洋輔の運転する車は、高速を東京へとひた走る。
　車内を沈黙が支配していた。

　ホテルを出てかれこれ一時間経つのに、洋輔は一言も話していないが、助手席の実紀はそれどころではなかった。
　康平の姿が、声が、言葉が、実紀の脳裏に渦巻いている。

　六年ぶりなのに、彼だとすぐにわかった。別れてからもずっと、心の中で彼を追いかけ、想像していたから。
　十九の彼、二十歳の彼、二十一の彼。

　今日、二十四になった康平に逢った。

　平日の仕事帰り、役所勤めだからか、背広姿だった。
　洋輔のようなブランド品ではない、かといってペラペラの廉価品でもない。長く使える良い品を少し無理してまとう。そういうところが康平の昔からの長所だ。

　密かに願っていたように、色褪せ輝きを失ってっはいなかった。それどころか活力、思慮深さと奥行きを増して、一段と魅力的になっていた。

　かつての実紀が期待したとおりの彼だ。
　なのにもう、実紀のものではない。
　汝月のものだった。

　厳然とした事実がナイフとなって胸をえぐる。それでも逢えて嬉しいと思ってしまう。
　康平の目に自分はどう映っただろう。
　逢うのがわかっていたら準備したのに。もっと念入りに、それでいてさりげない化粧と衣装を。

　たまたま、気に入りの服を選んでいて良かったと何度も思った。好きだった人との再会にみすぼらしい姿だったら、泣くに泣けない。女なら誰だってそう思うはず。

　好き、だった？
　違う、今も。

　「無口だね」
　鼓動が飛び跳ねた。いけない、隣の洋輔を失念していた。
　「あなただって」
　平静を保つのよ。声が震えてないわよね。動揺を隠さなくちゃ。
　とっくに悟られているとしても。

　「偶然だった？　それとも」
　「偶然に決まってるでしょ」
　強い調子の早口に彼が嗤う。
　「何が、とは聞かないんだね」
　口を噤むしかなかった。
　「偶然だった。でも、期待はしていただろう、こっちに来るときはいつだって」
　やっぱり洋輔には隠せない。わかっていて聞いてくる。
　「久しぶりで、話は弾んだ？」

　腹を立ててもいいはずだ。その方が自分らしいとわかっているのに、後ろめたさに負ける。
　でも、負けっぱなしではいない。

　「二次会。面白い企画になりそうだわ」
　「企画？　どんな」
　「私の好きにしていいって言ったでしょ」
　「言ったっけ」
　フロントガラスをにらんでいる彼の目が、実紀の嫌いな悟りきったものから、警戒心へと変わった。まだその方がいい。

　「きっと面白いわよ。言ってみれば昔の文化祭ね」
　「三年やったけど、どんなのだい」
　彼の警戒心が強まる。急におかしくなった。
　なんだか可愛い。
　「いつから私を好きだったの？」
　瞬間、彼がこっちをみた。あわててハンドルを握りしめ、視線を前に戻す。

　「驚かせるなよ。運転中に」
　「聞いたことなかったから。いつから？」
　「言わない」
　「どうして」
　「秘密だ」
　「ずるい」
　「そっちこそ、どうしてそんなこと」
　「あなたがうまくやれるかしらって」
　「何を」
　「《花嫁を探せ》って企画なの」
　「何だって？」
　「後夜祭でやったでしょ。仮装パーティーよ。女性はみんなお姫様になるの。男性は脇キャラ。あなたは時間内に私を見つけだすのよ、必ず」

　こっちを伺う彼の目が見開いていくのが楽しい。
　「どう思う？」
　「……参加者は何人ぐらいになりそうだって？」
　「さあ。うちの学年は八クラス？　九クラスだった？　一クラスが三十五、六人だったから、三百前後。全員ってことはあり得ないけど、二百としても、半分が女性。お姫様が百人。壮観ね」
　「その中から君をみつけるわけだ」
　「そうよ。できる？」
　挑発してしまったかもしれない。

　洋輔が急にハンドルを左に切ったので戸惑った。路肩に車を寄せて止めると、こっちを振り向く。
　いつシートベルトをはずしたのか。助手席に座ったままで、実紀は洋輔の深いキスを受け止めるしかなかった。

　深くて重い。
　そして切ない。

　彼はいつも実紀をこんな気持ちにさせる。
　一途に求められて幸せなはずなのに。
　花嫁になるのに。

　どうして涙が流れるの。

　頬の滴が吸い取られる。
　まぶたをあけると、息がかかる距離で彼が見返す。

　「千人の中からでも、僕は君を見つけてみせる。必ず」

　彼は嘘をつかない。
　ふさわしくないのは自分だ。それが苦しい。

　まじりけのない愛に貫かれながら、実紀は痛みに耐えていた。





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