丈の前に、川があった。

川幅が広く対岸が霞んでよく見えない。向こうに誰か居るけれど誰なのかがわからない。輪郭もぼんやりしている。手を振って見えた。意味も分からないまま振り返す。

雲が重く垂れ込めていた空からまっすぐ光が落ちて彼を包んだ。まぶしくて顔が見えないのに笑っているのがわかる。背中から空へと伸びた翼にも見覚えがあった。

『頼むよ』

チャペルで聞いた温に重なる声。
ああ、俺は知ってる。
君は。



「丈さんってば」
「なんっ、、、うわぁ」

突然ゆさゆさと揺すられてとびおきた丈だが、同時に頭を抱えて突っ伏した。ガンガンダンダンと頭の上をタップシューズを踏みつけられてるみたいだ。ライオンとゾンビのラインダンスが久しぶりに浮かぶ。

「だから飲み過ぎですって」

美羽の声は呆れているが笑いを含んでいた。見上げて考える。おかしい。夕べの記憶がない。新婚初夜だったというのに。ああそうか、それもこれも全部。

「みっ、なもとのやつ〜」

丈の声は墓場から起きあがるゾンビさながら。そうだ二次会だ、あいつに任せたのがそもそも間違いだった。

「あんな二次会あるか」
「あら、楽しかったじゃないですか。お父さんやお母さんたちまでおよばれして、とっても喜んでましたよ」

だからそれも飲み過ぎの原因なんだって。亀沢の両親はともかく、白兎のご両親、特に温に何を吹き込まれるかとひやひやしっぱなしで。

「それにしても多かったですね人数。会費制とは言うものの、あんなに集まってくださるなんてびっくりしました」

びっくりもするさ。あれじゃ披露宴の二次会じゃなくて、どうみても占い師付きの婚活パーティーだろうが。あいたたた。

「丈さん、お水」
「あ、あ」

新婚初夜に醜態をさらすなんて情けない。結婚前だったら破談か。温になんて思われたやら。ちがう、それより問題は。見下ろすと自分はスーツの下だけはいた格好だ。丈はおそるおそるコップの陰から美羽をうかがった。

「美羽、あの」
「なんですか」
「俺はゆうべ」
「部屋に入ってベッドに転がったらすぐ、いびきまでかいて。疲れてたんですね丈さんも。上着とワイシャツはなんとか脱がせたんですけど」

かわいらしい笑顔で言われるとさらにがっくりくる。亀沢丈ともあろう者がよりによって、新婚初夜にいびきをかいて熟睡とは。いや、夜が駄目なら朝だ。これからでも。　あいたた。

「二日酔いですか？　でもそろそろ新幹線の時間が」
「遅らせよう」
「はい？」
「フロントに電話して手配を」

ガンガンする頭を抱えながらベッドサイドの電話にのばした手を、美羽が押さえた。

「だめです」
「いいじゃないか、急ぐわけじゃない」
「急ぎますって」
「遅らせるだけだから」

美羽がじとっと丈を見る。
「入籍も？」
はたと丈の思考が止まった。そういえば。

「丈さんも忙しかったしいろいろあったしで、まだ入籍してないんですけど、私たち」
「……そうだったな」
「日本の法律じゃ式あげても、籍入れなきゃ結婚したことにはならないんですよ」
「う、ん」
「せっかく式挙げたのに、入籍してないって悲しくありません？」
「うーん」

理路整然と説かれると弱い。さらに美羽はにっこり、とどめをさしてくる。

「ハネムーンに行くなら正真正銘『亀沢美羽』として行きたいなぁって」
「……行く。支度する」

肉体的欲求も愛する妻の笑顔には勝てない。妻、妻か。悪くないな。それにしてもこの頭痛が収まらないのが無念だ。せめてと美羽を引き寄せて抱きしめる。

「……丈さんたらわかってます？　これからハネムーンに行くんですよ？」
「情熱に時もところもあるもんか」
「それじゃ犬猫と同じでしょ」
「うさかめだろ俺たちは」
「違います」

否定されて丈はいぶかしげに美羽を見下ろす。
「入籍したらかめかめです」

意外な返答だったが丈の口元がさらにゆるんだ。だらしないと片手で隠しながらも隠しきれない。

「かめかめ、か」
「入籍したら、です」
「よし行こう。亀沢美羽だ。善は急げ」

すっかり乗せられて立ち上がり、シャワーに向かう。自分の背中で美羽がおかしそうに、でもいとおしそうに笑っているのは知らなかった。



とっくに着替えて荷物もまとめてあった美羽は、丈を待ちながらスイートの大きな窓辺に近づいた。昨日とはうってかわって広がる青空が神様からの祝福みたいで嬉しい。

鳥が飛んでいくのが見える。
ああいいな。
あんな風に飛べたら。


「美羽」
「はぁい」

振り返って離れようとした時、窓を影が横切った気がした。大きな翼。何？　肩越しに見ても青空が広がっているだけ。

「美羽、行くぞ」
「待って」
トランクとハンドバッグをつかんで、支度をすませた丈の元へ美羽は急いだ。

ふたりの足音が扉の向こうを遠ざかる。
こちらの窓からもかすかな羽ばたきが遠ざかった。

遙かな高見へ。





カウント・ワン。
始まる未来。

今日も明日もその先も。
いつだってあなたと。

うさかめＬＯＶＥ。





　　　　　　　　　　　　＜Wedding count　down　＆　UsakameLove　/　End＞