水曜日。Man　Hall　はどちらかというと人が少ない。ホスト達もどことなくのんびりまったりしている。そこへLady到着の知らせが入る。

案内されて来たのは、彩芽だった。
自分一人で再びここを訪れるなんて思っても見なかった。夢の中を歩くようだったこの間。改めて現実として来ても、やっぱりここは掛け値なしだ。ソファ。絨毯。壁。照明。さりげなく使われているそれら全てが高級品に違いない。細かな部分までMan　Hall　は行き届いていた。

「２度目ですね。来てくださって嬉しいですよ」
案内してくれた彼は確かタカヤという名だったと思う。
「あの・・」
「指名はまだでしたよね」
「えっとその。右生を呼んで欲しくて」
彩芽の言葉に、タカヤがピタッと動きを止めた。
「右生？」
「ええ」
「…あなたは…Wednesday　Lover？」
「は？」
何を聞かれたのかわからない。
「違うよな、ピアスだって・・・」
口ごもりながらタカヤが顔を赤らめる。
「あの？」
「失礼しました。右生ですね。お待ち下さい」
タカヤは彩芽を席へ案内するとすぐ、お辞儀をして去っていった。

『　Wednesday　Lover　』
そのまま訳すと　『水曜日の恋人』？
どういう意味なんだろう。そういえば今日は水曜日だけど。

一人で残されたことに緊張しながら、さっきのタカヤの言葉を考えていたら、音もなく目の前に現れた人。絨毯だから足音がしないのだと気づく。
こないだの朝以来、彩芽の脳裏に焼き付いた顔。
「ようこそ、Man　Hall　へ」
にっこり微笑む右生は、まさしく夢の続きを思わせた。


気づくと右生の隣にもう一人いる。右生より背の高い男性。ずっと大人の雰囲気。でもどこか似てる気もする。
「紹介するよ。Man　Hall　のオーナー兼支配人。キング・アーサー」
アーサー王？
眼を丸くして見上げる彩芽の手を取ると、サングラスの彼は腰を屈め優雅にその甲に口づける。驚きと恥ずかしさで真っ赤になった彩芽を見て愛嬌のある口元をほころばせた。

「ようこそ、彩芽さん。２度目だそうですね。私は留守だったようで。失礼しました。またおいでくださって嬉しいですよ」
「あ、い、いえ」
「彼と…ゲームをするとか？」
ギクッとする。
「いえ、それは、まだ」
「まあ、ゆっくり考えて。彼とのゲームは難しいですから」
その笑みは謎めいている。
「火傷しないように」

そう言うとキングは優雅に会釈して行ってしまった。いつのまにか隣に座った右生を彩芽は改めて見直す。逢うのは３度目か。最初の夜と次の朝、そして今夜。印象は変わらない。銀色の黒ヒョウ。耳のピアスが星。
「来ないかと思ってたよ」
「…うん。やめようって思ったんだけど」
「でも来たんだ？　別によかったのに」
暗にやめろと言われているような。
「よほどすごいゲームなの？」　さっきのキングの口振りが。
「さぁてね。それはそっち次第」
それからやっと、右生は説明を始めたのだった。


「Wednesday　Lover？」
さっきも聞いた言葉が繰り返される。
「そう。それがゲームの名前であり、ゲームをやっている間の君の符号にもなる」
「符…号？」
しなやかな長い指がゆっくりと水割りを作る。
その手つき。
「まず。ゲームだから勝ち負けがある。当然お互いに賭けるものがないとね」
彩芽は身構えた。
「こっちが賭けるのは、まあホストクラブだから。このクラブでの指名権と、俺自身かな」
「どういう…」
「君が勝てばこれから３ヶ月。結果として無料ただ　で　Man　Hall　で遊べる。俺を相手に」
瞠目する彩芽。
「君が賭けるのは、君自身と…君のお金」
「…は？」
「持ってるんだろ、６００万」
ギョッとした。なんで知って？
「ほんとに覚えてないんだな。自分で言ったんだぜ。この前」


最初に逢った夜。たまたま隣が右生だけになった時に彩芽はしゃべったらしい。自分の秘密を。
『あたしねー。お金持ちなんだよ』
『へえ。いいとこのお嬢さん？』
右生はおもしろそうに聞いたとか。
『ううん。あたしが貯めたの。へへー』
『お金持ちって言うほど貯めたのか？』
『う〜ん、そう』
『どれくらい？』
『６００万』
さすがに右生の眼が閃いたかもしれない。
『何年で？』
『４年。親元にいたからねー』
『でもすごいね。貯めるの趣味なんだ？』
『まさかぁ。自分のためだったら無理だったよ』
『自分のためじゃなく？　ふーん…彼のため？』


ホントに馬鹿だ。自分に舌打ちしたい気分。
同時に彩芽はようやくわかった気がした。あの夜、右生が自分にからんだわけ。それからゲームに誘うわけ。単純なことだ。
お金を持ってるから。
その事実は彩芽を落ち着かせると共に、同じくらいがっかりさせた。感情が顔に出たんだろう。右生が言葉を足してくる。
「早まるなよ。別に無理矢理お金を巻き上げるわけじゃない。君が勝てば、お金はそのまま君のものだ」
その言葉にも疑わしげな彩芽に苦笑する右生。
「キングが約束すれば、その辺の警察よりも確かだよ」
「キング？」
「ああ。このゲームは店がからむからね。君のお金についての約束はキングが保証人だ」
カランとマドラーで氷をかき混ぜて右生はグラスを差し出した。手品のような手つきで。

「もちろん、無料って言っても四六時中なわけじゃない。それじゃこっちが困るからね。君は毎週水曜日に俺を指名できる。開店から閉店まで客としてここで遊べる。閉店後、翌日の開店前までは…俺の恋人になれる」

その意味は。

「期間は３ヶ月。決して延長はない。君は必ず水曜日にやってきて、俺を指名すること。それが権利であり義務だ。あとはお互い楽しめばいいだけ」
「勝ち負けって…どうやって決めるの？」
それがなにより肝心だろう。聞くだけならものすごくうまい話に聞こえる。
「あわてるなよ」
スッと伸ばされた彼の指が彩芽の髪に触れる。思わず退く体。
「こないだ、俺が言ったことは覚えてる？」

忘れようったって忘れられない言葉だ。
『気持ちじゃなくて、体から恋を始められるかどうか。試してみれば？』

「…覚えてる」
「無理だって言ったよな」念を押すように聞いてくる右生。
「うん」
「それが勝負」
「え？」
「体から恋ができるかどうか。３ヶ月の間に、そっちが俺に惚れれば俺の勝ち。惚れなければ君の勝ち」
「そ…んなことなの？」
「そう。どう？」
「そんなのー。気持ちなんて、どうやって判断するの？」
「ここはホストクラブだからね。勝敗はレディー任せなのさ」
「つまり？」
「君が俺に『好き』と言うか、言わずに３ヶ月過ぎるか」
「それでいいの？」
彩芽が信じられないという顔になる。それじゃどう考えても、女性が有利じゃないだろうか。

「３ヶ月過ぎて。君が勝てばお金は払う必要はない。ただし、ゲームも終了だから俺たちはそれきり。店にも２度と来ないこと。それが条件」
右生は綺麗な笑みを浮かべて言う。
「その辺は俺のプライドもあるからさ」
それはそうだろう。第一自分だって来る度胸はない。
「じゃあ、もしあたしが負けたら…お金の取られ損？」
右生がクスクス笑う。

「ここで遊ぶなら取られ損ってことはないと思うけど。どっちにしろ、君は俺と３ヶ月限定の恋人関係を楽しめるわけだし。俺の勝ちなら、その後も店に来てくれてかまわない。但し普通の指名客としてだけどね。でも優遇はするよ」
得なのか損なのか。頭がぐるぐるする。

「考えようだろ。君にとってその６００万ってのは今は、あんまり嬉しくもない、でも捨てるには大金過ぎる。貯めるの大変だったんだろ。こないだ使い道を探してたよな。なら厄落としだって思ったら？ろくでもない男への未練をふっきるための」

ムッとしながらもその時、彩芽の脳裏に浮かんだのは手紙だった。
『３ヶ月後に彼女と結婚するから。』
流れる黒髪が目の前をかすめる。心が痛い。これは確かに未練。
３ヶ月後。全てを笑い飛ばせるようになるんだろうか。このままではあまりにも哀しい自分。６００万分の時間。

考え込む彩芽をよそに右生はカラカラとグラスを玩もてあそ　んでいる。耳に光るピアスがほんとに綺麗だ。ＮＯ．２ほどの人気ホストの彼が。
「いつも。こんなゲームをやってるの？」
不意に疑問が浮かんだ。そうだ。さっきタカヤが。それにキングも。
知ってるのは当然だろう。店がらみのゲーム。　ってことは。
「たまにね」　涼しい顔。
「…何回？」
「そうだな…５回やったかな」
「勝敗は？」
向けてきた眼の色で答えがわかった。透明なガラスみたいに感情のない色。

「負けたことないけど」

こんな条件で、みんなそれでも「好き」って告白してるのか。彼に。言い換えればそれだけ魅力的ってことだ。
彩芽は自らを危ぶんだ。体から始まる恋なんて信じてない。信じてないけど、そう言いながらここまで説明を求めに来てる自分。
もしかしたら。

彩芽のためらいなど知らぬげに、右生は続ける。
「長くもったことないんだ。みんな２ヶ月経たないうちに、告ってくれちゃってさ」
口の端に浮かべる笑み。
「金額って決まってるの？　いつも」
「いや。金はあんまり問題じゃないし。でもそうだな。一桁上の奴もいたかな、そういえば」
どうしよう。それじゃホントにお金の取られ損？　でも。わかっててそうしてるのだ、前にゲームをやった人だって。
「あんまり早過ぎるのも悪いから。残り１ヶ月は指名客として優先して相手してたんだけどね」
それで相殺になるのかどうか。

「この前はいつだったの？」
「５ヶ月位前」
「そんなに？」
「もうやめようかと思ってた」
「…ならどうして？」
「さあ」
組んだ足に頬杖ついて、右生が彩芽を見る。
「負けず嫌いはそそるんだよね」
そそるのはあなたの眼でしょ、と突っ込みたかった。要するに負けず嫌いで、お金を持ってるから？　そんな理由？

もしここで「気に入ったから」とか言われていたら、彩芽はやめたかもしれなかった。自分が覚束なくて。でも。

彼の読みは当たっていた。負けず嫌いで無鉄砲な性格。
どう考えてもこっちに分がありそうな条件。なのに２ヶ月もたない、そういうシチュエイションと。認めたくはなくても彼に惹かれていたから。
気づいたら言ってしまっていたのだ。

「やるわ、そのゲーム」

右生がニヤッと笑った。
獲物を射程内に捉えたヒョウのように。

「ＯＫ。 今夜から、君は俺の　Wednesday　Lover　だ…」