音が聞こえた。

ミツバチが飛ぶ時はあんな音だろうか。
それにしちゃ大きい。大きくて規則的。どんな種類？
ハチは花につきもののはず。
今度聞いてみよう。

誰に？


「……ええ俺です。え？　今日はムリ。入れてませんよね」

そう、彼に。


ぼんやり開いた光姫の眼に裸の広い背中が眩しかった。予想外に筋肉質で少し盛り上がっている肩。右の肩胛骨に小さなほくろが一つ。

そこに口づけたゆうべが記憶の海から浮かび上がってくる。鼓動がランニングレベルまで上がる。初体験の少女でもなかろうに。幸福感で胸が痛い。


「とにかく今日は勘弁です。ていうか、俺はあくまで助っ人ですし」

気配を感じたのか一星が振り向いて眼があった。笑みへと変わる直前、わずかに走ったものを光姫は見逃さない。この上なく甘いはずの朝には似つかわしくない狼狽。

忘れていた疑問。夕べ思い出すべきだった問いが突然ドンと心に居座った。負けないつもりなら甘さに酔って忘れたい今こそ、聞かねばならないとわかっていた。

シーツごと身を起こして携帯を切った彼に向き合う。


「誰かとつきあってるの？」

彼の眼に燃え上がった怒りの炎に安堵と喜びが半ばした。大丈夫。思う間もなく再びベッドに押し倒された。爛々と鋭いまなざしまでは十数センチ。


「俺が二股かける奴だと思ってるわけ」
「思ってないけど」
否定は短いが即座で、肩をつかんでいた指から力が抜ける。

「説明はして欲しい。花束を捧げた女性について」
体勢を変えぬまま形勢は逆転した。じっと見上げる光姫。みじろぐ一星。

「彼女、誰？」
「よく知らない」
「ふつうは見も知らぬ女性に花を贈らないんじゃない？」
ため息がふわりとかかる。

「あのさ。俺」
「話をそらさないで」
「ちがうって。Rabbit　Fieldの他でもたまに。他つっても同じとこなんだけど」

もぐもぐと語尾が聞き取りにくくなる。ごまかされまいと起きあがった光姫が鋭く見据える。

「Snow　Rabbitって知らないか」
「スノー・ラビット？」
「Rabbit　Fieldの一部門。切り花を専門に扱ってるんだ。そこでお客様の要望があれば当日のお届けに、タキシードのハンサムとかドレスアップした美女とが派遣されるサービスがあって」

思いもかけない説明に光姫は警戒を解いてポカンと聞き入る。

「今や売り上げの柱にもなってる人気サービスなんだよ。短時間でも時給高くて稼げるんで、俺も助っ人で時々……」
「何それ？　ひょっとしてこないだの」
光姫が眼を白黒させる。ようやく話の内容に理解が追いすがる。

「あれ、バイトなんだ。”シンデレラ・パッケージ”っていうお届けサービス」
ここぞとばかりに一星がニヤッと笑った。

「姫なら専属・無料でお届けに行くけど？」
「こ……の、ナンパをバイトにするんじゃないわよっ！」


顔面に綺麗にヒットしたパンチでベッドに沈められてしまった。とうとうグーをくらった一星はしかしこみあげる笑いがこらえきれない。そんな態度は光姫にすれば火に油、胸へ腹へとパンチは続けられるが。

欲しいものを手に入れた今の一星には嫉妬は言うに及ばず、多少の痛みも甘さを増す香辛料でしかない。


朝の光に素肌をさらしたまま拳をふるう、怒っているくせに無防備な彼女が。
嬉しくて愛しくて、しょうがなかった。