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| ７． 衝動 | |
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数日前に届いた実紀からのメール。 着信に先だった訝しさが、康平に追い打ちをかけた。 高校時代の６人グループ。男女３人ずつだとカップルが３組と思われがちだが、実際には１組、康平と実紀だけだった。つきあい始めたのは中学２年。告白は彼女からだ。 『桜川くんが好きなの。つきあって』 果たし合いでもするみたいに、はったと見据えられ告げられた言葉。頷いたのは気圧されたから、学年でも一・二の美少女に射抜かれちゃ逃げようがないだろ。 そんな言い訳はすぐに言えなくなった。ストレートで情熱的でパワフル。全身で好意を訴えてくる彼女と、恋に落ちた。 たくさんの「初めて」をふたりで経験した。身体も心も。彼女さえいれば全てうまくいくと信じた瞬間がいくつもあった。でも。 実紀が決して残らないとわかっていながら、この街を選んだのは自分自身だ。期待させて叶えてやらなかった。悲しませた。だから自分の痛みは当たり前だと思っていた。 別れを告げることを二人とも選ばなかった。互いに責めて謝りながらもその後は時に任せて。少しずつ距離が空くことを予想し、実際その通りになっていくのをただ見つめるだけで。 もう半年連絡はなく。この先を選ぶのは彼女だと決めていた康平。 そうして。 実紀は決めたのだ。 「康平」 ゆっくり顔をあげた。夕闇に提灯が揺れる。街灯が作る影がゆれる。その下でためらいながら汝月が立っていた。白地に藍色。胸元と裾に鮮やかに花の開いた浴衣がよく似合った。 二人の向こうでスピーカーから歌が流れる。甲高く急かすように囃すのはどこかレトロな現実味の薄い歌だ。 あの時汝月を誘った理由は、たとえ誰かに聞かれたとしても康平には説明できなかった。 境内は人で一杯だ。参道をはさんで右にも左にも出店が軒を連ねる。焼きそば。イカ焼き。わたあめ。金魚すくい。おもちゃにお面。風船釣り。こういうのは昔とあまり変わらない。逆に今はレトロブームで昔風のものが流行っているせいもあるのだろう。 それにしてもずいぶんおとなしいな。楽しそうに歩く汝月を康平は見下ろした。隣から逃走しない相手は初めてかもしれない。 父が早く死んだあと祭りとかのイベントに妹を連れて行くのは康平の役目だった。５つ下の真衣はいつだって自分よりずっと幼くて、じっとしているわけもなく。康平を引きずるようにしてどこでも覗き込み、手を出し駄々をこねて。手がかかることこの上なかったっけ。 そういえば実紀も同じだったな。浮かびかけた過去を封じる。今はあまり思い出したくない。 「たこ焼きとやきそばだったらどっちがいいと思う？」 突然聞かれて康平は我に返った。隣を見ると汝月は真剣に悩んでいるらしい。右のたこ焼きと左の焼きそばの間を黒目が行ったり来たりしている。器用だな。 「両方食べれば」 「そんなに入らないもの」 「分ければ入るさ。俺が焼きそば買ってくる」 「え」 顔を上げた時には康平はすでに背中。見送った汝月の顔はゆっくり笑みにほどけて、あわててたこ焼きの店に走った。 参道のにぎわいから少し離れて、といっても提灯がぶら下がる範囲の適当な石の上に、二人は並んで腰を下ろした。二人の間には白いビニール袋から取り出された焼きそばが２パック。汝月が言う。 「多すぎるってば」 「俺ひとりでも食べきれる」 確かにそうだ。ならいいか。焼きそばの上に汝月は２パックのたこ焼きを乗せた。割り箸をくわえかけた康平は、すぐさま頭をのけぞるようにして笑い出した。 「なんだよ。食べる気満々じゃん」 「あなたによ。あたしはどっちも半分あれば足りるの」 高校時代から康平の大食らいは有名で。そんな相手に１パックだけ買うのはあまりにも心許なかった。とはいえ汝月の小食もまた仲間内では周知の事実だ。 「相変わらず食が細いな。夏負けするぞ」 「必要な量はとってるもの。あなたみたいに底なしじゃないだけ」 憎まれ口を叩きあいながら汝月はたこ焼きを、康平はやきそばを食べ始める。熱々のたこ焼きをかじりかけでフーフーと冷ます汝月に、焼きそばで頬をふくらませた康平が眉をあげてクッと笑った。 沈黙の心地よさが彼を不思議がらせる。彼女と昔からこうだっただろうか。そこで気づく。昔はふたりだけで居ることがなかった。いつも仲間と一緒で、康平の隣にいるのは実紀で。 実紀。 「おいしい」 ゆっくり目を遣った汝月の笑顔に、同じ言葉で笑う実紀が重なった。 不意にその笑みが強張る。ハッとした康平から顔をそむけるようにして、汝月は食べかけのたこ焼きを置いてしまう。 「…やっぱり私は小食ね。もうお腹一杯」 「汝月」 「康平、食べちゃって。のど乾いたから飲み物買ってくる」 下駄の音が遠ざかる。ひとりが落ち着かなくて康平は立ち上がった。誰もいない隣がそれ以上に空っぽに思えるのはただの感傷だ。わかってる。 実紀のメールがもたらした現実。いつか来ると知っていても。自分が汝月に惹かれているのを認めても、その穴は埋まらない。埋めてくれるのは。 「康平？」 穏やかな声に呼ばれた。灯りを背に紙コップを両手にひとつずつ持って、巾着をぶら下げて歩いてくる汝月。 「コーラでいい？ 聞くの忘れちゃった」 康平の前まで来て、押しつけてくる紙コップを受け取る。 「ひょっとしてビールがよかった？ それは先に言ってくれなきゃ」 ストローを吸う、尖らせた唇の形。押し寄せる衝動をなんとかかわそうとする。 「誰かと連絡取ってるか？」 「何、突然」 横を向きながらまたストローを吸い上げる音。 「林子りんこ はたまにハガキくれるわよ」 「甲斐は？」 ストローから口を離した汝月はまっすぐ康平を見上げてから首を振った。その瞳からのぞいている、何か。 チラチラと掠めるそれは自分と同じだと決めつけて。それを理由に、言い訳にした。ポッカリ空いている穴に落ちないためには彼女が必要だった。 康平の手から紙コップが落ちる。驚く汝月が声を出す前にその肩をつかんで腕の中に囲った。続けて落ちた汝月の紙コップからウーロン茶があっという間に砂利に吸い込まれる。彼女が挙げた声は耳に入らない。 子どもの頃、お腹が痛むと母が枕をあてがってくれた。ぎゅってすると楽だよ、と言いながら。こういうのも刷り込みと言うんだろうか。それともただの衝動。 『 from： 実紀 件名： 報告 本文： 今、洋輔と二人で住んでいます 』 穴の空いた胸に押し当てる汝月の柔らかな身体。 ぎゅっとすると少しだけ、止まない痛みが和らいだような気がした。 ＜ syodou / end ＞ |
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