披露宴が始まるということは、締めの挨拶が近づくということだ。朝からずっとカウントダウンしている気がする。すでに役目を終えた妻やのの、温をうらやましく思いながら、謙介は会場の端で彼らと共に席に着いた。


たくさんの結婚式に出席してきた謙介から見ても、特別なことはなにもないふつうの披露宴だった。写真撮影の和気藹々とした雰囲気のままで列席者を迎えたあと、型どおりに入場した新郎新婦。

美羽は長いトレインをはずしベールも短くした分可愛らしさが増したような。丈ときたら今にも花嫁を食べてしまいたい顔だ。危ない。

「赤ずきんとオオカミみたいね」

道江がらしくもない形容をするので吹きだしそうになった。実際ののは吹いていたし、温は冗談じゃないと眼を剥いている。彼らの間に設けられた席、飾られている青年の写真も笑って見えた。明石という名もすっかり馴染みだ。

実は謙介の左にも一席、丈の実母の写真がある。長年氷のようにしこっていたこだわりは息子が結んだ縁をきっかけにゆるゆると融けた。写真を持ってこようかと謙介が言ったのは昨夜、寝る前。打てば響くように道江はにっこり微笑んでくれた。

『丈さんが喜ぶわ』

自分は恵まれているとつくづく思った瞬間だ。


新郎新婦が席に着くとプロの司会者が張りのある声で生き生きと披露宴を進行した。主賓はふたりが勤める会社の、なんと社長だ。

「……という具合に、切れ者で有名な亀沢君が６月が近づくにつれて、これまでならあり得ないボケとかのろけを振りまいていると僕の耳にまで届いておりました。男にとって女性がいかに偉大な存在かを物語るいい例ではないでしょうか」

どっと笑いがおきる。丈が困ったように赤い顔を隠すのが珍しい。いかにもしゃべり慣れた様子の社長・陸見は人の悪い笑みを浮かべている。

「うちの会社の発展のためにも美羽さんには是非、亀沢君と末長く幸せな家庭を築いてくれるようお願いして、お祝いの言葉に代えましょう。亀沢君、美羽さん、結婚おめでとう」

万雷の拍手が社長とふたりにおくられた。陸見は鷹揚にそれに応えてゆったりと席に戻る。なかなかの人物だと謙介は感じ入った。


「次に新郎の友人を代表しまして、源　光さま」
司会者の紹介に丈がなんだか心配そうな顔になった。はて。

「お集まりのみなさん、毎度おおきに〜やのうて亀さん、ウサコちゃん、ほんまにおめっとうさんです」
マイクの前に立った男のイケメンな口から関西風のしゃべりが飛び出した。どっと座がわく。勢いといい笑顔といい、いまどきのお笑い芸人みたいだ。

「亀さんもウサコちゃんもそれぞれ、関西支社まで名前がとどろく有名人でっせ。そのふたりがくっついたいう話が届いた時は、西では男も女も嘆きの涙、おかげで道頓堀川があふれてケンタッキーおじさんがどんぶらこ」

「よっ、みなもとや！」
「あいよっ」
「光、いいかげんに」
後ろでささやいているのは確か美羽の友人だ。源が肩をすくめ口調を改める。

「とにもかくにも、ようやっと満願成就の日を迎えるんは亀さんとウサコちゃんはもちろん、とばっちりを受け続けた我ら同僚、部下、ひいては上司にとってもありがたい限り。いやめでたい。あないに悪いことばっかしとった亀さんがぁ」
「ひ・か・り」
「えー、おあとがつかえてますんでこの辺で。ウサコちゃんほんまにきれいやわぁ。亀さん、二度と逃げられんよっ…んぐ」

「花嫁の友人代表、日高です。亀沢さんおめでとう。美羽すっごくきれいよ。幸せにね」

片手で源の口をふさぎ、片手でマイクを奪って美羽の友人がにこやかに祝辞をしめた。美人の上に華やかな装いは目の保養だ。ふたり並ぶと似合いの一対、というか夫婦漫才。笑いと拍手で終わったスピーチに丈は苦笑い美羽は泣き笑いしている。

「葵、ありがとう」
「（小声で）源め、覚えてろよ」
「丈さん」
「なんだい美羽」
「そのうち聞かせてくださいね」
「なにを」
「悪行を一端でも」

マイクが拾った会話に座はまた爆笑になった。ぎょっとする丈に花嫁のにこやかな笑みは深すぎる。くわばらくわばらと唱える呪文が道江とそっくりだ。本人は自覚がなかろうが謙介はおかしくてしょうがなかった。


その後もにぎやかに、おおむね笑いを交えて披露宴は進んだ。後半のクライマックスはやっぱり花嫁のお色直しだろう。振り袖はののによると、成人式に一度だけ袖を通したものだそうだ。
「スーツ姿の明石と撮った写真があるんですよ」
懐かしげにののが語る。

父母が誂えた思い出のある着物を身にまとった美羽と、羽織袴姿の丈。スポットライトを浴びて入場したふたりが挨拶をかねてテーブルを回る。なぜか用意もしてない紙吹雪があちこちで舞った。

驚く二人に、離れたテーブルから手を振って見せたのはさっきの夫婦漫才カップルだ。苦笑を交わす美羽と丈。いい友達を持ってるなと謙介まで嬉しくなる。
「よっ、ご両人」
声をかけたのは誰あろう陸見で場内はまた沸いた。

「社長、俺のお株を奪ったらあかんわ」
「たまにはいいだろう」
「そうよそうよ、美羽ーっ、すてきーっ」
「……葵、飲み過ぎやん。二次会あるんやで」
「しーらないぃいっ」
「うわ殺生な」
夫婦漫才は酒が入ったようだ。呼びかけたもう一組は。

「丈さん、おめでとう」
「指輪の具合は？　よかった似合うわ」
道江の長女、碧と波布の新婚夫婦も招かれていた。ここにも縁がある。道江のためにも喜ばしかった。


どれだけめでたい宴にも終わりがある。ついに謙介のカウントもゼロを迎えた。式場スタッフの先導に従い、雛壇からふたりがテーブルから謙介たちが出口近くの下座に並ぶ。武者震いする謙介にマイクが渡された。咳払いを二、三度。

「本日はお忙しい中、亀沢丈と白兎美羽の結婚披露宴にご出席くださりまことにありがとうございました」

新郎新婦、両親ともども深く頭を下げる。顔を上げて再び列席者と向かい合った謙介の口から言葉は勝手に飛び出した。覚えた文章とは違う、素の心情。

「昨年末、息子から初めて話を聞いて飛び上がって喜んだのは妻でした。もちろん私も喜びましたが、それは男親としてはごく当たり前の、息子も結婚するのかという淡々としたものだったように思います。ですが美羽さんに、それからご両親にお会いし時を重ねるにつれ、その考えは変わりました。よくぞ美羽さんを見つけてきてくれたと、息子をほめてやりたい心境です」

短く印象的な言葉でとあれだけ考えたというのに。

「大げさに言えば私の人生が変わりました。これまでよりもずっと平らかで豊かで、誤解を恐れずに言うなら面白い。白兎家のみなさんとまだ半年のおつきあいだとは信じられないくらいです。これからが楽しみでなりません。そういう出逢いをくれた息子と、娘になってくれた美羽さんに感謝してもしきれません」

美羽に微笑むと、隣から丈が肘でつつく。

「また本日、ご列席くださった皆さんの語らいを見聞きして、私はしみじみ思いました。皆さんもまた丈に、美羽さんとの出逢いをくださったのだと。ありがたいことです」

丈と美羽が照れくさげに顔を見合わせる。

「同時に、今日はふたりにとってあくまでも始まりです。ゼロからのスタート。できるなら止めることなく二人一緒の日々をどこまでもカウントし続けてほしい。そのためにはお互いを信頼しそれぞれが努力し続けなくてはなりません。結婚は日々の積み重ね、親である我々もいまだカウントの途中です」

丈が美羽が、温がののが、そして道江が、謙介を見る。

「どうぞ彼らを見守ってやってください。そして助けてやってください。私たちも共に努力していくつもりです。ここにお集まりくださったみなさんもまた、幸せのカウントを重ねていかれるよう願っております。本日はまことにありがとうございました」

謙介が改めて頭を下げ全員が倣った。しんと静まり返ったあと、拍手は波のように沸き上がり、会場全体に広がって満ちた。

「亀さんのお父ちゃん、日本一！」

頭を下げたままで聞こえた声は、きっとあの源だろうと思う。自分の膝をみつめながら謙介はガッツポーズよろしくマイクをぎゅっと握りしめた。顔を上げてもまだ拍手は鳴り止まず、丈が隣で小さく言った。

「親父、最高だ」

おまえにそんな風に言われるのは初めてだな。笑おうとしてふと、目尻から頬に伝い落ちていた滴に気づいた。人前で泣くのも初めてだ。
「あなた」

背伸びして涙を拭こうとする道江。自分の方がよほど泣いているというのに。温とののまで涙している。聞いていた段取りによると列席者を見送らなきゃいけないはずだが、式場スタッフも笑顔で待ってくれる。

ありがたいな。人間のいいところばかり見える、素晴らしい日だ。それが息子の結婚式だなんて、私はほんとうに幸せ者だ。



あれだけ準備したのに結局ぶっつけ本番だった謙介の締めの言葉は、多くの列席者の記憶に残った。誰もが願っているから。幸せのカウントを重ね続けることを。


やっと出口に並び始める新郎新婦、亀沢・白兎両家はそろっていい顔をしていた。成すべき事を成した後の充実感。彼らが待ちに待っていた結婚式はようやく、終わろうとしていた。





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