彩芽が選んだ「オーソドックス」なレストランはフレンチだった。初めての店だ。少し気の張る、でも張りすぎない雰囲気は悪くない。グラスワインを頼んでいる彩芽の姿が壁紙やテーブルクロスにも調和している。楽しんでいたら怪しまれてしまった。


「何？　どこか変？」
「いや」
「クリーニングのタグがついてるとか？」

こういう反応をされるのは、日頃からかいすぎるせいかもしれない。首を捩よじ　って確かめようとする彼女の、耳元からうなじ、鎖骨のラインまで綺麗に見せつけられる。わかっててやってるのか、こいつ。


「何もついてないって。ただ」
「ただ？」
「良い眺めだと思ってさ。ワンピース、似合ってる」

片耳に光るふたりそろいのピアスは言うに及ばずだ。猫だましにあった猫みたいに、ぱちぱちと瞬きしてから彩芽がみるみる赤面する。


「……なっ、ばっ、どっ、いっ」

なにをばかなどうしていま、と訳せばそんなところか。笑いをこらえる右生に、今度はムッとしている。忙しい奴だ。


前菜が運ばれてコースが始まった。右生は美味ければ文句のない方で、批評や蘊蓄うんちく　は言わない。色々しゃべる彩芽もあくまで感想のみだ。

「これ何かな。ソースの酸っぱいの。バルサミコ？」
「あ、水菜みっけ。こっちは人参だ」
「仔羊ってほんと柔らかいよねー」

返事はしてもしなくてもいい。してもしなくても彼女はしゃべっている。自然にできあがったふたりのリズムは呼吸のようで、気楽だ。


彩芽はしゃべるとき手も動く。熱が入るとなんとか自分の考えを伝えようとして、箸はもちろんフォークナイフも置き両手を使って夢中でしゃべる。彼女の気持ちをもっとも代弁するのは豊かなその表情なのだが。

右生はあえて黙っている。そうした手指のおしゃべりも実は気に入っているからだ。懸命に羽ばたこうとするひな鳥の翼を思わせる。見過ごしがちな小さなことが人の個性を作っている、そんなことを思う。


メインディッシュも終えて残りはデザートのみになった。量は多くなくてもゆっくり時間をかけると知らぬ間にお腹はいっぱいだ。彩芽が満足げにふぅと息を吐く。


「食べ過ぎちゃった」
「デザート入るのか」
「それは別腹」
「太るぞ」
「またそういうことを。ここのデザート美味しいんだよ……来た！」

右生の後ろを見遣って小さく叫んだ。そんなに興奮しなくてもと苦笑したが、周囲のざわめきに気づいて肩越しにふりかえった。


５，６人連なってやってくるスタッフの、１人目はケーキを、２人目が火をともしたキャンドルを捧げ持っている。後ろにも数人。薄暗い店内でユラユラ揺れる炎がすこぶる人目を引く。何事だ？

小さなローソクも添えられた美しいデコレーションのケーキは、予想を覆して彩芽でなく、右生の前に置かれた。


「お誕生日おめでとうございます」
「………は？」

まさしく鳩に豆鉄砲。右生はぽかんとスタッフを見上げた。誕生日？　記憶の遙か彼方へ追いやっていた事実をようやく認識する。そうか、９月末。たった今まで思い出しもしなかった。眼を戻せば彩芽の顔。

キャンドルを持ったスタッフが進み出て、ケーキのろうそくに火を移す。定番の歌を最後だけハミングする彩芽の声。

「ハッピーバースデー、トゥー」


ろうそくの炎にキラキラきらめく彼女の瞳。初めから企んでたのか。
かすれたソプラノに名前を囁かれ、ぞくぞくと這い上がってくる快感。

「右生」


キング、あんたは正しい。
彼女はいつまでもサプライズだ。俺にとって。


待ち構えられて仕方なくふーっと炎を吹き消すと、スタッフはもちろん周囲からも拍手が起きた。照れくさいったらない。薄暗い店内に顔見知りがいませんようにと祈ったそこで。


「チーフ、おめでとうございます」

聞き覚えのある声と共に、ほのかな照明を吹き飛ばす鮮やかな花束が現れた。まあ、と再び周囲がざわめき注目される。花ももちろんだが、右生が驚いたのはそれを届けた人物だ。見下ろしてくるスーツの美形。


「秋津。何してる」
「何って仕事にきまってるっしょ。エヘン。柚池さまよりお花のお届けです。シンデレラパッケージのご利用まことにありがとうございます」
「何だって？」

彩芽のいかにも悪戯っ子な表情と秋津のやったぜという顔に、驚きと悔しさと否定できない嬉しさが、右生の胸でシェイクされ溢れこぼれた。


秋津　周あきつ　あまね　はエスコートのバイトスタッフだ。四年制大学の２回生。面接採用したのが右生だったこともあり、よくなついている。

仕事の性質上、容姿にも一定ラインを求めるエスコートはイケメンぞろいだが、性格までイケメンとは限らない。気むずかしいとかルーズとかオタクとか。秋津は真面目にそつなくこなすタイプだが今夜ばかりは違う。しぶしぶ出した右生の腕に大きな花束を渡す彼は、面白くてしょうがないそんな顔だ。言葉も砕けっぱなし。


「いやー、彩芽さんじきじきにご指名もらって嬉しくて。チーフに届け物なんて二度とないかもって。すっごい楽しみにしてきたんすよ」
「おまえね」
「チーフもやっぱデートの時はあまーい顔すね。さっきのびっくり顔とかプレミアもんす。別人っすよ。写メりゃよかった」
「馬鹿。消えろ」

悪意はないだろうが右生にとっては脱力のみ。とっととお引き取り願いたいのに彩芽が引き留める。


「秋津くん無理言ってごめんね。ありがとう」

両手をあわせ拝まれて秋津はとんでもないと首を振った。


「彩芽さんに頼まれたらタダでもやるって奴いっぱいっすよー？　俺、役得っす。いつでも言って欲しいっす」
「……あ・き・つ？」
「わ、はいっ。消えまっす。えーっとどうもお騒がせしました〜」

右生の不穏な空気を察知するや秋津はとっとと退散した。営業スマイルをにこやかに振りまき頭を下げていくあたりが手慣れている。美形の愛嬌に周りの客まで楽しげだった。



切り分けられたケーキとデザートプレート、それにコーヒーが運ばれてきた。カシスソースでくるまれたレアチーズケーキは見た目も美しく味は言うまでもない。果実の素直な甘さは右生の好みだ。

ようやく戻った静けさの中、右生は改めて手元の花をじっくり見た。


「おまえらしいな」

彩芽が眼を丸くする。


「あたしが作ったってわかるの？」
「ああ」

様々な種類・色・形にも関わらず人が作る以上、花にも作る人の個性がおのずと出るものだ。花屋で花を運ぶ仕事をしていると数に埋もれ、どれだけ綺麗な花束も時に同じに見えたりするが、右生の目が留まる花束は不思議と彩芽のものが多かった。

今夜、彼女があつらえた右生のための花は、サンダーソニア。エスコートに携わるようになって運ぶ花の名前は頭に叩き込むようにしてきた。今、すらすらと名前が出るのはその賜物だ。

花の形は提灯やほおずきを思わせる。すっと細く伸びた薄緑色の茎と竹みたいな細い葉は、花のふくらみといい対比だ。青みの強い薄紫のペーパーに包まれた花束は、弓なりにしなるオレンジ色した灯火のようだった。


「シンプルでストレート。いいな」
「そう？　気に入ってくれた？」
「ああ」

ためらいのない肯定を聞いて、彩芽が嬉しげに頬を染める。


「良かった」
「俺が出かけてから作りに行ったのか」
「えへへ」

思えば八月のあの日から企んでいたわけだ。オーソドックスが聞いて呆れる。時間をひねり出すための苦肉の策か。こういうことだけ知恵がまわる彼女。前もそうだった。


「やっぱり。花言葉とかあるわけ？」
「……そんなの気にしなくていいの」

同じ記憶だろう、苦笑してコーヒーを口に運ぶ彩芽。テーブルに置かれた片方の手を握りしめると、カップ越しに眼が丸く見開く。


「祝ってもらうのは２度目だな。サンキュ」
「……うん」
「やってもらってばかりか」

「あたしが楽しんでるの」
「楽しい？」
「花も店もプレゼントもデートコースも。この一月、考えるだけで凄く楽しかった。ありがと」

してもらったのはこっちだろうにこいつときたら。


握りしめた手を口元に引き寄せ指先に口づける。短く丸く切られた彼女の爪、綺麗な桜色のパールは右生が塗ったものだ。その事実に満足している自分が可笑しい。


「右生ってば」

赤くなった彩芽は周囲の視線を気にしている。散々目立つことをやって今更だろう。右生が笑い出すと仕方なさげに、それでも手は引き抜かず右生に預けたまま彩芽が囁いた。


「帰ろっか」
「そうだな」

帰ろう。俺たちの部屋に。
握った手を離すことなく、右生はコーヒーの残りをぐいと飲み干した。





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