「Truble　Vacation」　６．Diving　&　snorkeling　－素直になりたい

「Truble　Vacation　２×２」　６．Diving　＆　snorkeling　－素直になりたい－

今日契約したダイビングクラブに車を留めて、
４人はワゴンに乗り換え港へ向かった。

そこでクルーザーとスタッフが待ちかまえていて。
クルーザーの豪華さに唖然とするあたると天羽。
香夜をふりかえらずにいられない。
一体何者？

「ああ、私の父はある観光会社のＴＯＰなの。
　沖縄でも手広くやってるから。顔が広いし。」
あっさりした説明。
「だから、融通は利くの。」

これを融通って言うのかな。
あたるはかなりびびっているが、透が肩をぽんと叩く。
「気にしない。せっかくだから楽しんで。」・・・それはそうよね。
「はい。」
笑顔になったあたる。そんな二人を見る他の二人の複雑な顔。

上天気だけど、外海はそれなりに波がある。
クルーザーは跳ねるようにダイビング・スポットへ向かっていく。
あたると透、天羽はそれぞれウェットスーツに下半身だけ包んでおり、
香夜はひとり優雅に水着だ。

小笠原に行ったときも船には乗っているが、
こうも直接てきに波を感じるのは初めてで、あたるは顔を引きつらせている。
インストラクターが安心させるように声をかけてくれる。
「今日は絶好の日和ですよ。波もないし。」

・・・ないの？　これで？
固まっている笑顔で反論はできない。大丈夫かなぁ。
ついつい助けを求めて天羽へと泳がせる視線だが、てんでシカト状態。
隣のスタッフ・ダイバーと話してる。それというのも。

乗船すると紹介されたインストラクターから、即渡されたウェットスーツ。
とりあえず足だけはけと言われたももの、これが難儀な代物。
き、きつい。入らない？　初めて身につけるウェットスーツは実に扱いづらい。
あたるは悪戦苦闘。

もっともあたるだけでなく、隣の透も似たようなものだ。
経験者の天羽はさっさとはくと、涼しい顔であたるの様子を楽しんでいたのだ。
そろそろ助けてやろうかな。そう思ったらしかし。
「あたるさん、大丈夫？　ほら、ひっぱるから。」

横からその役を透に浚われた。
それならさっさと手伝ってやればよかったのに。
透にすれば、自分も苦労してるのだから、ごくあたりまえなんだけど。
朝起きてからずっと、まともにあたると会話をしていない天羽。
いい加減すねるのもやめようかと思った矢先、見事にタイミングを逸して。
ここでまた、よじれてしまったとは、あたるも透も知るよしもない。

というわけで、天羽は依然そっぽを向いているのだ。
耳だけはそばだててるくせに。

やっと船はダイビングスポットへたどりついた。４，５０分も走っただろうか。
「おまちどおさま。着きましたよー。」
碇が降ろされ、あたるがホッとした・・・いやする間もなく。
「ではお二人とも、いざ、シュノーケリングってことで。」

明るいインストラクターの声で、再び否応なしに緊張が高まった。
ウェットスーツを上半身まで着込む。・・・うわあ、き、きついよー。
そこに差し出されるライフジャケット。え？　これも着るの？
な、なんか内蔵が圧迫されるみたいな。

あたるの心中には頓着せず、
にこやかにライフジャケットを締め上げるインストラクター。
あたるも透もすでにぜいぜいしている。
水に入るのはこれからだってのに。
そこに。

「じゃ、お先。」
声にふりかえる前に水音がして、天羽の姿はとっくに消えていた。
さっきのは潜る直前だったらしい。嘘。
てすりにつかまってのぞきこんだ海は、実にきれいな透明度で。
その中をゆらゆらと沈んでいく天羽と、もうひとりのスタッフ。

「あー・・・彼、慣れてますね。心配ない。」
あたるの横でのぞきこんでいたインストラクターが、安心したように言う。
あたるはなんだか、おいてきぼりをくらったみたいで寂しくてしょうがなかった。
朝からちっとも話してくれなくて。

「じゃ、説明しますよ。」　インストラクターの声に急いで身を起こす。
透が香夜をみつめているのが眼に入る。
たぶん自分と同じ色をしてる。その瞳。
香夜はひとり、デッキチェアで反対方向の海を見ていて、気づかない。

「透さん、あたるさん。いいですか？」
呼ばれて振り向いた透は、あたるに気づいた。微笑まれて苦笑して。
「お願いします。」
二人は気を取り直して、シュノーケリングの説明を受け始めた。

基本的なゴーグルのかけ方から、
水中での「耳抜き」、ゴーグルの「水抜き」等々。
「簡単に言うと、鼻から息を勢いよく出す。これですね。」
コンパクトな説明とやり方に笑いが漏れる。
「やってみましょうか、一緒に。大事な事です。」
言われるまま、真面目に鼻から息を出してみる。

フンッ！　・・・・・ぷっ！

なんだかすごい鼻息がふたりそろって、思わず吹き出したふたり。
「あたるさん、すごくない？」
「透さんだって変わらないって。」
けらけらと笑いあう二人を、今度は香夜が遠目で見ていた。

香夜が透と出会ったのは、１年少し前。
外資系商社の営業で、バリバリの香夜。美人で気が強くて、資産家の社長令嬢。
憧れる男は数多いるが、どれも今ひとつ乗り気になれずに来た。
そんなとき、知人の結婚式で出逢った彼。

透はあたるに言ったとおり、外資系化粧品メーカーの研究職に入ったばかりで。
その式の新郎とは大学の同窓だった。
着ていたドレスに口紅をつけて困っていたら、
見事にそれを落としてくれたのが透だった。

ふたりはお互いに興味を持った。
年下とつきあうのは初めてだった香夜。同じく年上は初めての透。
美人と美形。
最初はどちらも興味本位だったわけだが。

気の強さは寂しがり屋の裏返し。
美人で頭もいいくせに、いろいろコンプレックスもあり。
意外なくらい突っ張っている香夜の本質がみえるにつれ、
年上である事も気にならなくなった透。

香夜にすると、
５つも年下なのにプライドを振りかざす事も、変な見栄をはることもない。
自然体でそのくせ、包容力のある透は驚きで。
二人は惹かれあい、やがて強く求めあうようになって、
結婚を決めたのだったが。

婚約したあとで。年上の、なにかと目立つ自分が、
透に負い目にならないかと気になり始めたのは何故だったのか。
自信は持っているのに、
自分にない部分に対しては、大きな劣等感があって。

段々彼の周りが気になりだした。
二人でいるときも、ただ彼の後ろに立ってる女性にすら、嫉妬する。
年下の可愛い子が、彼の隣に似合う気がする。
背も年も、彼より上で。気がやたら強いだけの自分より。
ほんとに透は、あたしでいいんだろうか。

それは反動だったのかもしれない。
これまで、こんなにも誰かを好きになった事がなかった香夜だったから。
逆に不安になってしまって。そんな自分をもてあましたのだ。

沖縄旅行は香夜の提案だった。
恋人同士としては最後の夏になるはずだったし。
去年も海へ誘ったのだが、苦手だからと場所を変更されて。
今年はどうしても、綺麗な海に一緒に潜りたかった。

昔から海が好きな香夜にとって、
水の中は特別自由に素直になれる場所だった。
だからこだわった。潜ってなら、可愛く笑える気がした。
やっと透をうんと言わせたのに。

今、彼の隣にいるのは自分じゃなくて。そこで笑っているのもー。
あたしが頼んだのに。
なんて勝手なんだろう。彼の隣にいる彼女を憎らしく思うなんて。
香夜の胸を激しい自己嫌悪と嫉妬が苛んでいた。

その間にあたると透はひととおり説明を受け、足ひれを持つと船尾に向かった。
腰掛けると手にしていたそれを装着する。
「じゃ行きましょうか。」
すでに海中にいるインストラクターの声と共に、あたるは思い切って飛び込んだ。
わずかにためらった透もまた。

ドボン。

初めての沖縄の海だ。
ライフジャケットでプカプカと浮きながら周りを見ると、エメラルドグリーン。
あたるの眼が輝く。
「うわぁ・・・・・きれい・・。」

同意を求めて透をふりかえると、なんだかとまどってる？　海は苦手って。
「透さん、大丈夫？」
「あ、あ。・・・海に入るのなんて、すごい久しぶりでさ。」
なんとか返す言葉。

「でもほら、きれいーー。」
あたるの言葉に誘われるように海を見て。
「・・・・わ・・・・あ・・。」
やっぱり挙がる声。その色の鮮やかさに。
上から心配そうに見ていた香夜がホッとして、それから眉をしかめる。

インストラクターがふたりの様子に、笑みを浮かべつつ促した。
「もっと感動してもらわないと。シュノーケルくわえて下さい。いいですか？」
「は、はい。」
そこからふたりは、初めてを満喫した。

雑誌やテレビでよく見る「沖縄の海」。
凄く綺麗だけど、ほんとにあんななの、と少し疑っていた。それが。
こんなに掛け値なしだなんて。
珊瑚の林を原色の熱帯魚が鳥のように舞う。
ひらひらとエメラルド・グリーンの海中で。

それはこの海の特別な景色ではなく、ほんとにどこもかしこもそうで。
声を出せるものなら叫びたい。一人じゃ勿体ないよ。
そう思うのに。
パッと振り向いたら、そこにいるのはインストラクターと透。
あたる同様、初めての景色に眼を奪われている透は気づかず、
インストラクターはあたるに軽くうなずいたくれるけど。

ーいないー

こんなに綺麗なのに。一緒に見たいのに。
なんでいないの？
ウロウロと眼を彷徨わせるあたる。でも求める姿はどこにもなく。
迷子のように心細くなる。胸が痛い。

あたるの肩がトントンと叩かれて、
インストラクターがあっちへ行くよと合図した。透も笑顔で。
なんとか笑みを浮かべ動き出しながら、あたるはやっぱり探していた。
彼を。

クルーザーの上でひとり、寝そべっていた香夜。
今頃透は、鮮やかな南国の海を楽しんでいるだろうか。あたると一緒に。
きゅっと唇をかむ。
そこへザバーッと音。スタッフと共に天羽が戻ってきた。
レギュレーターとタンクをはずしてと天を仰いでいる。

「早いじゃない？」
「久しぶりで。体がついていかない。なまってる。」
「そんなに久々？」
「ああ。年かな。」

「やだ。」
「３０越えるとね。」
冗談交じりの天羽の台詞に、しかしビクッと香夜は反応する。
「・・・３０・・か。」

「ん？　なんだ、まだ３０前だった？」
「失礼ね。いくつだと思ってたの？」
「その辺。」
「その辺ってどの辺よ。」
「絡むなよ。そんなに気になるか？」

上半身を脱いで水を口にしながら、天羽がぼやく。
「彼氏の年も。気にしすぎだぜ。」
「うるさいわね。自分だって気にしてたくせに。
　透と仲良くしゃべってる彼女。」
図星を指されて、天羽がまた不機嫌になる。

「・・・やっぱり年が近い方が楽よね、お互いに。」
「お互い？」
「あなただって実は、あたしくらいの年の人がいいとか。」
思いもしなかったらしく、鼻で笑われた。

「俺はあいつの年に惚れた訳じゃないから。
　あいつがあんたと同じ年なら、それはあいつじゃないだろ。
　あんたの彼氏があんたより年上だったら、あんたは安心したのか？」
痛烈な言葉に香夜は黙った。
年に惹かれたわけじゃない。わかってるのに。

「ずいぶん、自分の気持ちに自信あるんだ。」
「そりゃ自分だから。相手はともかく、自分の事はわかるさ。」
「相手の事はやっぱりわからない？」

不意に重なって聞こえた声。
『好きな人の事はわかりたいって思うんじゃないかな』
なんで今頃思い出したのか。昔のあたるの台詞。
まだ人の事なんてどうでもよかった頃。

「簡単にはわかんないさ。・・・わかろうとはしてるけどな。」
ぶっきらぼうだった声が、急に柔らかくなった。遠くを見る瞳が優しい。
ふりかえるとそれが消える。
「飲み物、とってきてやるよ。」
「あ、ありがと。・・・ジンジャーエール。」
「ＯＫ。」

あたると透がひとまず引き上げて来た頃には、二人はくつろいで談笑していた。
天羽もとりあえず不機嫌をひっこめたようで、香夜に笑顔を見せている。
あたるは胸がチクッとする。
ふたりに気づいて、香夜がニッコリ笑う。

「おかえりなさい。どうだった？」
「あ、はい。すっごくきれいです。ね？」
同意を求められるまでもなく、透もうなずく。
「ああ。こんなにきれいだとは思わなかった。」

「ほんと？　気に入ってくれた？」
香夜のどこか心配そうな問いに、透はまたうなずいた。
「すごく。サンキュ、香夜。誘ってくれて。」
透のその言葉に、香夜は心から安堵したのだけれど。

「連れがいるのも正解だったよ。気を楽にして潜れたし。」
透が楽しそうにあたるにふりかえったから、微笑みはそこで強ばった。
「今度は。」　香夜と一緒に。
言いかけた透の言葉はしかし、さえぎられて。

「そう思ったのよ。よかった。じゃダイビングもやるでしょ？」
早口の香夜の言葉に、
スーツを脱ぎかけていたあたるが思わず聞き返す。
「・・・へ？」
「体験ダイビング。せっかくだもの。ね？」

今度は香夜が、天羽に同意を求める。
天羽は水のボトルをもてあそびながら、あさっての方を向いて。
「だな。機会ってありそうでないし。」
「だ、だって・・。」
「大丈夫ですよ。出来ます。」
インストラクターの気楽な保証。

「あたしの最初も沖縄だったのよ。あなたは？」
「俺はさ・・・。」
経験者同士の話を始めるふたりに、
初心者の二人はなんとなく不安で顔を見合わせる。
ーー楽しそうだな。あんなに怒ってたのに。

潜ってる間中、天羽を無意識に捜していたあたるだったから。
ふたりを見るのが辛い。
相変わらずあたるに向かっては話しかけない天羽。

「じゃ、一息ついたらタンクつけますよ。」
「え、ほ、ほんとに？」
ものすごく不安そうなあたるに、透がふと言う。
「・・天羽さんについてもらったら？　一人に一人つけば安心でしょ。」
助け船のつもりだったのだが。

「いや。最初から頼るつもりじゃ返って危ない。俺はつかないほうがいい。
　じゃ、もっぺん潜ってくるわ。」
あっさり言われてしまった。その言い方があまりにそっけなくて。
香夜すらちょっとあわてたが、
天羽はとりつく島もなく立ち上がると、行ってしまった。

「大丈夫ですよ。シュノーケルができれば問題ありません。」
インストラクターがとりなすように言う。
透が困ってる。香夜まで。そんな空気がわかるから。
「はい、大丈夫ですよね。やってみます。」
笑顔で、天羽の言葉に潤みかけた涙を呑み込む。
しょうがないよね。今日の予定を決めたのはあたしだもん。

「香夜さん、行ってきます。もうちょっと透さん、お借りしますね。」
「・・う、うん。よろしく。」
無理を見せないようにして。尚自分のことまで気遣って。
なんだか恥ずかしい。
あたしよりずっと若い彼女。

『あいつは俺の百万倍、お人好しでおせっかいなんだ』

ーーほんとだね。百万倍以上？

精一杯背筋を伸ばして、海へ飛び込むあたる。
小柄な姿が大きく見えた。ひきかえ自分のちっぽけなこと。
続いて飛び込む前にふりかえった透が笑って手を振る。
思わず振り返すと、胸に広がる温かさ。

素直に思うだけでいいはずなんだー。

タンクとバラストをつけると、あたるの体重の半分近い重さだ。
地上ならまずひっくり返る。水中だからこそだなとしみじみ思う。
レギュレーターをくわえて呼吸を練習する。
・・・息が出来てるのかな、これ。まさか溺れないよね。

しっかりしなきゃと思っても不安だ。
インストラクターはニッコリしてくれるが。
苦しいのは、背負ってる重さやスーツで胸が圧迫されてるせいだ。
慣れないから余計に。

やがて意を決した二人の背後から、
インストラクターがジャケットのコックをひねると、一気に体が沈み始めた。
一瞬パニックを起こしかける頭。
息！　息が！　良之！
そこで目に浮かぶ顔と声。　『人を頼るつもりじゃ返って危ない』

違う。

冷たいんじゃないんだ。あれは。

えっと、水抜き。それから耳抜き。
目の前にインストラクターが来て、一緒にそれを教えてくれる。
あ、こうか。気づくと落ち着いて呼吸ができるようになっていた。
隣の透も同様だ。

ゆっくり沈み続ける体はバランスをとるのが難しい。
クルッと回りかけるのを必死で立て直す。
耳抜きも忘れず。
落ち着けー。

足がついた？　それほど深くはない。５，６メートルくらいだろうか。
白い砂地は珊瑚。視界が真っ青。海の中ってこうなんだー。
水面近くのような色鮮やかさはないけれど、カラーの無声映画。
ゆったりと横切る魚。

インストラクターがボードで聞いてくる。
『大丈夫かな？』
あたるも透も、右手でしっかり○を作った。
『ＯＫ！』

そこからは夢のようだった。宇宙ってひょっとしたらこんな感じ？
地上だって三次元の世界なんだけど、
人は地上では重力に縛られているから、上下を感じる事は稀なのだ。
なのに海中ではそれこそ、前後左右上下を常に意識する。

エサ用に持ってきたソーセージに集まってくる魚が可愛くて、
あたるが夢中になる。
透も又、初めての体験に眼を輝かせる。
思い出したようにあたるが、周囲を見回すのが不思議だったけれど。

最初だから時間は１０分程度。
やがてゆっくり海底を離れると、海面を目指す。
ライフジャケットに充填されていく空気。耳を慣らしながら、ゆっくりと。

時をさかのぼるかのように。
空へ上るみたいに。
ゆらゆらと水面で揺らめく光が、瞳をさして瞬きをくり返した。

さすがに船上へ戻ると、疲れ切っていた。
ライフジャケットを脱ぎ捨ててやっと息をつく。
あー、人間は空気が必要なんだなぁ。足りなくなって初めてわかることだ。
頭がすっきりする。
だらしなく身を投げていた二人の上から、のぞき込んだのは香夜。

「どうだった？」
やっぱり美人だな。まだその声にも姿にも現実味がないあたる。
「面白かったよ。」
代わりに透が答える。

「怖くなかった？」
心配そうに、尚も聞いてくれるので、今度はあたるも言った。
「はい、大丈夫。」
「よかった。」
「良之は・・・まだ？」

「うん。さっきもそんなに潜ってないから。もうちょっとかな。」
「・・・どこにいるのかな。」
「そんなに遠くじゃないはずだけど。」
「・・・みえないから・・・。」
かすかなつぶやきに透があたるを見た。ーああ、だからか。

「気に入ったなら、あたるさんもライセンスとるといいわ。一緒に潜れるわよ。」
「ライセンス。」動く心。
「・・・僕もとろうかな。」
透のつぶやきに、香夜が驚いた顔になった。

「ほんとに？」
「そんなに驚き？」
「だってー。」
「一緒に潜れるんだろ？」

透の言葉に、香夜の顔がくしゃっと歪んだ。
嬉しさと安堵と恥ずかしさと。
「香夜？」
「・・・ありがと。」ささやきに透が微笑んで、その腕を伸ばした。

あたるは気を利かせて、その場をはずした。きっと二人は大丈夫。
良之は？
どこに行っちゃったんだろう？
まだ怒ってるのかな。

ううん、さっきのは怒ったんじゃないね。
海に潜るのに、誰かを頼るつもりじゃ駄目だ。
ちゃんと自分で覚悟しなきゃ。だからあれは彼が正しい。
それはわかったけれど。

朝から。それどころかゆうべから。怒った顔しか見てなくて。
それが寂しくて。不安でしょうがなくて。
船尾の手すりに両腕を持たせて、頭を乗せる。

見上げる空にはサンサンと太陽。
朝早く出てきたのに、もう昼かな。
良之ーー。

「あたる。」

急に呼ばれてパッとふりかえった。いつのまにか戻ってる天羽。
「うまく潜れたのか？」
いつもと同じ調子で、いつもと同じ、ちょっと意地悪な顔つきで。
「溺れなかったみたいだな。なんとか。」

ウェットスーツを上半身ぬきながら。
減らず口をたたいていた天羽だが、見直したあたるの顔にあわてた。
「おい、どうした？」
あたるの眼からポロポロ涙が落ちる。

一応泣くまいと思ってるらしいが、かみしめる唇も握りしめる手も。
力のはいる肩も。
ちっとも目的を果たしていないようだ。
光をはじく涙の粒が、惜しげなく伝い落ちている。

「こら、泣くな・・・っていうか何で？」
「・・・って・・・全然しゃべってくれなかった・・・」
確かにそのとおり。自覚は十二分。尚もしゃくり上げるあたる。
濡れた前髪をかきあげた天羽は、歩み寄るとあたるの体を抱える。

「悪かった。・・・ちっとすねた。」
「・・・っ・・えっ・・んっ・・」
「あっちもおさまったみたいじゃん？」
天羽の視線がとらえる香夜と透。

「・・・たし・・・何も・・してな・・よ・・」
「でもたぶん、おまえのおかげだろ。つきあってやったから。」
「・・・も・・う・・・怒ってな・・い・・？」
「んー、しゃあないよな。そういうおまえに惚れたわけだし？」
いつもなら顔を赤くする言葉にも、ただ泣きじゃくるだけ。

やれやれ。
バカンスだってのに、ようやく抱きしめたのは旅も半ばになってからか。
やっぱこれってブーイングだと思うんだが。
これ以上泣かしてもいい事ないから、言わないけどさ。
あたるの髪を梳きながら、天羽は胸でつぶやくに留める。

「ねー、お昼にしましょう。」
やがて香夜が元気に呼ぶ声が聞こえた。

美味しいサンドイッチの昼食。
あたるも透も初めてのダイビングとシュノーケリングでおなかはペコペコ。
もちろん天羽も。香夜だってそれなりの食欲だ。
やっとうち解けた４人の間で、いろんな話がとびかった。
仕事やダイビングやそれぞれの。

「何？　あなたたちもう一緒に暮らしてるの？」
香夜の声がひときわ大きくなり、あたるが又赤くなる。
「なんだ、そうだったのか。へえー、意外だった。」
「そっか？」天羽は平然。

「どの辺が？」
「どの辺って・・・彼女よ。なんか初々しい。」
香夜の言葉にあたるがウロウロ。
「それはあるか。こいつのは性格だから、どうにもならないみたいだけど？」
天羽の視線にも逃げるしかない。んなこと言われたってね。

「ずっとこうなんだ？」
「そ。何遍Ｈしても。」
「よっ、よしゆきっ！　何言ってんの！」
「間違ってねえだろ？」
「ば、バカぁああっ！！」
あまりのストレートに、香夜も透も笑うだけ。負けるな、こりゃ。

そうこうしてるうちに、船は移動して次のポイントにたどり着いた。
もう一度ダイビングは？　とも誘われたが、あたるも透もかなり疲れている。
タンク背負って潜るのは緊張と体力を強いられるのだ。

「じゃ無理せず、シュノーケルで行きましょう。」
「はい。」
でも潜る楽しさは十分覚えたから、二人とも勇んで海中へ。

「香夜、行ってくる。」
「ええ。」
「あれ？　良之？」
気づくとすでに消えている天羽に、あたるは口をとがらせる。

「もー、声くらいかけていけばいいのに。」いかにも寂しげな声に香夜が慰めた。
「時間が惜しいんでしょ。空模様もあるから。」
言われてみると午前中より雲が出てきた。
「行きますよ。」

新しいポイントは前より水深が深い。透明度は一段と上がってるかも。
それと注意されたが、流れが前より強いようだ。
３人だけなのでお互いを見失う事はまずないが、
ボーっとしてるといつのまにか距離ができてしまう。
気をつけながら楽しむ珊瑚礁と魚たち。でも。

透は、やっぱり思い出したように周囲を見るあたるを気にしていた。
あれ？
あたるにつられて視線を泳がせた透が、ずっと彼方に見たのは。
急いであたるの肩を叩いてそっちを指さす。

ゆっくりと海上へ上っていく人影。あれはたぶん。
あたるの眼がゴーグル越しでもはっきりわかるほど、嬉しそうに輝いた。
・・・なるほどね。振り向いた笑顔が透の胸を温かくする。
素直な思いに教えられること。

上がってきた天羽に、香夜が声をかけた。
「また早い？」
「んー、疲れた。やっぱり体力つくっとかないと駄目だな。重くて。
　ずっと仕事が立て込んでてろくに動いてないから。無理はやめた。」
「そう。あたるさんがすねてたわよ。黙っていくから。」
「ふーん・・・じゃ。」
バラストをはずして頭を振って水を切ると、予備のシュノーケルをつかむ。

「何、又行くの？　バテたんじゃ？」
「浅瀬なら平気。姿みえてるしな。あいつがすねるとマジに怖いし？」
「あら。あなたの方が怖いと思ってた。」
「あー、俺もそう思ってたんだけどな。前は。」
ウィンクすると飛び込んで、しなやかに近づいていく。
眼をパチクリさせた香夜。

「・・・あんな顔もするわけね。なんだ、いい男じゃない。透には負けるけど。」
言ってからハッとして、キョロキョロする。
誰も聞いてなかったよね。やだ、あたしったら。
頬がほてる。

ふたりのペースに乗せられてるかも。
でも。それが一番いいんだ。素直に。
彼女や彼のように。

一瞬見えた天羽の姿に安心して、再び魚に夢中になっていたあたる。
ふと、大きな影がよぎるのに気づく。サメ？
ギョッとしたが。
ゆったりした泳ぎで降りてくるのは。

溶けるようなあたるの表情を眼にして天羽は思う。
・・・んと、勝てるわけないよな。おまえに。
伸ばした指先をきゅっとつかんで、初めて水の中で交わす笑み。

見ていた透は強く思った。
今度必ず香夜と来よう。僕も彼女と潜ろう。
指を伸ばすだけ。笑みを交わすだけで。こんなにも満たされるお互いになろう。

暮れかけた海に、夕陽が描くオレンジの道を、船が走っていく。
香夜とあたるは、船室でくつろいでいるうちに眠っていた。疲れたのだろう。
男の方がやはり体力はあるらしく、
天羽と透は鮮やかな海をみながら、ぼつぼつと話をしている。

「ーいろいろ、悪かったですね。」
「まさかこういう旅になるとは、思っても見なかったよ。」
天羽が苦笑する。そりゃそうだろう。

「でも、お二人には悪かったですが、
　僕らはおかげでひと山越えられたかも知れない。」
「山？」
「海かも？」
クスッと笑って。

「気にしてないつもりだったけど。
　香夜はずいぶん年上とかいろんなこと、気にしてたんですね。
　僕は彼女が上な分、束縛を嫌う気がして。あまり拘束しないようにって。
　それも逆効果だったようだし。」

「でもさ、それを機嫌にだすだけ、可愛いんじゃない？　わかりやすくて。」
「・・・そういうことになりますか。」
「束縛のバランスって難しいから。お互いの距離は時間で覚えるしかないだろ。」
「ええ。」

「とんでもないわがままな女王様かと同情してたんだけど。
　そうでもなかった。結構素直？」
「あたるさんほどじゃないですよ。彼女ほんとに、ストレートですね。」
「・・そうかな。」

「ええ。みえない所でもストレート。」
「？」
「一緒に潜ってる間中ずっと、思い出したように周りを気にしてて。
　何か探してる感じだったんです。」
「あいつが？」何を？

「何だろうって思ってたら・・・あなたでした。」
「俺？」
「水の中でもあなたの姿が見えないかなって、ずーっと意識してたようですよ。」

－ずっと。

「２度目のポイントで、チラッと遠目に浮上していくあなたがみえたんです。
　そしたらすっごい嬉しそうで。」
「・・・へえ。」
「あなたがシュノーケルで来た時なんて、シッポがみえそうでしたね。」

「猫みたいだろ。」
「猫はあんなに素直じゃない。」
「素直な猫？」吹き出す二人。

「羨ましくなりました。ほんと信頼してる感じで。僕らもそうなりたい。」
それは賛辞だろうけど、天羽の胸にはちょっと痛い響き。
「そりゃ買いかぶりすぎ。まだまだお互い手探りだって。俺たちも。」
穏やかに否定する天羽の表情に、透は別の顔を見た気がした。

「男よりさ・・・女の方が強くてでかい。負けるぜ。男もしっかりしないとな。」
「天羽さん。」
「式までまだ色々ありそうじゃん。あの女王様相手じゃあ。」
笑いに紛らわせようとする。
「脅かさないで下さいよ。」

４人を乗せて走る船。落ち行く太陽を背にたどる航路。
空では闇が、陽を追い始めていた。