その後も間をおかず、丈は美羽に「相談」を重ねた。社内食堂だったり終業後の酒だったり、週末だったり。回を重ねるわりに葵についてはあまり聞き出せていなかったが、美羽のせいではなかった。彼女は懸命に話題を葵へ向けるのに、会話は何故か脱線して気づけばお互いのことを話している。たとえば。


　映画の好みは丈がＳＦで外国映画。美羽がシリアスでアジア映画。スポーツならテニスだが丈はやる方で美羽は見る方。食事の好みは丈はこだわらず酒中心。美羽は和食党でしっかり食べる派。音楽は丈が70年代洋楽に対し美羽は現代ニューミュージック。見事なくらい接点がないふたりはしかし、そこを楽しむ術も知っていた。好みを語り主張しあうが相手を否定せず受け入れ面白がる。その姿勢がふたりの共通点でもあった。


　見た目はおとなしそうなのに対等に反論してくる美羽に丈は幾度も舌を巻きながら楽しんだ。そう楽しんでいた。自分の行動が次第に「相談」とは似ても似つかぬものへ変わってることも、さらにそのことが期待以上の早さで目的を引き寄せようとしていることさえも気づいてなかった。


　ウサギ神社に空振りはない。美羽に逢って２週間後のある日、ついに丈は日高　葵に呼び止められたのだ。
「亀沢さん、ちょっと」
　仕事以外で彼女から声をかけられたことがなかった丈は驚いた。
「かねてからのお誘いをお受けしたいんです。明日あたりどうでしょう」





　眼を見開いてる丈に葵はイライラと組んだ腕を指先で叩いた。どうしてこんなに驚くの。計算尽くでしょうに。社長の出張先へ同行して戻ってくれば、丈と美羽の噂で持ちきりの社内。狙いは自分だと直感した葵は美羽にも確かめ経緯を聞いている。なのにこの反応は。
「ご都合悪いのかしら」
　トゲトゲしい声に瞬きして丈は表情を整える。葵のよく知る笑顔へと。


「とんでもない。葵の上から誘われるなんてびっくりしたんだ。２年近くなしのつぶてだったから」
「神頼みがもう効いたかって？」
　ピクリと動く眉間。でもポーカーフェイス。
「効き目はあったわ。御利益は保証できませんけどね。では明日」
「楽しみにしてるよ」


　背中の視線を意識しながら葵は口角を上げた。
　そう、楽しみにしてもらうわ。
　あたかも爪を研ぐ雌ライオンだ。ドライに見えても性格の根っこは母性。大事な物はとことん守り傷つけられることを許さないのが葵だった。





「美羽から離れて」
　一応前置き、世間話はしたもののプライベートの葵の主義は単刀直入。丈と同じ。よく似た思考回路はわかりやすく、そこも気に入ってるはずだった。
　だった？


「聞いてるの？　私がはぐらかし続けたからでしょうけど、まさかあなたが神社詣でするなんてね。信じられない」
　皮肉たっぷり疑いたっぷり。敵愾心の固まりだ。そっけなさや無関心には慣れっこだったが、今まではどれだけつついてもそ知らぬ顔だったのに。
「ふうん」
「何？」
「よっぽど大事なんだな。彼女が」


　友達を守ろうと牙を剥いている葵。理由は理解できる。好ましくも思うが、丈の感情がささくれる。
「そうよ。あなたの魂胆はみえみえ。占いも験かつぎもしないくせに。私を引っ張り出すためだけにしちゃずいぶん頻繁に美羽につきまとってるじゃない」
「つきまとっちゃいない。つきあってはもらってるが嫌がられてはないだろ？」


　美羽本人と話したに違いなかった。口をへの字に曲げたのが肯定ととれた。
「嘘も言ってないし」
「知ってるわ。それはほめてあげる。でも私とのチャンスが目的だったならもう果たされたわけでしょ」
「あのさ」
　遮ってからタバコを取り出すと火を点けた。フーッと思い切り吐いて苛立ちを押さえる。
「俺は信用出来ない男か？」
　同じくメンソールをくわえた葵がライターにかけた指を止める。


「君に対してはしつこかったけど特に嫌な思いはさせてないつもりだ。白兎さんもふつうに楽しんでくれてると思ってた。違うのか？　実は無理につきあってくれたとか？」
　日頃めったに女性には声を荒げない丈が強い口調で怒りを表に出している。葵がらしくもなく口ごもった。


　「違うわよ。あなたのことで美羽は文句なんて言ってない。楽しんでたわ。あの娘にしちゃ珍しいの。いつも相談を隠れ蓑にしてガードを固めてるのに。だから心配なのよ」
　キッと正面からにらみつけてくる。
「美羽にはあたしのことを聞きたいって言ったんでしょ。違うの？　ほんとはあの娘とつきあいたいわけ？」


　驚いたのは丈だった。
　白兎美羽と？　　俺が？


「は。　何を言い出すんだ。つきあうって」
　眼が泳いで言葉がしどろもどろになる。ちょっとまて、俺は日高　葵を追いかけてたはずだ。そうだろう？　なら念願どおり葵を前にして不快感が募る一方だったのはどういうわけか？　あからさまに疑われていたからだ。美羽への行動を。気持ちを。
　気持ちって、どんな。
「俺は」

　俺は？


　うろたえる丈を唖然と眺めていた葵が、ぐっと喉の奥でカエルみたいな声を出したと思ったら爆笑した。店中に響き渡るほどの大笑いだ。
「やだ、おかし、い、信じられ、ない」
「おい、人が」
「社内一の切れ者、が？　マジ恋は初めてなわけ？　やだもう、可愛、い」
「やめろって、おい」


　涙まで流して笑う葵はとりつく島もない。周囲からの奇異な視線になすすべなく、丈はひたすらタバコとグラスで耐えた。その間も頭の中はぐるぐる回る洗濯機の中の洗濯物だ。からまってまきついてほどけない感情。どうしたらいい。すでに逃げ腰。


　葵の笑いが不意にやんだ。さっきまでの馬鹿笑いはどこへしまいこんだのやら、真剣に尋ねてくる。
「ほんとにマジなの？」
　俺が知りたい。神様とやらに問いただしたい。マジなのかこれ。
「あの娘、恋愛は簡単じゃないのよ。いろいろあって」
　逃げかけていた気持ちがそこで止まる。葵の顔は心配へと移っている。


「いろいろって」
「悪いけど、私が言っていい事じゃないから」
　勘はいい方だ。幾度かのひっかかりが教えたこと。
「それって弟に関係ある？」
「どうしてわかるの？」


　葵が驚いている。ビンゴだ。あの無表情はやっぱり何か隠してたわけか。再び不快感が丈を襲った。気に入らない。知りたい。知らなきゃならない、どうしても。

　俺は、白兎美羽を知りたい。





　あっという間に変わる顔つき。眼の色。受動から能動へ、守勢から攻勢へと転じていく丈をむしろ感嘆して眺めながら、葵は深呼吸して椅子の背に寄りかかった。
　もしかしたら。彼ならできるかもしれない。あの娘の解放。


　灰皿の上で葵のメンソールがほろほろ崩れ時を刻んでいく。