思ったよりも時間がかかってしまった。

携帯の時刻表示をにらみながら、彩芽は人を縫っていた。脳裏には右生の仏頂面がどアップだ。まずいやばいまずいなー。あれだけ念押しされて遅れるなんて。今日は怒らせたくないのに。

生憎、路上は人が多い時間帯だ。たっぷり幅のある歩道にどこからと思うほど湧いて出た人波が右往左往。彩芽の行く手をことごとく遮ってくれる。まるで障害物競走。四苦八苦しながら進んでようやく、向こうに交差点が見えた。間に合いそう。


「彩芽？」

立ち止まったのは声にというより気配にだった。はらりと掠める髪。レン？　ふりむくとレンじゃないがよく似た髪。見覚えのある顔。


「……ケイ？」
「やっぱり彩芽」
「ほんとに？　わあ！」

とびついた彩芽に少し驚いたケイが、笑みを含んだ声で囁く。


「こらこら。抱きつくなんて大胆になったね」

甘い声音。以前と同じようでどこか違う顔が見下ろしてくる。右生やキング、レンと比べれば低いが、彩芽にすればしっかり見上げねばならない体格だ。


「変わらなくて嬉しいよ。元気そうだし」
「Man　Hall　は毎月行くのに会ったことないね、考えてみれば」
「キングがそう配慮してるんだと思うよ。中途半端に繋がりを持たないように」

言われて初めてわかる気遣い。キングもケイも大人だ。いたずらっぽく笑う彼に以前にはなかった余裕を感じる。


「とはいえキングも偶然までは阻止できない」
「そんなことできたら神様じゃない」
「まあ、当たらずとも遠からず？」

吹き出した彩芽の笑いを楽しげに受け止める表情が。

「レンに、似てきたね」

丸くなったケイの眼が柔和に弧を描く。そんなところまで。


「こないだキングにも言われたよ」
「あ、ごめん。イヤかな」
「まさか。まだまだ足りないのはわかってるけど、少しでもレンに近づいたと思ってもらえるなら、僕にとってはこの上ない賛辞さ」
「……ケイらしいね」

仲間とも厳しく競り合う仕事にあって、ケイは不思議なくらい他人ひと　と自分を比べることがなかった。マイペース。言うのは簡単だが、卑屈にならず羨まずに向上心を保ち続けるのはたやすいことではない。

携帯が鳴ってぎょっとした。この着メロ。まずい。腕時計をみればとっくに待ち合わせ時間を過ぎている。うわ。
「彩芽？」
ストレートの髪を傾けるケイに作り笑いしながら、あわてて電話に出る。


「右生？　ごめん！ちょっと」
『ちょっとだ？　早く来て待ってるって言わなかったか？』

ああ怒ってる。あたりまえだけどまずいよ。彩芽の顔がひきつる。


「ごめんなさい！　あのね」
「それ、彼？」

楽しげに目を輝かせるケイ。そんなに喜ばないでよーと叫びたい心境だ。あれ、向こうが沈黙？


「えっと、右生？」
『……どこにいるんだ』
心なしかさらに声が低まったような。
「今？　グリーンライフの前、だけど」

言いながらさらに焦る。すぐそこなのに。ケイが少し気遣わしげに聞く。
「彩芽？　大丈夫？」

『待ってろ』
「へ？　右…」

プツッと切れた。通話時間を示す表示を茫然と眺める彩芽。ケイものぞきこんでくる。


「切れちゃった？」
「う、ん」
「怒ってたとか」
「うん？　ううん」
「近くにいるの、彼」
「うーん」

生返事の彩芽。その向こうをケイは見晴るかす。


「来た」
「は？　……あ」

振り向いた彩芽にも見えた。ずんずんずん。アニメならＢＧＭつきで登場する敵ロボットか。険悪な雰囲気をまき散らし人をかき分けてくる彼。いくらなんでも。


「怖すぎじゃない？　そりゃ待たせたのは悪いけど」
「わかってないね彩芽」
「え？」

「まあそれがいいのかな」
「ケイ？　わけわかんない」
「いいから」

ケイは手を挙げた。立ち止まった右生の眉がぐいと吊り上がる。威嚇の顔つきがケイを認めると驚きに変わった。面白いくらいの変化だ。再び歩き出した彼からは危機感が消えている。


「ケイ、か」
「久しぶりだね右生」
「なんでおまえが」
「たまたま彩芽を見かけて引き留めちゃったんだ。怒らないでよ。僕のせいだから」

ケイと彩芽を往復する右生の顔に怒りはないが疲れはあった。彩芽に腐る。


「ケイがいるって先に言えよ」
「だって右生が怒ってるから」
「怒るだろうが。絶対って言ったくせに」
「だからそれはケイに会って」
「はいはいそこまで」

割って入られ彩芽も右生もバツが悪くて眼をそらす。ケイは吹き出すのを堪えながら話題を変えようとしてくれる。


「で？　どこか行くところ？」
「あ」

彩芽はあわてて時刻を確かめる。


「よかった。間に合う」
「何？」
「映画だとさ」

「へえ。そういえば一緒に住んでるんじゃなかった？」
「ああ」
「なのに待ち合わせて映画？」

ケイの問いはもっともだが、ほらみろと言わんばかりの右生の顔つきが癪に障って、つい彩芽は口走る。


「しょうがないでしょ。準備がいろいろ……っと」
やばい。


「準備？」
「何の」

同時に突っ込んでくる。結託してるんだろうかこの人たち。そんなわけはないと自分をなだめて彩芽は言いつくろおうとする。


「女の子の準備ったら決まってるでしょ。どう？」

ここは強気でいくしかない。ぐいとあごを挙げどうだとモデルばりのポーズをとった、つもりだが。二人を前にすると気恥ずかしさに負けそうだ。


久しぶりのドレスアップ。流行りでなくオーソドックスを心がけた。ノースリーブで膝丈のワンピースはラメを含んだ銀色。急に涼しくなったので身頃の短いボレロは長袖だ。透き通るほど薄い生地がふんわりふくらみ銀のカフスで締めてある。

ストッキングもパールがかった銀色。腿の後ろから足首までスワロフスキーがきらめく。白のヒールはおろしたて。しげしげと眺めたケイが褒めてくれる。


「うんいいね。見違えたもの」
「嘘ばっかり。すぐわかったくせに」

笑いながら返すと真面目に首がふられた。


「違ったらどうしようってためらったんだよ。そういう声してなかった？」
「ほんと？」
「口のうまさに磨きがかかったじゃないかケイ。彩芽でも乗せられそうだ」

右生の毒舌にがっくりくる。ケイが苦笑いだ。


「右生はせっかくのテクニックもさび付いたらしいね。女性はほめれば褒めるほど綺麗になる。キングの口癖忘れたの？」
「ふん」

「まさか、釣った魚にエサはやらないなんて思ってる？」
「そりゃ彩芽だろ。エサがほしいのはこっちだ」
「えー？　やだそんなの。あたしだってエサが欲しい！」

自ら釣られた魚と認めた彩芽を男ふたりがまじまじと見返る。ケイがぶっと吹き出し、右生は空を仰いで深いため息になってしまった。


「変、かな」
「いっ、や、彩芽らしくていいよ」
「……なんでこんな話になったんだ」
「だから……あー！　映画！」

あっという間に１０分前だ。


「右生！　行かなきゃ」
「面倒くせ。予定変更しねえ？」
「だめだって。チケット買っちゃったし」

腕組みした右生は駄々をこねる気満々か。焦った彩芽がチケットをふりまわすと、さっと取ったケイがにこりと笑う。


「僕と行こうか。これ見たかったんだ」
「デバガメってんだよそういうのは」

即座に奪い返したチケットを胸ポケットに突っ込んで、右生はさっさと歩き出した。


「行くぞ。遅れる」
「は？　あ、うん」

変わり身が早すぎてぽけっとしている彩芽に、ケイがそっと耳打ちした。


「譲る気はないみたい。急いで」

含み笑いのケイと見交わす視線。右生が呼ぶ。


「早くしろ」
「ありがと！　ケイ、またね」
「楽しんでおいで」

礼を言ってすぐ追いついた彩芽の、頭越しに右生が叫んだ。


「ケーイ！　とっととレンを追い越しちまえよー！」

驚いた。ろくに話もしなかったのに右生はケイの成長を見逃さず、さらにハッパをかけたのだ。ふりむけばケイのさっきまでとは比べものにならぬ嬉しそうな顔。らしくない勢いで手を振っている。


「ああ、やるよ！」

昔からこうだったかな。競うだけじゃなくて育てることもできる人だったろうか。自分に向けられたわけでもない言葉が、こんなにも自分を惹きつけてしまうなんて。　狡い。


「ほら、急げ」

さしのべられる手。これは確かに自分に向けられたものだ。


「転ぶなよ」
「そんなこと言われても、あたしヒール」
「問答無用」
「きゃー待って」

ふたりは格好もかまわず、ダッシュで映画館へと突っ走った。





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