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第7話 「水族館」




「水族館?」


 丈の誘いに対する美羽の反応は、初めて会いに行った時と同じぐらい驚きに満ちていた。噂は早いし葵に誘われたことは本人から伝わってるはずだ。当初の丈の説明からすれば目的は果たされたことになるのだから、もう声はかけられないと思っていたのだろうか。それを願ってた? 自分の気持ちも相手の気持ちも見えないのは不安だ。わずかな頬の赤さが今の望みの綱だと思うことも。


「ああ。好きだろ?」
「どうして」
「カメ飼ってるぐらいだから」
 安直な答えは受け狙いだったが美羽は真顔で問い返す。
「誘うなら葵でしょうに。食事したんですよね?」
やっぱりそうきたか。
「だから助言が欲しいんだって。週末、車出すから」
 強気が身上、攻めの一手。彼女の当惑を丈は押し切った。





 大きな水族館はいわゆるデートスポット。名が売れてから数年経ち混み具合もほどほど。ゆっくり見られてなかなか良かった。その日の美羽の装いは、柔らかな更紗のワンピースに白いカーディガン。例によって長い三つ編みを頭に巻き付けている。その髪をときほぐしたいと思う衝動はだんだん強くなる。気づけば彼女を、その表情を追いかけている。こんなに誰かを捕らえようと必死になったのは初めてだと思う。


 水のトンネルの上でひらりと身を翻す大きなエイを見てパッと美羽が振り向いた。呼ばれるかと思ったら急に赤面して背中を向ける。議論ならストレートにぶつけてくる彼女が透明な氷の壁の向こうにいるみたいで焦れったい。一緒にイルカのショーを見ていた時だった。天までとどけとばかりに飛び上がったイルカに子どもみたいに歓声を上げた美羽がそのまま、丈に満面の笑みを向けた。ためらうことなく。輝くその笑顔がとどめの一撃だった。


 参った。降参だ。


 微笑み返しながら丈はあっけなく認めた。深い穴に落ちこんで彼女を求めている自分。呆れてはいても嫌じゃない。それどころか心地いいなんてすでに重症だ。





 順路をひととおり巡り終えてふたりは階上にあるカフェで一休みにした。丈がタバコを取り出す。美羽が聞く。
「亀沢さんて好きだって言うわりに吸わないですね」
「よくみてるじゃん」
 ニヤニヤすると横を向いてしまう彼女。


「俺はチェーンスモーカーじゃないから。やめる気になりゃやめられるんだ」
 世の愛煙家から睨まれそうな台詞に美羽がまたつっこんでくる。
「ならやめればいいのに」
「でもさ。たとえば面白いアイディアをプログラムにうまく仕上げた時の一服なんて、たまらないくらいうまい。1ヶ月吸わなくてもいいからあの一瞬だけは吸いたいね」


 なんていいつつ1本くわえた丈だが、急に胸ポケットからジーンズの尻まで捜しまくった挙げ句舌打ちになった。
「忘れた」
「ライター?」
「車だな。しまった」
「諦めれば」
「やだ」
「どうして?」
「すごーくいい気分なんだ。今吸いたい。マッチあるかなここ」


 言い張って腰を浮かせた丈を美羽が引き留めた。バッグを探りながら。
「あります」
「は?」
 差し出されたライターは丈には思いがけなかった。美羽はタバコを吸わないはず。
「どうぞ」


 とりあえず借りて火を点けてからしげしげと眺める。男物のごついジッポ。珍しいわけではないがそれなりの品だ。
「君の・・じゃないよな」
 昔の男なんて言うなよと念じる。返事はあさっての方角だった。
「弟の、形見 です」


 かたみという声は消え入るように擦れた。



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