陽は中天から矢を放つ。
締め切ってあるカーテンの隙間から光が刺さる。

鎌首をもたげるようにそれを見たあと、右生は煙草をもみ消した。眠り込んでいる彼女を起こさないように気をつけながら、そっとベッドから抜け出す。
ザッとシャワーを浴びてから着替える。なるべく音は立てない慣れた仕草。だけどやっぱり眼を覚ます彼女。これもいつものとおり。

「もうお昼？」
「ああ。帰る」
「近々誰かの誕生日とかない？　大丈夫？」
右生より年上に見える彼女は、ウェーブのかかった栗色の髪をかき上げる。豊かな胸が毛布からのぞくのを隠そうともしない。

「ああ。来月までは特に」
右生も気にもとめない。
「そう」
淡々としたその視線を受け止めて、彼女がフッと笑う。

「あなたも」
「なんだよ」
「いい加減に自分をどうするのか、少しは考えれば？」
「どういう意味だ？」
「今のままで満足なの？」
「なんだよ。ＮＯ．１めざせって？」
右生が口の端を歪めて笑う。
「それもひとつだけど…いいわ。このままで文句があるわけじゃないし」
「ならいいだろ」　言い切る口調が少し強い。
「またな」
「ええ」

あっさりと背を向けて去っていく姿。彼女の微笑はドアが閉まると、少し翳った。
「つかまらないわね。誰にも」
小さくつぶやくともう一度毛布をかぶって横たわる。さっきまでそこにいた姿を思い浮かべながら。



二重セキュリティの高層マンションを飛び出した右生は太陽を睨んだ。まったく。なんでこんなに天気がいいんだか。左右を眺めて、気分で右へ折れた。
どっちへ行っても同じ。繰り返しで過ぎていく毎日。特に文句もない。
喜びも悲しみもどこかへ置いてきた気がしていた。


ちょっと小腹が空いた。コンビニでサンドイッチを買って、近くの公園で食べることにする。結構広くて木陰も多いところ。ＯＬやらサラリーマンも昼食を取っている。ベンチはいっぱいなので、奥まった場所の植え込みの蔭に座った。
サンドイッチをかじって、炭酸飲料で流し込む。味なんてどうでもいい。詰めるだけ。そんな食べ方だから速攻で終わる。煙草を吸いながらボーっと宙をみあげた。

確かまだ、梅雨は明けてないはずだよな。仁義を知らない太陽が夏の刃を剥いている。日射しはどうも苦手だ。うっとおしい。いつのまにかランチタイムを過ぎた公園は、人の波も遠く引いて無駄な空間だけ溢れさせる。
そこに似合う自分も無駄かな。
腰を上げた。


自分の部屋に帰り着くと、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。ごくごくと喉を鳴らして飲みおえ、そのままベッドに身を投げ出した。空のペットボトルは床に落ちるだけ。夜までの時間は眠りで貪ることにする。ずぶずぶと意識を沈み込ませて。


携帯の音に目が覚めた右生。店からじゃない。誰だ？
ボーっとした頭でとりあえず出てみる。
「もしもし」
「あっ…あのっ…」

細い女の子の声がした。覚めない思考回路。
「…誰」
「あなた…右生？」
えーっと。どこかでキャッチした奴だろうか。声に聞き覚えがない。
「ごめん。誰だっけ」
わからないことは聞くに限る。無理してキャッチする気のない余裕。
「あ…やめ」

あやめ？　
あやめ。　　…「あやめ」か。

目が覚めた。埋没させていた名前を掘り出して砂を払う。
かかってくるとはね。

「覚えてないんだ？」
声は静かに怒りを帯びかけている。
「いや。かけてきてくれたのが意外でさ。ゲームする気になったんだ？」
「ま、まだよ。こないだのあなたの説明じゃなにもわからないんだもの」
話が通じたのはいいが早合点されてもこまる。
そういう焦りが滲む声。
「で？」
右生は立ち上がりながら促す。
「もう少しちゃんと説明して欲しいんだけど。…駄目？」
「いいよ。店に来るなら」
「お店？」　唸る気配。でもお構いなし。
「当然。連絡くれたってことは興味あるんだろ？　鬱は抜けたんだし」
うっと口ごもる相手。携帯の向こうで赤くなってるような。おもしろい奴。

「いつ来る？」
「え？　あ。…いつならいいの？」
「そりゃお客さんなんだからそっちの都合次第だけど、水曜日がベストだね」
「明日？」
「客が結構少ないから。俺の自由が利きやすいし、それに…」
なんだか違和感を覚えた右生は言葉を途切れさせる。これじゃ客じゃなくて身内にしゃべってるみたいだ。いくらゲームの相手とはいえ。
「…じゃあ、明日行く」
「ＯＫ」

それで切ってしまったのは、いいかげんに面倒な気がしたから。
あまり人と話すことが少ない右生だ。それでよくホストが務まるなと言われるが、しゃべればいいというものでもない。自己主張が強い奴ばかりの中で、いまいち押しも欲も出そうとしない右生を逆に好む客も多いのだった。
ふっと時計に落ちた視線。
「やっべぇ。遅刻する」
遅刻はそのまま給料に響く。結構うるさく言われる。
あわててシャワーを浴びに走った。キングに話を通すかと思いながら。


Man　Hall　のオーナー兼支配人は「キング」と呼ばれる。浮き沈みの激しい繁華街ですでに１０年、店を高いレベルで維持している。それは称賛に値することであり、「キング・アーサー」はいろいろな意味で名の通った男だった。

店のホストの誰よりも背が高くしなやかな体つき。まだ４０かそこらだという噂。はずすことのないサングラスと短いひげがトレードマーク。図太さと華麗さが同居する不思議さ。今でもホストを差し置いて、キング目当てにやってくる客がいるくらいだ。


あせったわりに余裕を持って店に入った右生は、仕度をすませるとキングの部屋を訪れた。ノックに答える低くて響く声。
「右生か。入れ」
「失礼します」
部屋の中はシンプルだが極上の家具類。それがキングらしい。
「どうした」
「悪いけど、またゲームを始めるかもしれない」
帳簿に眼を通していたキングの手が止まった。サングラスを通してもなお強いまなざし。

「Loverがいたのか？」
「明日、来てみないとわからないけどな」
どこかいい加減な口調の右生を鼻で笑って、また帳簿に戻る。
「４ヶ月、５ヶ月ぶりか？　もうやらないのかと思ってたぞ」
「そのつもりだったんだけど。ついさ」
「つい？」
「馬鹿な奴がいたから」
その口調はまるで、自分が馬鹿だと言うようだ。

「まあいい。明日来るんだな？」
「あやめって娘。２度目だ」
「わかった。自信はあるんだろうな」
「負けたことあったっけ」
「確かにな。おまえの客がまたうるさくなる」
時計を見上げて右生は立ち上がった。
「やればね。じゃ、よろしく」

右生が部屋を出た後で、キングはひとりごちた。
「負けてわかることもあるんだがな」
サングラスに隠れた視線の先は右生の消えたドア。そこに小さく開いている窓はマジックミラーで店内が見える。忙しく歩き回るホスト達。


開店に向けて、Man　Hall　には活気があふれていた。