白兎の実家は二階建て。
一軒家としては小さなほうだ。


美羽の部屋は明石の部屋と隣り合わせになっている。元々一部屋だったのを中学校に入る時ふたつに分けたのは、本人たちの希望というより親たちのふつうの配慮だった。

二卵性男女の双子はそれほど似ているわけではなく、よく言われる双子だからって相通じる部分があるわけでもなかったが、仲はよかった。

片方が飛び出すと片方が止める、片方が怒ると片方がなだめる、片方が泣くと片方が慰める。いつでも対。飛び出す怒る泣くのがいつも姉で、止めるなだめる慰めるのがいつも弟だったのは性格だからどうしようもない。


明石はふつうの男の子だった。元気よく外で遊んだと思うと、家でのテレビゲームにも興じた。友達は多くて喧嘩も仲直りも同じ数だけあったと思う。穏やかな気性とともに温から受け継いだのは生き物や自然好きのところだ。

四季の移り変わりに敏感で自然の変化を見逃さなかった。ひとりで周囲を歩き回り、足がマウンテンバイクに変わるとその行動半径はさらに広がった。小学校時代は虫捕りに明け暮れ、小学三年生の夏休みの自由研究の標本はずっと彼の部屋に飾ってある。


そっと踏み入ると静かだった。主はちょっと留守をしているだけ、そんな雰囲気の部屋を美羽はぐるりと見回す。明石の机、明石のベッド、明石の本棚。事故で死んだ当時のままだ。誰も片づけようとは言わない。言えない。

今ではここは家族の聖域みたいなもので、心弱った時や悲しいとき、寂しいときにそれぞれが訪れているのだろうと思う。自分みたいに。


ベッドの壁面に標本がかけてある。もともと美羽は標本が苦手だったが、明石が死んでからしばらくは眼にするのもつらかった。針で刺された姿に若くして死んだ明石が重なって見えたから。

改めて見る標本は特別珍しい虫や蝶はないが、小学生にしては丁寧できちんとした作品で明石らしかった。一番きれいな姿で時を止めている姿。かつては残酷だと思えたのに。

うらやましい。

心に湧いた別の感情に気づいて美羽は驚いた。確かめるようにもう一度考えてみるが同じだ。うらやましいと、かつてなかった気持ちを標本に抱いている。なぜって。

胸で両手を握りしめ美羽は机を見返った。実家のあちこちに飾ってある明石の写真がここにもある。大学に入ってから撮った、死ぬ前の明石に一番近いものだ。


明石。　望まずして時を止められてしまったあなたは、この標本と同じ。あなたを奪っていった神様の定めをあたしは憎んだけれど、なんとか乗り越えた後、あなたはかえって鮮明に鮮やかに思い出せるの。

今はわかる。
これ以上私からあなたが奪われることはない。

なら、彼は？

母が開けていたのだろう、窓から吹き込む風にカーテンがひるがえった。季節にそぐわぬ肌寒さにぶるっと身震いする。雨の気配だ。まるで美羽の不安のように、四角く切り取られた空の彼方まで灰色のグラデーションが広がっていた。



『一週間切ったな』

携帯から伝わってくる丈の声は抑えようとしても焦りを滲ませている。どんなときも自信たっぷりの彼にはないことだ。トラブルは思うように収拾できてないのか。慰めて力づけたいのにそれどころじゃない。空から　元気を見透かされぬよう祈るくらいだ。

「今日、仕事帰りに最終打ち合わせに行ってきました」

ホテル側に手配してもらった披露宴の司会者も交えての打ち合わせだった。前もって頼まれていた自分と丈の資料や、スピーチを頼んだ人たちについてのあれこれ、段取りなどなど。丈も一緒のつもりだったが出張ではしょうがない。

『悪いな。どんな人だった』
「私たちより一回りくらい上でしょうか、笑顔が自然な方でした。ポイントもすぐわかってくれて」
『美羽がそういうなら大丈夫だろう』

丈の声が少し落ち着く。なんでも自分で仕切りたいタイプなのに、それができないのがじれったいに違いない。


『なんとしてでもあと３日であげてやる』
「丈さん睡眠とってます？」
『寝てなんか』
「披露宴でうたたねなんていやですからね」
『その披露宴に間に合わせるためには寝てられないんだっ』

叫びよりもそのあとの沈黙の方がやたらと大きく感じられた。言った本人も驚いたらしい。一拍置いてからなだれこむ丈の焦った声。

『悪かった。今のはただの八つ当たりだ。君にあたるなんてどうかしてるな俺は』

たぶん丈は知らない。こんな風に、他人には見せない弱さを見せてくれるのが嬉しいなんて。胸が痛くなるような愛おしさは丈に会うまで知らなかった。

このひとが好き。
このひとをうしなったら。

ドクンと全身が揺れるほどの鼓動が打って、ドクドクと止まらなくなる。
まただ。


『美羽？　怒ったのか？』
丈の声がさらに焦っている。いけない。平静を取り繕う。

「まさか。式に間に合わなかったらそりゃ怒りますけど」
ほっとした空気は電波でも伝わるから不思議だ。いっそ身体ごと運んでくれれば。いますぐ抱きしめてくれたらこの不安も消えると思うのに。

『そんなことになったら会社をやめてでも』
「……丈さん。このご時世に無職で結婚生活を始めるなんて無謀です」
『今だってヘッドハンティングは何件も』
「早く」
強い調子になったのは止まらない動悸のせいだ。

「早く、帰ってきてください」

どんな風に伝わったのか、丈が声を改めた。
『ああ、待っててくれ』

式を数日後に控えたカップルにしては妙に悲壮感を漂わせるふたり。

丈はやっぱり気づいていなかった。
美羽が抱いているまったく別の不安と、その大きさに。


結婚式まであと６日。





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