トゥルルル。トゥルルル。
固定電話の発信音は久しぶりだ。丈の部屋で受話器を握りしめながら美羽は待つ。
トゥルル・・・チャ。
「はい、白兎でございます」
「お・・・かあさん?」
「あら、美羽? 久しぶりね。あなたちっとも帰ってこないんだから。元気?」
「うん」
母の声は変わらない。昔も今も。
「おかあさん」
どういえばいいのだろう。何から言えば。肩に置かれた丈の手が温かい。
「どうしたの。なにかあった?」
「貴佐ちゃん。結婚するのね」
「ああそうそう。招待状行った? このまえ貴佐ちゃんのおかあさんに」
「明石は貴佐ちゃん好きだったの。知ってた?」
母が黙る。
「さっさと告白しなさいってあたしが言うといつも真っ赤になって怒ってた」
電話の向こうはどんな顔だろう。
「結局言えなかった。言えないままになっちゃった」
明石の顔がうかぶ。
「あたしのせい、なの。あのときバスに乗ったのは」
手をふる明石が遠くなる。
「忘れたレポート取ってきてってあたしが頼んだの。頼まなきゃ明石は大学にいたのに」
「美羽」
「言わなきゃ明石は生きてたのに。貴佐ちゃんに告って。結婚して。赤ちゃん生まれてたかもしれないのに。元気だったかもしれないのに」
「美羽」
「おかあさん。あたしのせいだ。でも。あたしは明石に生きてて欲しかった。ここにいて欲しかったの」
美羽の尖った声がしんとした丈の部屋に響く。それでも美羽は泣いていなかった。横にいるだけの丈は何もできないことが歯がゆくてもどかしい。
「美羽」
母の声がゆっくりと美羽の耳に届いた。
「バカね」
ドクンと美羽の心臓が揺れる。水浸しで息絶えそうな草が光の気配に頭をもたげる。
「あなたのせいだなんて思わない」
ドクンドクンドクン。早鐘のように心臓が打つ。胸が痛い。
「誰も思ってないわ。バカね」
胸が痛い。痛くて痛くて死にそうだ。なのに肩にも背中にも温かい、手のぬくみ。
「おかあさん」
「うん」
「あたし、生きててもいいのかな」
「あたりまえでしょ」
「明石のために?」
「違う」
「明石の代わりに?」
「違う」
「じゃあ」
「美羽」
きっと母の顔はくしゃくしゃだ。心配で。
「明石はいつも言ってたでしょ。みんなが好きだって。父さんも母さんも美羽もカメも。みんな好きだって」
そう。そういう子だった。家族には照れもしないで 『愛してるよー』 が口癖だった。
「明石の人生は短かったけどそれはあなたのせいじゃない。あなたのせいだなんて一度も思ったことない」
美羽の喉元にこみあげてくる固まり。ゆっくりと潤む瞳。あの日から初めて。
「あなたはあなたのために生きなさい。仕事して遊んで人を好きになって傷ついて、生きなさい。あなたの人生なんだから。明石が笑ってるわ。カメよりとろいって」
溢れて落ちる涙で視界がかすむ。横にいる丈の顔が見られない。何度もしゃくりあげ声にならない。
「おか・・・さ・・」
「馬鹿。ずっとそんなこと思ってたの。ほんと馬鹿。お父さんが寂しがってるわ。今度帰って顔見せなさい。わかった? じゃあね」
電話は切れた。ツーツーと空音だけ残る受話器を確かめて丈が戻す。
突然、美羽の喉から吠えるような叫びがほとばしった。
自分の声だとわからなかった。何年分かの涙が、悲鳴が、美羽の中から解き放たれ逃げていく。泣いて泣き続けた。全身全霊を泣くことに捧げた。明石を思って。偲んで。
丈はただ抱きしめ受け止めた。黙ったまま。
|