甲斐の車は地味だ。
白でも黒でも赤でもない、茶色。

今をときめく人気実力随一のロックアーティストにしては、あまりにも地味な気がする。だが、当人は一向に気にする様子もない。

「車はちゃんと走ればいいのさ」

その車が故障するとは。
海岸線の途中で、林子は甲斐と立ち往生していた。



高校時代、すでに地元でカリスマロッカーだった甲斐。卒業後上京して二十歳でデビューし、瞬く間にスターダムへ駆けあがった。ビジュアルも実力も一級品だから不思議ではない。皮肉で破天荒な言動も、人気に拍車をかけるだけ。

一方、林子も甲斐と同時期に上京した。アパレル会社を手始めに自分に得意なことでキャリアを積み重ね、今はスタイリストとして名前が売れつつある。

きっかけは甲斐だった。どこから彼女の名を聞いたのか、ツアーのスタッフをやらないかと声をかけてくれたのだ。実力ももちろんだが、芸能界で顔を繋げられたのは、甲斐のおかげだ。

感謝はしている。
アーティストとして尊敬もしている。

だが、人間としての彼、特に女がらみの彼は最低で、どうしようもない。来る者拒まず去るもの追わずという言葉が、彼ほど似合う男はいない。どうしようもない男。

だったら私はどうなの。
非難する資格なんかないわよね。



うんともすんとも言わなくなった車に、とうとう二人ともあきらめた。甲斐はロードサービスに電話したが、見通しはあまり明るくならなかった。
「高速で玉突き事故だってさ。ほかにも事故が多くて、すぐに来られないかもって」
こういうときはそういうものだ。

「悪いな、誘ったの俺なのに」
「しょうがないわよ。気長に待てば」
「どうせなら帰りに故障すりゃ良かった」

甲斐はさすがに腐った顔だ。
低い天井をにらんで、手はタバコを探している。

「なんで帰り？」
「やることやった後の方がっ、いてえ！」
頭をひっぱたかれて叫んでいる。痛いように叩いてるんだから当然だ。

「ほんっとにデリカシーないわね、ファンが泣くわよ」
「泣くもんか。喜んじまうさ」
「……あのねえ、もうちょっと大事にしなさいよね」
「イメージを？」
「あんた自身を」

くわえた彼のタバコを取り上げた。歌手なんだから喉が大事なのに、なんで吸うかな。言ったって聞かないんだけど長いつきあいだから気にしない。また一本取り出すと思ったのに、甲斐は真顔で林子を見た。

「なに」
「いや」

クスッと笑うとダッシュボードにタバコとライターを放り込む。それから肩を抱き寄せられた。林子の髪に顔を埋めて、また笑う。

「林子ぐらいだよなあ、俺に説教すんの」
「嘘ばっかり。マネージャーとか社長とか、みんなしてるじゃん。あんたが聞かないだけで」
「そりゃ仕事だし。林子は仕事じゃなくても説教するだろ」
「どうして？　仕事のためかもしれないでしょ」

耳元でささやくのはやめて欲しい。こんな路上で、ストライキした車の中じゃどうしようもないのに。同じこと思っちゃうじゃない。どうせなら帰りに止まればよかったって。


なんで彼とこうなっちゃったのか、自分でもよくわからない。いつの間にか気づいたらこういう関係になっていた。恋人ではないし仕事でもない。セフレとは言いたくないけど、友達ってのが一番近い。

やっぱりセフレ？
セックスフレンドって誰が作った言葉なんだか。

好きな訳じゃない。好きにはならない。だって知っている。甲斐に好きな女がいること。女嫌いの彼のマドンナ。手も出せなかった片思いの相手は、林子の友達でもある。ため息がでそうだ。

懐かしい高校時代の仲間は、裏を返すと片思いの矢印がぐるぐる回っていただけなんだろうか。そうとは思いたくない。だって今も大事な友達なのに。思い出なのに


甲斐が耳たぶを噛む。こらこら。

「ちょっとちょっと。ロードサービスが来るかもしれないのに、何をサービスする気？」

熱くなりそうな体をごまかして、甲斐を運転席に追いやる。不満げだが、ここでコトには及べないのは彼だって承知だ。

「畜生、参ったな」

気分転換にラジオをつけたら、クリスマスソングが流れてきた。赤鼻のトナカイ。あまりにもオーソドックス。

「サンタなんか信じたことねえな、俺」
「あたしも」
見交わした目で昔を語り合っても、口には出さない。

「ちっちゃい頃、イブの晩はいつも思ってたの。あたしのサンタはトナカイがストライキを起こしてるんだって」
「ストライキ？」
「そう。毎年毎年働かされてばっかりだって、怒って、ストライキ。だから、サンタは来られないんだって」

思い出すのは苦手だ。苦いことばかりで。

「しまいにクリスマスっていうと思い浮かべるのは、労働争議になっちゃった」
「労働争議だ？」
「トナカイ組合とサンタ組合のせめぎあいよ。トナカイが労働環境の改善を叫んで、サンタが待っている子供たちの心情を訴えて、侃々諤々。プレゼント工場と神様からは矢の催促」

ぶぶっと吹き出した甲斐につられて、林子も笑った。
なのに続きは情けなくなった。

「あたしのサンタのトナカイはずーっとストライキ中だわ」

誰にサンタになって欲しかったんだろうと考える。離婚した父？　情けない母？　それともそれとも。感傷的になりかけて、首をふる。

「あれよ。サンタはなくても子は育つ」
「違いない。ここにもその証明はいるし」
「まさしくだわ。けど」
言うつもりはなかったのに、口からこぼれた本音。

「寂しい子どもだったね、あたしたち」

真っ暗な道をぼんやり見ていたら、不意にキスされた。驚いて固まったけれど、決してエロチックなキスではない、暖かくて優しいキスだったから、林子は目を閉じた。


流れる曲は「恋人がサンタクロース」と歌っている。
もしかして甲斐が恋人だったら、トナカイはこの車かしら。
やっぱりストライキしてるじゃないの。

不意にまぶたが熱くなった。あわてて彼の首に手をまわして、キスを引き延ばした。今は顔を見られたくない。


ストライキしたトナカイのせいで、どこにも行けない二人。
あたしたちにサンタは来ない。
そう思うと切なかった。





　　　　　　　　　　　　＜　The strike of a reindeer ／　end　＞