カチカチという音で丈は目が覚めた。
　ソファの上。抱えていたはずの美羽がいない。ぼんやり眼を凝らすとダイニングテーブルあたりに赤い灯が見えた。
　火？
　立ち上がって近づくと灰皿でタバコが１本くゆっている。丈の銘柄。椅子に座った美羽がぺたりとテーブルに頭を乗せていた。見覚えのあるライターを弄んで。ガラス玉みたいな眼。


「父がジッポが好きで。明石はずっと憧れてて」
　まっすぐに昇る煙は何を目差しているのか。
「バイト代ためて。初めて自分のために明石が買ったんです。これが使いたくてタバコを吸ったんでしょってみんなにからかわれてた」
「そうか」
「いつも持ってるのを見てたから。手放せなかった」


　カチカチとまた鳴らす。火花は線香花火を思わせる。いつも頭に巻き付けていた三つ編みが背中におちて長い。隣に立って頭をなぜると見上げてくる泣きはらした顔。でも表情はゆるやかだ。引き寄せられて丈はゆっくり身を屈めた。逃げようと思えば逃げられる早さ。どんどん大きく見開かれていく眼にもひるまず、唇を唇で覆った。


　昼間の感触を確かめながら、合わせ目をなぞり隙間から舌を押し込む。優しく。でも昼間より深く容赦なく。逃げる舌を絡めて捕らえて吸い上げた。
　息が途切れて苦しそうな美羽をやっと離す。まだ吐息の届く距離。
「俺とつきあって」


　聞いた言葉を理解するのに十数秒。驚きに染まる眼。薄く上気した頬。
「え」
「聞こえたろ」
「あなたは葵を」
「君がいい」
　そんな簡単にと思いながらも美羽は知っていた。囚われてしまった自分。でも無性に抗いたい。抗うことで確かめたい。


「嘘」
「ほんと」
「あたしは」
「あきらめなさい」
「は？」
「ウサギとカメならカメの勝ち」


　笑うべきか泣くべきか、美羽はなんともいえない顔になる。
「・・・そのウサギに頼ったくせに」
「だから。御利益」
　黙った美羽の眉間の皺を太い指が伸ばす。両手に包まれる頬。囁く声の深さ。


「君と。いきたい」


　眼があった。「生きたい」なのか「行きたい」なのか「逝きたい」なのかはわからないけれど。同じ思いだったから美羽はうなずいた。
　この人と一緒に、いきたい。


　満足げな丈の笑みをすぐ猛々しい欲情がとって変わった。口づけは一転して荒く激しい。探ってくる手で長い三つ編みがほどかれていく。やがて椅子から美羽を抱き上げた丈は寝室のドアを蹴り開けた。

　ベッドに彼女を横たえ身体全部で閉じこめる。窓を叩きつける雨も音も二人を封じ込める鍵になる。互いの瞳に互いが映る。美羽は信じて身を委ねた。丈は全てを奪い全てを受け取った。確かめてもっとわかり合う夜だった。


　翌朝、雨がすっかり上がって朝陽が差し込むシーツの上には、螺旋を描いて広がる髪としっかりつながれた二人の手があった。