場内が明るくなるや右生の腕をつかみ、彩芽は外へと猛ダッシュした。恥ずかしくて居られたもんじゃない。前後左右にはもろばれだ。内心の絶叫まで聞こえていたかもしれない。

ホストだったからか元々の性格なのか、彼は時々ところ構わずキスやハグをしてくる。そのたびオタオタする彩芽。慣れろと言われても平然と受け止めるなんて、無理。


「彩芽、もういい、んじゃないか」

悪目立ちしたくなくて競歩並みの早足を数分。後ろからの声にようやく彩芽の足が止まる。頭を抱えてしゃがみこんだ。


「……ぁああああ！」
「おい、大丈夫か」
「大丈夫じゃなあああい！」

のぞき込んでくる彼をぎっとにらみあげる。


「あんなところで堂々とするから！」
「しょうがねえじゃん。したかったし」
「したかったってね」
「気持ちよかったろ」

通りすがる人がトンデモな会話にギョッと見返る。


「っ、こっこっこっこのおおお」
「コケコッコ？」
「すけべ！　色魔！」
「そこまで言うか？　キスくらいで」

「ほう、キスねえ」
「だから場所を……え？え？　きっきっきっ」
「キス？」
「キ、ングぅ〜！？」

突然現れたのはキングだった。嘘？　ほんと？　どこぞのお笑い芸人みたいに彩芽は絶句してしまう。


「な、んで」
「俺が居たからって驚くことはあるまい」
「びっくり仰天だ」

右生がぼそっと突っ込む。


「それはこっちさ。路上で喧嘩か。大道芸でもやってるのかと思ったぞ」

彩芽は改めて周りを見た。少なくない人通りだというのに、蛇行する川のごとく自分たちを避よ　ける流れ。行きすぎる誰もがなんだろうと振り向いている。うわあああ。穴を掘って隠れたい心境だが、出来たとしてもさらに目立つだけだ。右生の厚顔がこういうときはありがたい。


「ほっとけ。どうせキングはひとり優雅に散策だろうが」
「そう思うか？」

少しだけ背をかがめ、からかうように問いかけたキングの、どこか何かがいつもと違った。やけに楽しげな。


「……もしかして、デート？」

思ったそのままを口にした彩芽に、彼のヒゲと口角がニヤッと吊り上がる。胡散臭げに見ていた右生がちっと舌打ちする。


「まさかだろ彩芽」
「だって」
「デートはするかもしれないが、わざわざこんな人波で？　キングが？」
「そう、かなあ」

面白そうに笑って歩道の端に寄ったキングは煙草を取り出した。


「吸うか？」

差し出された右生が一本取り出せば入れ替わりに火が現れる。手品のように滑らかな動作。一つの火で煙草をふかすふたりの男。ぽけーっと見とれていた彩芽は周囲のざわめきで我に返る。


「ねえねえあれ見て」
「うわ、レベル高そう」
「かっこいい。なになに、どっかのモデル？」
「俳優でいなかったっけ。右のヒゲの人、渋い〜」
「左の若い方がイケてるって」

放っておくと人だかりになりそうだ。せっかく会ったのだからお茶でもしようか。彩芽の意識はそこで、キングが取り出したものに吸い寄せられた。喧噪をよそに、路上に灰を落とす右生をキングがたしなめている。


「めんどくせえ」
「エチケットだろう。灰皿持ってないのか？　仕事中どうする」
「エスコート中は禁煙。決まってるだろ」

あっさり言い切る右生をキングが注視する。


「移動中も同じく。届ける商品に何かあったら大変だ」
「そりゃそうだな」
「代わりに、スタッフルームは喫煙室つき。待機中はＯＫ」
「なるほど」

右生の説明を彩芽が補足する。


「エスコートのバイトスタッフって煙草吸う人多くて。ほんとは終日禁煙にしたいんだけど、チーフがこれだから」
「吸えない時は吸わないんだから。勘弁しろ」

プンとそっぽを向き右生は煙草の残りをくわえる。聞こえないように彩芽は声を潜めた。


「……キング。その灰皿、どこの？」
「どこってブランドか？」
「素敵なデザイン」
「……むこうの、新しくできた店に入ってるぞ」
「ほんとっ？　あ、でも」

示された方角とまだ煙草を吸っている右生を交互に見て彩芽が悩む。キングは訳知り顔で耳元に何か囁いた。ギョッと目を剥きあわてまくる彼女にクスクス笑うと、すぐそこのオープンカフェをあごで指す。


「１５分くらいならひきうける」
「お、ねがいします！」

直立不動になってお辞儀した彩芽は、右生の背中に叫んだ。


「右生、キングと１０分待ってて！　どうしても買いたいものがあるの！」
「はあ？　っておい！」

後も見ず駆け出した彩芽を、右生は唖然と見送るしかなかった。



おいおい、オーソドックスはどうした。
ぼうっとしてたら指先を焼かれて、右生は吸い殻をとり落とす。

「アチッ」
「……捨てるなって」

律儀に拾い灰皿に入れながら、キングが右生を促した。


「こっちだ」
「どっち？」
「待ってればすぐ来るさ」
「……あんたは彩芽に甘い」
「そりゃおまえだろう」


仕方なくキングとテーブルをはさんだ。右生はブレンド、キングはエスプレッソ。オープンカフェなので、煙草が吸えるのがせめてもだ。


「どこ行ったんだあいつ」
「言ったじゃないか。買いたいものがあるって」
「一緒に行ってやるのに」
「ほお」

尻上がりの語尾がからかい半分で、右生はキングをにらむ。


「なんだよ」
「おまえが自ら買い物につきあうなんて、聞いたことなかったな昔は」

かつての上司はこれだからやりにくい。


「あいつの買い物は見てて退屈しないから」
「どこが」
「そうだな、まず色でピックアップする。それから形で取捨して最後に思い入れで決定か」
「思い入れ？」

「論理的なようで、結局気持ちが決め手になるんだ。そのせいで振り出しに戻ることもある。最終的に全く別の物を選んだりもする。笑えるぜ。動きも表情もまるで子ども向けのクレイアニメだ」

ククッとキングが喉の奥を鳴らす。


「相変わらずおまえにとって彼女はサプライズだな」
「なんだそれ」
「何にしろ、退屈しないのはいい」
「全くだ」

答えてから何か変な気がした。彩芽のことを言ったつもりだが、キングは別の誰かを指しているような。じろじろ観察してもサングラスの彼はいつもと同じにしか見えない。


「なあ」
「なんだ」
「デート、じゃない、よな？」

口元まで持って行ったエスプレッソが一瞬止まったが、笑みが深くなっただけ。聞いても無駄かと、短くなった煙草を灰皿に押しつぶして右生は椅子にのけぞった。相変わらずお釈迦様は右生の理解を超える。勝てないよなあ。

エスプレッソを飲み干したキングは、通りがかった店員を呼び止める。


「アイスのオレンジティーをひとつ」
「かしこまりました」

書き加えられた伝票がパタンと置かれる。店員を見送ってから右生は聞いた。


「まだ飲むのか？」
「俺のじゃない」
「じゃあ誰の」

聞き終える前にキョロキョロしながら彩芽が現れた。後ろ手にチラッと見えた小さなロゴ入りの紙袋が買い物だろう。ふたりをみつけてほっとした顔になる。


「ごめん、待たせて」
「たいして待ってないさ」

答えつつ立ち上がったキングの携帯に、点滅する光。


「キング？」
「もう行く。久しぶりに会えてよかった。右生？」
「何だよ」
「エスコートシステム、作るんだろう？」

突然飛んだ話題に、右生が渋面を作る。


「ちぇっ、ボスだな」
「お手並み拝見」
「見てろ」
「見てるさずっと。彩芽、また来月」
「あ、ありがとうキング」

自分の椅子に彩芽を座らせたキングは、丁度店員が持ってきたグラスをその前に置かせると、笑ってその場を離れていった。見送ったふたりが気づいたのはその後だ。


「ねえ伝票は？」
「げ、やられた」

相変わらずの彼は三人分まとめて払って店を出たようだ。汗の引かない彩芽の前には涼しげなオレンジティー。みつめるふたりからため息と一緒に漏れる言葉。


「キングってほんと、キングだよね」
「つくづく頭に来る」
「右生ったら」

また煙草を取り出す彼に苦笑して彩芽はストローをそっと含んだ。欲しいものを欲しいときに、スマートな手際はいかにも彼だ。渇いた喉をすうっと流れ落ちていくアイスティーとキングを、彩芽は心から賞賛した。



その頃、彼は連れと合流していた。


「すっごい美味しかったの！　パフェにケーキにゼリーにそれからね」

興奮気味にさえずるのはショーコ。細い身体で幾つ平らげたやら。


「あんたは食べ過ぎよぉ。夕食もご馳走だって言い聞かせてるのにぃ。でも美味しかったわぁ。さすがヒデの花丸、キングも行ければ良かったのにねぇ」

これはエヴァ。ふたりの後ろにはアダムの疲れ気味の顔もあった。

今日はヒデおすすめの店巡りだ。当のヒデが忙しくてこられなくなったのがイマイチだが、ショーコとエヴァのふたりでも威力は十二分。アダムは強引に加わったクチだが、彼が居てくれたほうが都合はいい。たとえば今みたいに、急な用事で時間を取られた時とか。

スイーツだろうと甘味だろうとエヴァが行くところならアダムは躊躇しない。躊躇はしないが甘い物と女性ばかりのスイーツバイキングにはさすがにげんなりしたようだ。自分なら食べずともゆっくり楽しむのだが。


「腹ごなしに少し歩きましょぉ。買い物よぉ！」
「買い物！」
「……ラジャー」

ショーコとエヴァの意気がさらにあがる。アダムの意気は下がる。エヴァは買い物も長いだろう。キングは苦笑をこらえる。


「今度はキングもつきあってくれる？」
「似合いそうなのをみつくろってやろう」
「やったー」

「あたしもよねぇ？ねぇ？」
「……なんでそんなに元気なんだか」

がっくりするアダムの肩を叩き、とびはねていく二人の後をキングはゆったり楽しげに歩き出す。


こんな自分をあのふたりは想像もしないだろう。
そう思うだけでキングはまた笑いがこぼれるのだった。





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