結局、俺の役所は三枚目か。

　見たことのない形相で対峙する康平と、その陰で固まる汝月を前に、甲斐は自分の立ち位置を確かめていた。


　恋敵ではない。間男でもない。
　どちらかならまだ救われるだろうに、現実はただの片思いどころか、遠い過去にしまいこんだ憧憬に近い。

　告白もできなかった情けない男だと、いまさら、こんなところで暴露するのはごめんだ。
　甲斐は両の手のひらを突き出した。
　「まて康平、待てって」
　つり上がった康平の眉はぴくりと動いたが、下がらない。
　「汝月もなんとか言ってくれよ。これじゃ俺が悪党じゃんか」

　汝月が我に返り、後ろから康平の腕をつかむ。何気ない仕草に滲む距離感が、針となってちくりと甲斐の胸を刺す。

　「落ち着いて、康平。どうしたの一体」
　「詰め寄られてたじゃないか」
　「違うの、私が」
　「林子の話を持ち出すから、行方を知ってるかと思ったんだ。俺も探してるんだよ」
　「そうなの？」
　汝月の声音が驚いている。

　甲斐がうなずくと、康平は確かめるように汝月を振り返った。
　狼狽えるのは汝月の番らしい。しどろもどろだ。
　「えっと、甲斐のスキャンダル。前の噂じゃ林子とつきあってるって聞いてたから、別れたのかと思って」
　「まだつきあってるのか？」

　向き直った康平に真顔で聞かれた。
　否定はできないが、肯定もできない。そもそもこの二人に問いつめられるのは腹立たしい。
　やけくそになって甲斐は叫んだ。
　「愛想尽かしたのはあいつの方だ。言っとくけど、例のスキャンダルより前の話だからな」
　「ふーん」
　康平が考え込む。汝月も似たような顔だが、目が泳いでいるのが気になる。やっぱり何か知ってるのか。

　機先を制し、汝月に別のことを聞いたのは康平だった。
　「甲斐に会うってなんで言わなかった」
　ここに来ると言ってなかったらしい。非難の響きに汝月が又、口ごもる。
　「用事をすませた後の思いつきだったの。ここにいるって確かめたわけじゃないし」
　「甲斐も甲斐だ。俺んちまで来たくせに、その後、なしのつぶてはないだろう」
　矛先がこっちに回った。守勢に回ってばかりだ。

　「いろいろあったんだよ。一番は親父だ」
　「お父さん？」
　「久々に戻ったら、体調を悪くしててさ」
　ふたりが黙った。こういうところが似ている。人の心の機微に聡いところ。
　「具合、悪いの？」
　「元から虚弱体質なんだ。俺も心配かけてるし、おまけに」
　母のことを言いそうになって、なんとかごまかす。

　「……いろいろあってさ。俺の顔見て気がゆるんだんだろ。倒れちまった。病院で診てもらって、今はうちで寝てる」
　「そう、だったの。大変だったのね」
　こんな時でも汝月の目が優しくなるのが嬉しい。
　「二次会どころじゃないなら、俺から洋輔たちに断ろうか？」
　気遣いはありがたかったが、甲斐は首を振った。
　「急に悪くはならないと思う。手配と当日だけならなんとかなる。準備はあまり手伝えないかもしれないが。すまん」
　「いいのよ」
　「いいって」

　シンクロに苦笑いする間に、ふたりは二次会についてやりとりを始めている。企画、連絡、準備を阿吽の呼吸で。
　ちくしょう。なんだかんだ言っても似合いだ。反対する理由なんてひとつもない。

　あの頃も汝月は康平が好きだった。

　口にもそぶりにも見せなかったけれど、汝月の目は康平を追いかけていた。自分が汝月を追いかけていたのと同じ。
　康平が汝月の想いに気づかなかったように、汝月も甲斐の想いに気づかなかった。それで良かった。
　片思いの相似形に安心していたんだ、きっと。

　なのに目の前には、親密な康平と汝月がいる。
　今になってこんなにも気持ちが揺さぶられるのは、自分の片思いだけが実らなかった、それが悔しいんだろうか。
　「康平」
　だからこんな風に、波風をたてたくなるんだろうか。
　「実紀には会ったのか？」

　会話が止んで、康平が甲斐を見た。
　「……ああ、さっき」
　「さっき？」
　反問したのは汝月だ。
　「ホテルで、向こうも打ち合わせだったんだ。後から洋輔も駆けつけて」
　「……そう」

　汝月の怖れが伝わったのだろう、康平も黙った。ふたりの様子に感じたのは後悔か満足か、どっちにしても自分は卑怯だ。
　だったら言ってしまえ。

　「ほんとにこれで良かったって思ってるのか？」

　曖昧だが、三人なら通じる問いだった。
　不意を突かれて康平が動揺する。
　汝月は康平しか見ていない。その汝月を追う自分。

　同じか。
　ひょっとしたらあの頃と、何も変わっていないのか。
　康平も汝月も。俺も。

　実紀は？　洋輔は？
　−−林子は。


　相似形の片思い。
　行き着く先が、甲斐には未だに見えなかった。





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