「変、って誰が？」
「あたし」
要領を得ない美羽の訴えに葵が首を傾げる。

「どこが」
「それがわからないから困ってるんでしょ」
「……マリッジブルーってこと？」
眉根を寄せる葵に、隣から光も同調する。

「そら難儀やなあ。理由がわからんと対処ができひん」
「そう、なんですよ、ね」
トーンが落ちた美羽の様子に、テーブルを挟んで葵と光は当惑顔を見合わせた。


平日の夜に美羽から誘うのは珍しいが葵は二つ返事で承諾した。式を前に渋々出張した丈のことをからかうつもりもあっただろうし、もしかしたら美羽の愚痴も聞いてやろうと思ったのか。葵が行くなら自分もセットと光もやってきた。三人でおちあうなり始まった漫才は、最近さらに磨きがかかっている。

「セットってなによ。パック商品みたい」
「ええなあそれ。葵と袋詰めされるなんて理想やん」
「光ってバカバカ大バカ者」

「関西人にバカはあかんて言うたやろ。言うなら阿呆やて」
「アホアホアホアホ……阿呆って続けて言いづらいわねえ。早口言葉みたい」
「言いづらいほど言わんかて。なあウサコちゃん」

情けなさそうで実は楽しんでいる光の口振りに美羽もつられて笑わされる。二人の交際も順調らしい。息がぴったりだ。恋はいくつもあって恋人同士は何組もいるのにみんな違う。ほんとうに縁は不思議なものだ。


「……こうは」
「え？」
「新婚旅行はなんとかなったんでしょ？」
「うん」
それをめぐる一悶着も当然ふたりは耳にしている。

「結局ハワイなん？　亀さんおしゃれやからヨーロッパとかイタリアとか」
「奈良に」
「……なら」
「ならぁ？」

イケメンと美女が並んでぽっかり口を開ける。見たくてもなかなか見られない光景だ。それでもイケメンはイケメン、美女は美女。鑑賞に堪えうる顔ってずるいと美羽は神様に訴えてみる。

「さーすが亀さん、国内旅行のメッカやな。今年の売れ筋」
「苦し紛れの妥協案じゃないでしょうね」
取りなそうとする光と疑わしげな葵、どちらにも首を振ってみせる。

「あたしの希望で。ゆっくり歩いてみたかったんです。丈さんたらすごい贅沢なところに決めちゃって。楽しみにしてるの」
「へえ」
「ふぅん」
一応納得したようだが、つまりそれは振り出しに戻るってことで。

「だったら何が不安なの」
「……ほんとにねぇ」
「ウサコちゃん、えらい他人事」
「他人事じゃないからふたりに相談してるんですよ」

自分の声がのんびりしてるのも自覚しているが、言葉は本心だ。
「なんでもない時に突然、動悸が激しくなって心臓がドクドクして手に汗握ってしまうんです。これってもしかして病気？」

腕を組んで考え込んだ葵が答えを搾り出してみる。
「パニック障害とか」
「そないな病気もあったなぁ。そやけど仕事は普通にこなせとるんやろ」
「ええ」
「何もない時いうけど共通項ないんか」
光の問いに思い当たるのは。

「……るとき」
「え？」
「なんて？」
「丈さんを見てる時、です」
再び顔を見合わせたふたりの反応は対照的だった。葵はがっくりし光は大笑いをはじめる。なんで？

「っ、さこちゃっ、べたぼれやんっ」
「つまり重度の恋わずらい？　まさしくアホらしい」
「まあまあ葵て。結婚式がすぐそこの花嫁はんやで？」
「そりゃそうかもしれないけど。心配して損しちゃった」

「心配すること、ない？」
「ない！」

ごく真面目に問いかけた美羽にふたりはそろってうなずいた。太鼓判とやらにお目にかかったことはまだないが、そこにはきっと二人の顔が彫り込まれてるに違いない、なんて思うほど。

「そう、そうよね。良かった」
ほっと全身から力が抜けた。そんな美羽に葵は怪訝な表情をしたものの、安心させたいと思ったのか光がテンションをあげてくる。

「せやせや、亀さん抜きで飲めるんはひょっとしたら今晩限りやし。ウサコちゃん飲んで飲んで」
「平日ですよ。そんなには」
「真面目やなぁ、ほな食べて」
「式までに太ったらドレスが着られません」

「そらまずい、って何しにきたん」
「しゃべりに？」
「あんなあ」

持つべきものは友達だ。訳のわからぬ不安がふたりのおかげで薄らいだ気がする。ようやく笑む美羽に葵の気遣わしげな視線は途切れなかった。



実家へタクシーに乗った美羽を見送ったあと、どちらともなく歩きだした葵と光の話題はやっぱり彼女だった。

「なにか、ねえ」
「なんやろなぁ」
「やっぱり思う？」
「どこて言えんのやけど」
曖昧な物言いを嫌うふたりなのに会話が曖昧すぎる。

「そやけど。マリッジブルーてあんなんちゃうの。結婚式前やし。ナーバスになるんがあたりまえやん」
「なんだかそれともちょっと違うような」
「うーん」

ふたりして考え込む。美羽は女の子らしいが考え方や行動は意外にきっぱりしていて、決めたことにあまり迷ったりしない。頭の回転が速くて、問題点を割り出し検討し対処することもできるが、その問題点がはっきりしないから不安なのだろう。

「……大丈夫よ。亀沢さんがいるもの」
「せやけど、このタイミングでなんで出張やん」
「月初めにバージョンアップしたばかりのソフトが、ちょっとトラブって。彼がいくのが一番早いじゃない」
「できる男はつらいわ」
葵があきれた顔をする。

「自分のこと言ってるの？」
「一般論やて」
「自信家」

「葵にほめられるとゾクゾクするわ」
「あほあほあほあほあほ……」
「わかったて堪忍。話題がずれとる」
「そうよ美羽よ、美羽なんだけど」
どちらともなく口をつぐんで眼を見交わすふたり。

「なんやろなぁ」
「本人にもわからないんだから、外野が騒いでもダメよね。亀沢さん、早く戻ってこないかしら」
「今頃大車輪でトラブルシューターやっとる。間違いあらへん」

うんうんとうなずきあったふたりの目元が和んだ。ささいな会話もこれまでと違ってどこか通じあう気持ちがわかる。それが嬉しい。

「ウサコちゃん、きれえな花嫁さんやろな」
「もちろん」
「なんちゅうても葵の太鼓判やし」
「任せなさい」

「葵もドレスアップするやろ？」
「そりゃあ、ちょっとは」
「楽しみやな」
にやにやする光に肘鉄をくらわせながら、葵はやっぱり気になっている。

「……美羽が落ち着くといいんだけど」
「大丈夫やって」
「そう、かな」
「せや」

肩を抱き寄せられて、葵の脳裏から美羽がひと時消えた。
薄情者と言われても恋人がそばにいたらそんなものだ。



タクシーに乗った美羽は振動に身を預けながら、窓にぼやけて流れる幾つもの光を見るともなしに見ていた。どこか虚ろに。


結婚式まであと９日。





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