「そういうわけで、今日はふたりで出かけたんですよ」

週末、白兎家のリビングはさんさんと陽が差し込んでいる。紅茶を置くののに会釈した道江は向かいの温に眼を戻してにっこり笑む。温の隣にののが座り、美羽は道江の隣にいた。うららかな春の日に四人の心もシンクロしている。

「ご一緒されなくて良かったんですか？」
温の問いに道江は首を振る。
「二人で行くことがけじめになると思ったんです」
「さすがですね。一家の長というと父親を指すことが多いですが、私は母親こそ影の長だと感じますよ」

うんうんと満足げにうなずいている温だが、自分の言ってる意味がわかっているのかどうか。美羽はののと密かに目を見交わし笑いをこらえている。それは道江も同じだろうが、そんなそぶりは見せない。

「家族の形も今はいろいろでしょう。それぞれに似合った形を作れればいいんじゃないでしょうか。丈さんもこれからそうして欲しいですわ、美羽さんと」

道江に言われて恥ずかしそうにうつむく美羽を、ののはほほえましく、温は少し寂しく見守る。

「でもほんとに皆さんには感謝しているんです私」
道江は、荷を下ろした人のような安堵を滲ませる。

「主人はずっと、忍さんのことがわだかまっていて、そのくせそれを表に出さなくて。もうずっとあのままかしらと私も諦めかけていたんです。主人だけのことならそれも仕方ないですが、なんといっても丈さんを生んだ人ですから。丈さんが美羽さんと結婚して、たとえば子どもに恵まれた時とか、どうしても思うことはあるでしょう？　許す許さないはともかく、忍さんのことを話せるようになって欲しかったんですよ、できるなら」

道江の言葉に美羽はいろいろと思い合わせることが多かった。こちらを向いた道江がすまなさそうな顔をする。

「ごめんなさいね美羽さん。私が言えなかったことを言わせたあげくに、不安にさせてしまったわ。許してね」
「そんなこと」

「美羽のおっちょこちょいは子どもの頃からですもの」
「そうですよ。この娘は思いつきでぽんぽんと」
尻馬にのった温は妻子から冷たい視線のビームを浴びる。

「……お父さんに言われたくないけど」
「そうよねえ。あなたが一番かき回したくせに。危うく破談よ」
「ぼ、僕が言ったのは結納延期だ。破談なんてとんでもない」

「下手したらなりかねないじゃない」
「何を言う。僕が亀沢さんに意見したからだな…」
大声で主張しかけた温は、道江に気づいてあわあわと口を押さえる。

「そのとおりですわ。白兎さんに言って頂いてほんとに良かった。私じゃ近すぎて駄目だったでしょう。ご縁って不思議ですね。一年前は皆さんの顔も名前も知らなかったのに。今は何年も前から知ってるみたいで」

美羽も温も、ののもうなずく。出逢って織りあう新しい人生模様。

「お式に忍さんの写真は無理かもしれませんけど、美羽さん。丈さんと一緒に必ず顔を見せに行ってあげてくださいね」
「はい」
道江の眼が潤む。さりげなくののが立ち上がる。

「さっき頂いたお菓子、持ってきましょうね。美味しそうよ。美羽手伝って」
「はぁい」
「来週も晴れるといいですな」

知らん顔で話題を変えようとする温に道江はうなづいて目尻を拭いた。
「ほんとですわね」
庭を見晴らす大きなガラス戸を通して遠く、空は春霞だ。



謙介と丈は他県にいた。東京から車で三時間ほどの霊園。一角に忍が眠っている。どちらも墓を訪れるのは初めてだ。


あの日、道江が謙介に言った言葉。

『あなたが丈さんを連れて、会いに行ってあげたらいいわ。少し……相当遅くなってしまったけれど、今からでも叶えてあげられる。きっと喜ぶわよ、忍さんも』


場所は以前から知っていた謙介だが、今までどうしても訪れることができなかった。穏やかならぬ心なら却って、行かない方がいいと信じていたから。

その墓の前に今、丈と二人で立っている。再婚した家族がよく訪れるのだろう、墓は古びた様子もなく綺麗にされていた。墓石を水で清め花を足し線香を立てる。並んで拝んだ。

「忍。これが丈だよ。大きくなってしまってわからないかもしれない。いやわかるか。そこからずっと見ていたんだから」
父が話しかけるのを丈は隣で聞いている。

「なかなか来られなかった。許すと言わない狭量な男を君の方こそ許せなかっただろう。恨んだか？　それとも笑ってるんだろうか」
墓を見つめる謙介の眼は、はるか記憶の中の花嫁を見いだす。

「丈を生んでくれてありがとう。お陰で私はこの年になって新たな出逢いを、家族を得ている。そのことを君に心から感謝したい。ありがとう」

深く頭を垂れた謙介に、丈も倣った。温かな日差しはここにも注ぐ。柔らかい春の風が広い霊園を遊ぶように行きすぎて、新たに供えられたいっぱいの菜の花を揺らして行った。