株式会社　ＬＥＡＰ　の社長・陸見くがみ　は多忙だ。

社長業は概してそう言うものだが、彼の日常はさらに磨きがかかっている。八面六臂を地でいけるほど。しかもそれを楽しんでいた。

仕事もそこから生まれ出る雑事も日常も全て楽しむ。日々の中で摩耗しがちな小さな喜びを見いだし、人と分かち合うことが好きな男だ。

そういうわけで、彼の会社は福利厚生も充実している。特に他社に比べるとぬきんでているのが社員食堂で、社員はもちろん社外からの客も喜ぶほど。



「葵。ここで逢うんは珍しいやん」
「私だってたまには来るわよ。せっかくレストラン顔負けの社食があるっていうのに、なかなか食べられないんだから」
「ほんまやで。勿体ない」

トレーを向かいに置いてぼやく光を葵は疑わしげに見る。


「あなたはいつでも来られるんじゃない？」
「甘いわ。営業の基本は外回り。時間もめちゃくちゃ。昼飯なんてまともやないで？　牛丼や定食ならまだええ。下手したらハンバーガーや」

「あーそれ駄目。美味しくないんだもの」
「忙しいと美味いまずいやのうて腹に入れるんが先なんやて。その点自分は社長と一緒なんやから、ここでのうても豪華やろ」

「そんなわけないでしょ。一介の秘書が」
「葵は最上階やん」
「ペントハウス？　スイートとか？」


知らぬ間に葵は光の関西風つっこみに馴らされつつあるようだ。二人でしゃべり出すと夫婦漫才がエンドレス。注目しながらも周囲は微妙に距離をとっている。なのに。

怖れることのない特攻をかける人物。


「ふたりして今日はランチデートなの？　お邪魔してもいい？」

葵と光がピタリと会話を止めた。聞き耳をたてていた周囲からも一身に視線を受けてニコニコしているのは、これまた社内有名人のひとり。

「美羽。馬鹿なこといわないで。あなたたちじゃあるまいし」
「バカやない。ランチデート、まさしくそうやん」

悦に入る光の前、葵の隣にトレーを置きながら美羽が言う。
「あたしはこんな衆目の中でデートなんて無理。丈さんはともかく」

付け加えられた一言に葵がさもありなんと思ったところへ、光が声を上げる。

「思い出した。カメさん！」
「は？」
「源さん。丈さんが何か？」
丸いテーブルで両側からのぞきこまれて、破願した光。

「ええなぁ。葵とウサコちゃんで両手に花やわ。まさにランチデー……どうどう。葵、待ちぃなって」

さすがだ。テーブルの下で葵が作った拳固を光は手のひらで包み込んだ。あわてて引き抜いた葵の頬が薄く染まる。楽しげに見る光。美羽が無邪気に言う。

「相変わらず仲がいいのね。ふたりがつきあうって聞いた時はびっくりしたけど」
「私だってびっくりしたわよ」
「俺も」
「…お調子者」

美羽と一緒にクスクス笑い出した光。
その靴を葵がテーブルの下、ヒールの先で蹴とばした。



「さっきの。カメさんて亀沢さんでしょ。何かあった？」
「せやそれ。ゆうべ、接待の途中でみかけたんや」
美羽と葵が顔を見合わせる。珍しく来なかった丈の、予定とは。

「１１時くらいに店先で。もう帰るとこやったけど、一人じゃなかったで」
「ふうん？」
「女が、居てた」

少し声を潜めた光のセリフに葵は眉をしかめ、美羽はというときょとんと鳩のように瞬きをくりかえす。沈黙しばし。ニヤニヤしている光にしびれを切らせた葵。今度は力一杯、光の向こうずねを蹴飛ばした。

「たぁっ！　葵、乱暴やなぁ」
「意味深な言い方するからよ。美羽がいるのに」
あわてて美羽が止める。

「平気よ葵。だって。他の人もいたんでしょ？」
言葉の後半は光へ向かって。彼が眼を丸くした。

「なんでわかるん」
「ほんとに二人連れだったら、源さんあたしに言わないと思うから」
「…お見通しやん。女は怖いわ」
光がバツの悪そうな顔をして葵を見る。葵はしかし硬い顔のまま。

「美羽ったらお人よし。この人そんな善人じゃないわよ、たぶん」
含まれる棘はとりあえず無視。笑いでごまかした光は人差し指でメガネをずりあげた。


「ええ女とええ男、３人づれやったで」
「わかりづらい説明ね」
「チラと見ただけや。俺も急いどったし。そやな、長い髪にグリーンのピアスしとる女」

葵と美羽はそれぞれで相手を確信した。思案げに葵が呟く。
「…彼女ならどうして美羽に黙ってたのかしら」
疑問は美羽も同じだろう。


「なんや。知り合いか」
「指輪を、頼んだデザイナーさんかなって」
「へぇ。そういや男は女の連れっぽかったかも」

「どういう関係なのかしらね。丈さんと彼女」
「せやなぁ。なんやろ」

葵は考える。丈に聞くのが手っ取り早いしいつもの美羽なら確実にそうするだろうが。いくら美羽でもちょっと微妙かも知れない。それにしても、横目に見る男のポーカーフェイスが憎らしいこと。余計なことを言わなきゃいいのに。


「そういや」
ああ、何かまた思いついたような。
「ウサコちゃん、バレンタインはどんなんあげたん？　カメさんに」
この時ばかりは葵も一緒に食いついた。

「あたしも聞いてないわ、それ」
「カメさんに聞いたんやけど口割らんから。えらい満足そうやったわ」
「ほんとに？　美羽ってお菓子作りとか得意だったの？」

二人がかりでマシンガン攻撃をくらい、色々な意味でたじろぎながらも美羽はのんびり答える。

「えーっと、ごく普通の」
「普通ってどんなん？　聞かせてぇな」
光がチラリと葵を見ながらさらに聞く。

「実を言うとあたし、お菓子って作ったことなくて」
「あら」
「最初は有名どころのチョコレートを買って贈ろうと思ってたんです」
「へえ？」
「リサーチのつもりで丈さんに聞いたんですよ。好みはって。そしたら」
「そしたら？」

「曰く。『どんなのでもいい。美羽が作ってくれさえすれば』」

相づちが止まり光と葵が目を見交わす。

「そこが最重要ポイントだって、ひたすら力説・主張されちゃって」


葵が眉間を、光がメガネの鼻をそれぞれ指で押さえる。頭痛か眩暈かどちらだろう。
「……で頑張ったわけ？」
葵が気の毒そうに聞くが、美羽の返答は淡々と、楽しげ？

「頑張るって言っても。作ったこともないのにいきなり美味しいのが作れるわけもないし。なら、最重要ポイントだけ押さえればいいかと」
「……えーーっと。つまりどんなんを？」
光が恐る恐るもう一度問う。


「一。　あたしが一番美味しいと思うメーカーの、一番好きな味の板チョコを削る。　二。　湯煎で溶かす。　三。　ハートの型にアーモンドと一緒に流し込んで冷蔵庫で固める」

その先の説明を待っていた光と葵だが、美羽はニッコリと。

「以上です」
「え？　それだけ？」
「はい」
「それってつまり、アーモンドチョコやん？」
「ですね」

「ですねって、美羽」
「そうそう。四が。　固まりきる直前、表面に亀甲の印を入れました」
「きっこう、って」
異口同音に返した二人はカメの甲羅を思い浮かべる。　占い？　そういえば彼女は巫女さんだった。


「最重要ポイントです。あたしが作った証拠。　ね？」

二人の脳裏には、亀甲チョコを口に含んだ丈の、満面の笑み。


ブーッと。
社内で一番有名な一番美形のカップルが、突然吹き出したと思うと腹を抱えて笑い転げては。周囲が退きまくるのも無理はない。今や半径３メートルは無人だ。


「ひゃーっはっは、ひっ、はっ、とっ、止まらんっ」
「おっ、おなかっ。おなかいたっ。美羽ったらぁっ」
「……失礼ですねふたりとも。丈さんはものすごくご満悦だったのに」

すましてお茶をすする美羽に、爆笑が続く。何があろうと丈の浮気だけはあり得まい。無駄に腹筋を鍛えつつ、光も葵もそう納得していた。