていうんだ」
「あら」
広告を切っただけの裏紙と、どうみても手で削ったらしい鉛筆を渡される。勘違いに決まり悪くなりながら仕方なく名前と連絡先を記入した。

「弦巻つるまき　のばら？　すごい名前だな」
「大きなお世話よ」
「とんがるな。ほめてるんだって」
受け取った紙を本に挟みこむ彼の、口調が優しくなる。

「生まれたての赤ん坊に名付けるのは種に名付けるのと一緒だろ。どんな花が咲くのかわかりゃしない。咲いてみたらぜんぜん似合わなかったりする」
「何が言いたいの」
「あんたの親御さんはぴったりの名前をつけたな。たいしたもんだ」

皮肉かと思ったが本心らしい。
のばらは戸惑った。

両親にまつわることでいい思い出なんてないのに、言われてみれば確かに子どもの名前だけはぴったりだった。名前だけね。いまいましさを問いかけでのばらはごまかそうとした。

「あなたは」
「ああ？」
「あなたはなんてつけられたの、名前」
「興味あるのか」

からかい気味の声で面白そうに言われてムッとする。知りたくなんかないわよと言いたいけれど言えない。

「いいからなんて？」
「アラシ」
「アラシ？」
「ぴったりだろ」

ニヤリと笑う目尻にまたできるしわ。人を食ったような笑みとのアンバランスさに感じる、ものすごい引力。嘘よ、こんなのってあり得ない。


のばらはまだ知らなかった。つかみどころのないアラシという名の男の、がむしゃらに理想を求める自由奔放な生き方を。