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カウント2
花嫁の失踪 前編



翌朝、丈は白兎の実家へ車をとばしていた。早い時間に申し訳ないとは思ったのだが、夕べからいくらかけても美羽の携帯が繋がらない。

『おかけになった番号は』

単調な音声ばかりが返ってくる。おかしい。おまけに白兎の実家まで電話にでない。どうなっているのか確かめなければ安心できない。いずれにしろ今日から休みをとっている身だ。


白兎家の前で丈が出くわしたのは美羽の母、ののだった。エプロンにサンダル、いかにもご近所からの帰りという格好だ。

「丈さん? 出張から戻ったの? 昨日もお母様とご一緒してたのに」

両親同士がこんなにも親しく仲良くなったのはうれしい誤算というべきだろうか。いや聞き流したことが。

「母と?」
「ええ、式場に」
「式場に?」
身構える丈。温の次は母親達がクレーマーとか? やめてくれ。

「ほら、チャペルの打ち合わせ。当日で大丈夫って言われたけど、やっぱり心配だから」
「あ、あれですか」

思い当たってほっとした。それぞれ父親には内緒にしている当日でのある役目を、母親たちはとても楽しみにしているらしい。張り合っているのではと丈は思っているが、それはともかく。

「美羽は」
「まだ寝てるんじゃないかしら」
「すみません朝早く。お電話したんですが」
「おかしいわねえ。お隣に回覧版を届けに行っておしゃべりしてたんだけど、お父さんも美羽もなにしてるのかしら」

「僕がどうしたって」
ぎょっとふりむくと温がいた。上気した顔。額にうっすらと汗。

「あら、お散歩だったんですか」
「うん。式のためにも足腰は大事だろう」
式場まで歩くとか? バージンロードは1キロもありませんよ、などと間違っても口にはしない。

「丈くん、出張は無事に終わったのかい」

機嫌よく尋ねられとりあえずうなずく。婿と父親の関係はなんとか良好なところまできているが、温の呼び方は「亀沢くん」と「丈くん」を行ったり来たりしている。初対面が強烈だったので、間違ってさえいなければかまわない。

「ご心配をおかけしまして。美羽は」
「元気だよ。昨日はなんとかなんとかに出かけて」
「お父さんたら、ウエディングエステでしょ」
「ブライダルエステです」
つい訂正すると温が苦笑いする。

「ややこしい名前だな」
「カタカナばかりですものね。エステって英語だった?」
「見た目、たいして変わってなかったぞ」
「お父さん、エステってのは美容院じゃないんだから、見えない部分を」
「あの、美羽は」

ほうっておくとふたりの話はつるつると思いがけない方向へすべる。丈がためらわず会話を遮ったのは半年の経験値とせっぱ詰まった気持ちの勢いだった。
「あらごめんなさい。美羽ー?」

玄関から二階の娘の部屋へずんずんと進む義母。あとから従者のごとく丈と、温まで続いた。違和感はあったのだ。これだけ騒いでいたら気づくだろうに一向に下りてくる気配がないなんて。

「失礼します」
ののに続いて飛び込んだ部屋は無人だった。整ったベッド。呆然とする丈の後ろから温が顔を出す。

「いない? おかしいな。ののさん?」
机の前でふりかえったののが、取り繕ったような笑みを浮かべた。

「いやだ忘れてたわ。ブライダルエステ、まだ終わってなかったのよ」
「そうなのかい?」
「朝一番で予約してあるって。そうそう、丈さんも来てほしいそうよ」
「は?」
豆鉄砲を乱射された鳩みたいに丈が瞬きする。

「ほら早く。花婿もそりゃあ磨かないとね」
「……最近は男も大変なんだな」
「お父さん、ちょっと待ってて」

気の毒そうな顔の温を残して部屋から玄関まで押し出された丈の、胸元にののが押しつけたもの。手紙? 義母の真面目な顔。

「この頃、様子が少しおかしかったから」
「美羽が、ですか」

短い文を読んで丈の顔色が変わる。

『 一日頭を冷やしてきます。心配しないで 』

見慣れた筆跡は間違いない。心配するな? 二日後に式を控えた花嫁が一体どこへ、どうして。あわせる目線。それでも義母は微笑んだ。

「お父さんが知ったらややこしいし。丈さん、お願いね」
込められた信頼は二人分だ。
「はい必ず」

うなずいた丈は車へ走った。焦りと怒りと恐れが入り交じって丈をせき立てる。天国から地獄とはこのことだ。いや地獄から地獄だったか。ダンスを踊るライオンが憎たらしい。

負けるものか。
どんなトラブルも必ず乗り切ってみせる。

昨日までの疲れもなんのその、丈らしい闘争心が燃え上がっていた。



勢いで闇雲に車を出した丈だが、冷静になるといったん路肩に止めた。とにかく情報だ。まだ早い時間で助かった。携帯で呼び出すと戸惑った声が応答した。

『もしもし?』
「日高くん、朝早くすまん」
『亀沢さん? 戻れたの? よかったじゃない』
「良くないんだ。美羽から連絡は?」

『一緒じゃないの』
「逃げられた」
『はあ? なに言ってるのよ。すぐ式でしょ』
跳ね上がった声に眉目秀麗な葵のつり上がった眉を連想する。

「夕べ最終で帰ってきたんだが、携帯にかけても繋がらなかった。今朝になってもダメでしびれを切らして実家まで行ったら、美羽が手紙残していなくなってた」

『うそ。手紙って』
「頭を冷やしてくるから探すなとあった。探さないわけないだろうが!」
つい怒鳴ってしまった丈だが、電波の向こうの葵は気にした様子もなく、ぶつぶつ何か言っている。

『まさかほんとに』
「なんだ、何か言ってたのか」

もともと美羽に関するかぎり地獄耳だ。それがこの事態では閻魔さまより鋭くなるってもの。葵のためらいが焦れったい。

『亀沢さんが出かけた翌日会ったのよ。そしたら妙に不安がってて』
「不安ってどういう」
『ひか、源さんも一緒に会ったんだけど、マリッジブルーともちょっと違ってて』
「源も? あいつ、知らせてくれれば」

『大車輪かけてる出張先に? 無理無理無理。命が惜しいわ』
「日高くん、俺をなんだと」
『向こうで死人が出たでしょ』

丈の脳裏でとうとう死体まで起きあがってルイルイダンスを始める。ご丁寧に歌舞伎でよくみるふさふさの髪をつけている始末だ。情報過多で思考がかなりいっちゃってるらしい。

自分に打ち明けてくれなかった美羽。なにが不安だったんだろう。思い合って好きあって式直前の彼女が逃げ出すほどの不安ってなんだ? 俺は彼女のことわかってなかったのか? 踊るゾンビの向こうに美羽の後ろ姿がちらちらする。ぞくっと悪寒が走る。


『……わさん、亀沢さん?』
葵の声で我に返った。

『美羽は大丈夫よ。頭冷やしたら戻ってくるわ』
「どうしてわかる」
『あの子は失ってるから。馬鹿なことはしません』

携帯を握ったままで丈は眼を見張った。自分がなにを恐れていたかを言い当てられて。葵の言うとおりだと理性は慰めるが、感情はついていかない。

「本人にその気がなくてもなにか起きるかもしれないだろうっ?」

後で葵には山ほど謝罪する羽目になりそうだが、こんな時の葵はひと味違う。的確に丈の尻をひっぱたく。

『そう思うんだったらとっとと電話切って探しなさいって。下手な考え休むに似たり。まさか運転中とか言わないでしょうね。ハネムーンがトラ箱になるわよ』
「トラって」
『それにね、あたし思うの。美羽はたぶん』

あなたを待ってる。


運転席にしなだれていた丈の背中がしゃきっと伸びた。そのとおりだ。こんなところでうだってる場合じゃない。今はとにかく美羽を見つけて捕獲しなければ。ご両親に心配はかけたくないが、いざとなったら心当たりを尋ねて。

「社長のお墨付きなだけあるな君は」
『ほめられてるのかしら』
「もちろん。源は幸せものだ」

『ご心配なく。あたしも幸せですから』
「言ってくれる」
『美羽だって同じよ。あなたを見てるとドキドキしすぎて不安になるって言ってたわ』

愛しい彼女の顔が浮かぶ。笑顔と不安顔。

「……美羽が?」
『美羽の気持ちを疑わないでね』
「あり得ない」
『ならとっとと動く』

ぷちっと切られた携帯。ツー音に苦笑いした丈は運転席のフロントに投げてエンジンをかけた。美羽が行きそうな場所を思いついたのだ。ここ一番の勘には自信がある。丈は手近の高速入り口へと急いだ。





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