同じ頃、よく似た違和感に襲われたカップルがもう一組いた。

美男美女の一対は街角でもすごく目立つ。
目立ちすぎる。
なにしろその美男美女は甘い雰囲気とはほど遠い、険悪にすら見えるにらみあいを展開しているのだから。

「だから、何が変なんだ」
「言葉遣いよ」
「はあ？」

「どうしてそんな気取ってるの」
「気取ってるってどういう意味だ」
「だから、なにか、こう」

怒ると言うよりも当惑した丈の顔に、葵は自分が理不尽なことを言っていると悟る。

「ごめんなさい。妙な違和感があるのよ。いつもと違う気がしてしょうがないの」
「いつもと違う、か」
「気のせいね。疲れてるのかも。ああ、一服したいわ」

とたんに丈がぎょっとしたので、葵まで退いてしまう。

「なに？　なんなの」
「煙草、吸うのか」
「吸うわよ。あなただって吸うでしょ」
「そうだ、そうなんだが、そうじゃなくて、俺の彼女は」
「喫煙室でも会ってるじゃないの。何を今さら」

自分の言葉が頭の中でリフレインした。
そうだ、喫煙室でも丈には会っている。でも。
あれ？

私の彼は煙草を吸う人だったかしら。
男にしてはすらりとした指先は、包丁とか台所が。


「……亀沢さんって台所に立つひと？」
「なんだよ突然。切羽詰まればやらなくはないが、特別好んでってほどでもない」
「紅茶とか、入れる？」
「ティーバッグなら」
「ケーキ作れる？」
「おいおい、俺はパティシエじゃないぞ」

チョコレートケーキが眼に浮かんだ。
絶妙に層の折り重なったチョコレートミルフィーユ。
作ったのは。

「日高くん？」

反射的に顔を上げた葵は、そこに相手の顎を見てまた首を傾げた。
なじんだよりも顔が上にある気がする。なにより。

「どうして名字なのかしら」
「は？」
「あなたも私も。お互いを名字で呼んでるわ。名前じゃなくて」
「……そういえばそうだな」

また丈の顔に浮かぶ当惑。
ゴホンと咳払いして試みようとする彼。

「えーっと、葵、さん？」

ぞわっと背筋を悪寒がかけあがった。ふざけているとしか思えなくて、つい手が出る。予想外なことに攻撃はまともに彼の腹に入ってしまった。

「っっ、ぐぇっ」
「ごっ、ごめんなさいっ！」

女の力だし手加減はした。といえ、無防備な状態で腹に有段者の拳をくらうのは喜ばしいことではない。声もなくその場にしゃがみこんだ丈に、葵はあわてふためいた。

やだやだなんでよけないのよ。
いつも平然と防ぐじゃないの、いつだって。
いつだって？


「……武道の経験があるとは初耳だ」
「嘘。知ってるはずよ」
「俺が聞いたのはじっとしてるのが苦手で茶道はあきらめたのと、花を切り刻めなくて華道をあきらめたのと、突然考え込むんで剣道と弓道は危ないってやめさせられたのと」
「誰の話？」
「はあ？」

痛みでしかめた顔とわけのわからない顔。
見合わせたふたりへ、別の声がかけられる。

「大丈夫ですか」
「急病ですか？　救急車を」
「私、見ました、この女性が男性に暴力を」
「いや、男性が女性に襲いかかって」

気づけば周囲は黒山の人だかり。てんでに好き勝手なことを言い始め、目の前の出来事だというのに尾ひれが次々とくっついていく。あまりの見事さに弁明も説明も忘れ、丈も葵もただ唖然。

「つまり警察だな」
「消防よ」
「特捜だ」
「公安じゃ」
「ＦＢＩを」
「ＣＩＡだろ」

ここは日本じゃなかったのか。
どうやれば男女の痴話喧嘩にＦＢＩとか公安が出てくるんだ。
どうかしてる。でもどうしたらいいのか。

逃げよう。

見交わした眼で珍しく意志を疎通させた二人は立ち上がろうとする。
そこへ。
飛び込んできたのは思いがけない声だった。





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