「亀沢さん」
「白兎さん、とうとうですなぁ」
「挨拶、出来ましたか」
「いやあ、一生懸命書いて覚えましたが、全部とびそうです」

「書いたのを読めばいいですって。私なんか転んだらどうしようってそればっかり」
「大丈夫ですよ。転んだら起きあがれば」
「そう、そうですよね」

互いの労をねぎらいつつ、双方の妻が聞いたら眉をつり上げそうなとんでもない助言をしあう実父と義父を、タキシード姿の丈は黙って見守っていた。

どちらもそれほど親族が多くないこともあって、用意したのは広めの控え室をひとつだけ。謙介が挨拶しているのは美羽の祖父母だ。さっき丈も紹介してもらった。きりっとした眉と優しげな目じりの老夫婦だった。遊びにきなさいと言われてなんだか嬉しかった。


一方で緊張も高まってくる。なるようになるし、なるようにしかならない。些細なことは運を天に任せるだけだ。任せられないのは祭壇での誓い。なにがなんでもそこだけは死守するぞ。

結婚式当日になんでそんなに力こぶと思われそうだが、式二日前に花嫁に逃亡されたら誰だってそういう気分になる。いまさら美羽が逃げるとは思わないが、まさか。

「丈くん、おめでとう」
「立派になって」
「ありがとうございます」

かけられる声に答えながら「まさか」の三文字につかまったのを感じる。ばからしいが疑問はさっさと解決しておいたほうがいい。さりげなく会釈して、まだ語らっている実父と義父を横目に親族控え室を抜け出した。


考えてみれば朝、メールは交わしたもののまだ美羽の顔をみていない。支度はすんだろうか。きっときれいな花嫁だ。ついゆるむ口元を手で隠す。怒られるかもしれないが、こっそりのぞいて安心しておこう。花嫁の控え室はどこだっけ。歩きだそうとしたそこで。


「丈さん、おめでとうございます」
「色男がいちだんと株あげて、色気垂れ流しやんか」
その言葉をそっくり返してやろう。立ちはだかった色男、源と波布のふたりを見て丈は思った。

垂れ流しはそっちだ絶対。その証拠に行き来する縁もゆかりもない女性たちがふたりをみて色めきたっている。気の毒だがどっちも売約済みだ。どっちの相手も美人だし。まあ美羽が一番かわいいけれど。

そう美羽だ。さっさとこのふたりをまいて、だな。

「源、世話になるな。よろしくたのむ。波布くん、碧は」
「花嫁のところだよ」
「葵もやで。ウサコちゃんのドレスは葵と奥さんの肝いりやから、なあ？」
親しげなふたりの様子に首を傾げる。

「波布くんと面識あったのか」
「さっき初めてやけど、葵と奥さんはすっかり仲良うなっとったから」
「おもしろい人だね源さんて。笑わされてばっかりで」
「面白いというか、破天荒なんだこいつは。で、悪いがちょっと」
なんとか逃げようとする丈だったが、光がそれを粉砕する一言。

「亀さん、花嫁さんとこは行かれへんで」
「……は？」
出鼻をくじかれて丈は間抜けな声を上げる。どういうことだ。

「式までのお楽しみっちゅうことで」
「なんだそれ。どういうことだ。まさかなにか」
「なにもないですよ。ただせっかくだから、バージンロードを歩いてくる彼女を見て感動してほしい、んだそうです」
波布まで楽しそうに言ってくれる。だからってそうですかとは引けない。

「心配するな。美羽のドレス姿なら何度だって感動してみせるさ。馬鹿なこと言ってないで」
「あかんあかん、女性陣まとめてのお達しや。行っても入れてもらわれへんで」
「なんだって」

どっちも肩をすくめながら笑っているのが憎たらしい。
「ドレス選びに協力しなかった罰、だそうです」
ちっと舌打ちした丈の肩を光が叩く。

「ええやん。バージンロード歩いてくるウサコちゃん、楽しみやでえ」
「まさか、おまえたち見たんじゃ」
「まさか」
「いやいやいや、それはないて」

丈の剣幕に波布が手を、光が首を振り、必死で否定する。
「亀さんより先なんて命知らずやわ。チャペルで昇天させられそうや」
吹き出した波布がじろっと丈ににらまれて取り繕う。そこに、声をかけてきたのはホテルスタッフだった。

「ご新郎様、そろそろお式のお時間です」
「え」
そんなという声は消え去るだけ。

「ほらお呼びがかかったでえ」
「楽しみですね、美羽さん」
気楽なふたりにがっくりする。諦めるしかなさそうだ。これで美羽が逃げたりしてたら一生恨んでやるぞ、おまえたち。

物欲しげな顔を控え室あたりへ向けながらも、丈は仕方なくスタッフの後へ続く。幸せな花婿だというのに気分は何か忘れ物をしたような、後ろ髪ひかれまくる心地だ。

そんな丈を光は面白そうに、波布はさすがに気の毒そうに見守っていた。





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