店内は魔法のお城そのままだった。ふかふかの絨毯。天井にシャンデリア。落ち着いた壁紙の上には、アールヌーボー風の絵がいくつか。
贅沢そうなソファが一面に広がるそこに、姫ならぬお客と、騎士ならぬホストが優雅にさざめいているというのが第一印象。
「二人ともこちらへ」

案内されるままにソファの間を抜けて、その一角の舞台に導かれたが、やっぱり自分には分不相応な気がして。落ち着かない。
「せ、先輩〜」
心細そうな彩芽に、理恵子はカラカラと笑う。豪快だ。
「何死にそうな声だしてるの。面接試験に来てるんじゃないのよ。ここはクラブ。あなたとあたしはお客。お金払うんだから、威張ってなさい」
それはそうだが。

思う間に一人のホストが現れた。綺麗な肩までの茶髪と甘いマスク。柔らかな微笑が印象的だなと思う。理恵子が声をかけた。
「アキラ。ごめんね、ちょっとご無沙汰して」
「もう忘れられたかと思ったよ」
アキラと呼ばれた彼は、差し出された理恵子の手に軽くキスしながら茶目っ気をこめて睨んだ。ドキッとする仕草だが、理恵子はあっさり流している。
「しょうがないのよ。繁忙期に入っちゃうとね。あ、この子」
理恵子が彩芽を振り返る。アキラも頷いて彼女を見た。
「彩芽ちゃんって言うんだってね。Man　Hallへようこそ。俺はアキラ。理恵子のご指名だからよろしく」

ここの人たちは毎日笑顔の訓練をしてるんだろうか。それくらい見事に微笑む。それこそクラッとしそうに魅惑的。
でも彩芽は聞き慣れない言葉にとまどった。
「あの…指名って？」
わからないことはその場でさっさと聞くに限る。これは彩芽の処世術。理恵子が説明してくれる。

「大抵のホストクラブはそうなんだけど。お客は何度か来た後に、店のホストの中で一番気に入った人を『指名』するのよ。その人がそのクラブでは専属のエスコート役になるの」
「必ずその人が相手をしてくれるってこと？」
「基本的にはね。アキラみたいに人気のあるホストだと、必ずしもずっとってわけにはいかないけど。でもそれがお約束ってわけ」
「指名したホストが時間がとれないときは、ちゃんとヘルプが入るから」
「ヘルプ？」
「その日限りの助っ人みたいなところかな。それで別のホストとも知り合いになれるって喜ぶ人もいるらしいわよ」
ホストクラブにもいろいろ、約束事があるんだなと感心する。
ってことは。

「あたしみたいに、初めての人は？」
アキラがにっこりする。目の保養だ。
「好みのホストを決めるまでは、自由にできるよ。今日みたいに初めての日は特に、ホストがみんな挨拶にくる。あくまで選ぶのはお客様だから。楽しんでもらえると嬉しいよ」


しばらくしてお酒が運ばれて来る頃から。アキラの言ったとおり、店内のホスト達が入れ替わり立ち替わり現れた。
テル。　ヨウジ。　タカヤ。　マサシ。　ナル。
一体何人いるのか見当もつかない。こんなにたくさん覚えられない。キョロキョロしている彩芽に理恵子が耳打ちした。
「バカ正直に全員覚えなくていいのよ。好みって思ったホストだけチェック入れておきなさい。今日決めなくていいんだから」

なるほど。その言葉にうなづいた彩芽はさらに気がついた。
あくまでも『次があれば』だ。今日は理恵子と来たから入れたけれど。たとえば一人でここに来る勇気なんて自分にあるわけがない。なら今夜限り。真夏じゃなくて梅雨の夜の夢だ。ガラスの靴をもたないシンデレラ。
そう思うとぐっと気が楽になった。
鬱をはらしに遊びに来たんだから。楽しめばいいのよね。うん。


気を楽にして良かったのか悪かったのか。そこから彩芽はいきなりテンションを上げた。もともとそんなにお酒は強くない。でもホスト達はあたりまえだけど勧め上手で。ついついいつもよりペースが速い。お酒と一緒に口も滑りだしたあたりでまた新しい顔が現れた。理恵子が機嫌良く迎えている。
「ユウじゃない。相変わらず余裕ね」
「それは理恵子さんでしょ。相変わらずしゃっきりした美人だ」
的確な表現だと思いつつ彩芽は、ユウと呼ばれたホストに目をやった。

酔った眼に映ったイメージは、銀の輝きを放つ黒ヒョウ。アキラとも、さっき顔を出した店のＮＯ．１だというトオルとも違う。美形ってだけじゃない、なんか危ない鋭さ。隠してる刃物。そんな感じ。彩芽の視線を受けて彼は言った。

「君が彩芽？　Man　Hall　へようこそ。俺はユウ」

その台詞は皆と同じなのに。うかべた微笑みが全然違う。微笑んだというよりも、口を歪めただけ。どこか皮肉っぽい。一歩間違うと小馬鹿にしてるみたいな。でも。確かに魅力的なのだ。悔しいくらい。ユウは店のＮＯ．２らしい。やっぱりと思う。理恵子の言葉が浮かんだ。

『いろいろとりそろえてますって感じかな。』
『レベルって顔だけじゃないのよ。』

実感する。確かにレベルが高いんだろう。お客の扱いもすごく丁寧で優しいし。話術もうまい。現れるホストはどれもこれも、個性たっぷりの美形。でも千差万別。その中で彩芽を一番とらえたのが、ユウの皮肉っぽい歪めた笑顔だったのは暗示だったのだろうか。



２時間後。彩芽はかなり酔っていた。お客を楽しませることにかけては、天下一品の彼らの話術。彩芽ごときは何の苦労もなく、天国の気分にさせてくれる。甘やかし、慰め、持ち上げ、ほめそやし。それはすごく気持ちよくて。快感で。うっとり乗せられて饒舌になり酒もすすむ。
時間が遅くなるほど店内は立て込んでくる。こういう店はそういうものなんだろう。指名がかかったホストが、ボツボツと席をはずし、先輩はアキラといい雰囲気だったと思う。

「・・・ねえ、お金の使い道って知ってる？」
どうして聞いたのかわからない。答えてくれたのはユウ。
「何？」
「お金をどーんと使う方法」
「宝石とかブランド品なら簡単だろ」
「残るものは嫌なの」
「海外旅行」
「一人じゃつまんないでしょ」
「食べ歩く」
「だから一人じゃあ」
「なんでそんなに使いたいの？」
彩芽は黙った。
理由はあった。今すぐにでもそのお金を燃やしてしまいたいほどの理由が。どんな顔をしていたのか。ちょうど新しい人が挨拶にのぞいたので、話題は切れた。

「へえ。可愛いね、あやめちゃんって言うんだ」
新しく加わった彼はレンと名乗った。なんだかとても優しい感じ。その上美形。ものすごい美形。長い黒髪が背を覆うほど流れ落ちている。彼を見ているうちに彩芽の中で、押し込んでいた鬱が漏れ出てくるのがわかった。何故こんな時に。こんな楽しんでいるときに？　ううん。わかってる。その綺麗な黒髪。

垣間見た彼女の流れるような黒髪が甦る。

とうとう彩芽は泣き声をあげた。
「せんぱーい、あたしふられたんですよ」
「え？」
ちょっとは予想はしてただろうが、突然泣きついた彩芽に理恵子もびっくりしている。
「４年もつきあってた人に」
「４年？　あなたいくつだっけ？」
ユウがちらっとを見たような。
「２２です」
「１８からずっと？」
アキラが驚いた声になる。

「高校３年の時に知り合って。結婚する約束してたのに」
「婚約ってこと？」
「親は知らないんだけど」　口ごもる彩芽。
「なのに急に彼消えちゃって。探し当てたら、別の彼女がいて。別れてくれだって」
「えー？」
レンが言葉を探している。これだけ聞いたらただの騙された女だろう。そんな彩芽の思考におっかぶせるように。

「永すぎた春の果てに、捨てられたってわけだ」

人を氷河期へ突き落とすような台詞に、その場にいた全員が視線を集中させた。ユウに。唖然として青ざめる彩芽。
「ユウ、そんな言い方は失礼だよ」
レンが眉をあげたしなめる。いつもこうなんだろうか。
「飾らなくても、本人が事実をそう認識してるさ」
図星だ。
「認識してるなら余計に言われたくないんじゃないかしら」
理恵子が軽く睨むとユウは肩をすくめる。こんなところで言い出さなきゃよかった。そうは思っても癪に障って言わずにいられない。

「だから慰めて欲しいのに」
「そいつはろくでもない奴だったのさって？」
その眼は意地悪く踊っている。
「…彼の悪口、言わないでよ」
「ふられてまだ未練なんだ」
口を歪めた嫌な笑い方。
「４年もつきあったんならしょうがないわよ」
これは多分理恵子だったような。
「だからって引きずるよりはさっさと新しい恋でもすれば？　恋愛は長さじゃないし、心が全てじゃないだろうし」
「恋ってね。あたしは今氷河期の、しかもブリザードの真っ只中なのよ。そんな簡単に好きな人なんて」
自慢する事じゃないと彩芽の理性は突っ込んでいる。

「ブリザード脱出なんてすぐさ。好きな人でなくてもいいし」
「どういう意味？」
「必ずしも気持ちは必要ないってこと」
「まずは好きにならなきゃ始まらないでしょ」
「そうとは限らないぜ。もっと簡単な方法もある」
彩芽はやけになっていた。血管をお酒が巡ってもいた。
「そこまで言うなら。その簡単な方法教えてよ」
わずかな気力で睨んだ。一応客なんだから答えは聞かせて欲しい。
ユウはクスッと笑った。何か企んでるに違いない眼だったけれど。低くて柔らかい声はビロードみたいに気持ちよくて。

「いいぜ。じゃ体から始めてみるか？　新しい恋を」


そこで記憶は切れていた。