広い敷地は緑に覆われていた。この会社にすれば常設のプレゼンテーションなのだから当たり前とはいえ見事な眺めだ。

そこここにある案内板のウサギは”Rabbit　Field”のマスコットキャラだと説明される。一星と光姫が抜けていくのは迷路のような小道。テーマはワンダーランドだとか。ウサギに導かれる不思議の国だと一星が笑った。

「普通のエントランスもあるんだけどね。手入れしてる連中が凝っちゃうんだよどうしても。職業病だね」

枝が覆い被さる小道がいきなり開けると大きなビルが真正面だった。その１階にも色とりどりの花と緑がところせましと溢れていて驚く。

「あっちに見えるビルがRabbit　Fieldの本社。ここはSnow　Rabbit。年中あわただしい」

なるほど。ガラス越しにも花の間を行き来するスタッフがたくさんいるが、皆忙しそうだ。


脇にある別の入り口へと一星は光姫を促した。フロアに上り下りのエスカレーターが並んである。上へと向かった二人の反対側を駆け下りていく数人、その誰もがスーツの美形で光姫が目を丸くした。

「一星じゃん。美人連れて。バイトの紹介？」
「違うって」

すれ違うお互いが興味津々の視線を交わす。一人が綺麗なウィンクをくれた。

「姫。口が開きっぱなし」
耳元で囁かれあわてて手のひらで隠した光姫はクスクス笑う一星をにらんだ。どうやら朝聞いた話はホントらしい。ウソくさいと半信半疑だったけれど。


エスカレーターの上がり口からすぐ、Fairy　Office　と花文字が読めるドアを一星は無造作に押し開ける。そこはオペレーションルームだった。

「ムリですね。今日は一杯。これ以上入れられない」
「とにかく人がいないんだ。大体うちは三日前までの予約が必須でしょうが」
「容量オーバー。あとは通常お届けに限って」

とびかう声のすごさに光姫が怯んだが一星は平気で奥へと進んでいく。仕方なくついていくとパーテーションで仕切られた広めの一角があり、その中へ踏み入った。

「なーんでこんなに混んでるんですか」
広いデスクでパソコンに向かっている男が眼をあげた。

「なんだ。今日は絶対オフだってつっぱねたくせに」
「オフです」
「じゃ何しに来た」
「チーフに身の潔白を証明してもらおうかと」
「アホか」
ふんぞり返った男が机の上に足を投げ出す。

「こないだのヘルプをばっちり見られちゃって」
「あー、あのデート？」
「デートじゃないって！」

目の保養だと光姫は思った。ただの美形じゃない。雰囲気がある。柔らかな茶髪に鋭い目つき。耳に星形のピアスなんてできすぎだ。相手も光姫を品定めしているようす。

「美人じゃん。おまえ面食いの上にやっぱ年上が好みだったな。ちょっと貸さない？」
「冗談になりません」

一星がニコリともせず一蹴すると相手が吹き出した。男の色気がこぼれる笑み。つい見惚れると肩をつつかれた。一星が睨んでる。男の笑いが高くなった。

「メロメロだな。一見の価値があるよ、彼女もおまえも」
「勘弁して下さいよ」
わざとらしく咳払いした後、一星は改めて紹介してくれた。


「シンデレラ・パッケージのチーフ、天川てかわ　さん。エスコートの手配を全て管理してる」
「スーツの美形の元締めってこと？」
「ドレスの美人も随時募集中なんだ。彼女、バイトしない？」
「天川さん！」

「右生ゆう？　１５時の人数集まった……あらお客様？」

飛び込んできたのは同じスタッフなんだろうか。ポニーテールにスタッフエプロン。手には大きな花束。小柄な女性は光姫より若そうだった。美人というより可愛い。

「彩芽あやめ　さん。こんにちは」
一星の眼が見るからに優しくなるのが、光姫には気に入らない。

「彦根くん？　ヘルプ……じゃないわね？」
光姫と見比べ語尾が疑問形になる。

「すみません、今日はちょっと」
「残念。急な注文でてんてこまいなのに。デート？ならどうしてこんなとこ」
「こんなとこで悪かったな」
「ああそれどころじゃ。だから１５時は？」

口を挟んだ天川。向き直った彼女は天川のうしろへ廻ってパソコンをのぞきこんだ。

「さっきつかまえた。間に合う」
「ほんと？良かった。真白さんが心配しちゃって」
「感謝しろよ」

肩越しの笑みはとびきり甘い。光姫は目を見張った。彩芽が赤くなったから余計に。
「馬鹿。仕事でしょ。あ、あたし行かなきゃ。彦根くんまたね」

行きかけた彼女がうなじをつかまれた。抵抗も出来ぬまま塞がれる唇をまるで映画みたいだとただ眺める。やっと引きはがした彩芽は沸騰したやかん並みだ。恥ずかしさと怒りと別の何かで真っ赤。

「右生！　仕事中はやめてってば！」
「はいはい。昼の分は終わり。また夜にな」

性懲りもなく額にも口づけられてはいたたまれまい。二人にペコッと頭を下げ、捨てぜりふと共に彼女は退散した。
「覚えてなさいよ！」

あきれ果てている光姫に一星がフォローを入れた。

「彩芽さんと天川さんは恋人同士なんだよ。周囲公認。別にここが節操ない職場ってことじゃないから。天川さんもちょっかいは彼女だけだし」
「そうそう。うちはごく健全なバイトだから。仕事はあくまでもドレスアップしてのお届けのみ。心配しなくていいよ。……って言って欲しいんだろ、一星」

一星がガックリ肩を落とす。

「まるっきり信憑性のないタイミングで言ってくれますね。大体勝手に仕事を押しつけるのは天川さんじゃないですか。登録もしてないのに」
「いーじゃん。手の空いてる時だけだし。俺の頼みが聞けないっての？」
「いっつもそれなんだから」
ぶつぶつ言いながらも怒らない一星が意外だ。光姫は首をかしげた。

「よっぽど弱みを握られてるのね」
「違うって。いろいろ世話になったから」
「俺の弱みは美人だけどね。せっかくだから名刺くらいもってって」

差し出されてつい自分の名刺も出してしまうのは社会人の悲しい習性、条件反射か。
「あ、っと。やだ」
「もらっとく。へぇ主任？　ますます好み」
「天川さん」
一星の声が尖る。やれやれと思うのは天川もらしい。

「名刺くらいでめくじら立てるなって。用が済んだらこき使われないうちにさっさと行けよ。忙しいのはマジなんだ。猫の手にしちまうぞ」
「ヤバイ。逃げよう」
一星が姫の手首をつかんでさっさと出て行きかける。

「彼女」
振り返ると天川が浮かべている笑みは今までと違う。やけに鷹揚な。

「そいつ。ちっと手がかかるけど、よろしく頼むわな」
そんなことを彼に言われるとは思わないからびっくりした。一星がグイと手を引く。
「なに保護者ぶってんですか全く。　姫、行くよ」

前を行く背中が照れている。光姫が浮かべた笑みは多分、さっきの天川と少し似ていた。