リビングに招き入れられてまず思った。
天井が高い。

玄関からドア一つのそこはダイニングと一体で、一階の３分の２を占めている。カウンターの向こうにキッチンが見えた。やけに片づいているのは綺麗好きなのかろくに使わないのか、どちらかだ。

壁際にソファ。大きなスピーカーがふたつ。オーディオはクラシカル。液晶の新しさと対比だ。ラグマットとクッションの横に座卓。


「特に変わったところはないだろ」
カウンターの向こうで冷蔵庫を開けていた一星がグラスとビールを手に引き返してきた。

「ビールしかないけど」
「あら、ギネス」
「嫌い？」

ビールが？　自分が？　家が耳を澄ませている。

「好きよ」
声が響きすぎる気がする。
「そう思った」


プルトップを引き開けるとキューッと鳴るのはギネス独特の音だ。胸を押しつぶして締め付けたような。

グラスに注ぐと流れ落ちる色あい。美しく掲げられる泡。喉が渇いていたんだと今気づいた。無言であわせたグラス。口にした１杯目はたとえようもなく美味しかった。

「飲んじゃったからもう送れない」
一星が楽しげに告げる声は静けさに溶け込んでいく。

「ご心配なく。タクシーよぶから」
「なんで？」
頬杖ついて上目遣いに見上げてくる彼は昼間とはやっぱり別人だ。

「居てよ」


罠だ。見抜かれてる。
動きたくない、押し流されたがっている自分。でも楽な方へ逃げるのは光姫の性に合わない。

「どうして」
積み木はすでに高くグラグラだ。放っておいても落ちるなら真っ向勝負。

「どうしてあたし？」


空のグラスを弄びながら一星がゆっくり言葉を探す。ゆっくりと。

「緑を造るのは俺にとっては、ラブレターみたいなものだったんだ」
「誰への」
「アテなんてない」

思わず眼をぐるりと回した。信じられないという意思表示に一星が苦笑する。

「ほんとだって。別に花で文字描いたわけじゃないし。誰宛でもよかった。誰かに受け取って欲しかったんだ」
「何を」
「俺が描いたイメージを」

光姫の脳裏に唐突に浮かんだ。冬の日だまり。春の黄。秋の紅。それらは確かにそこにあった。


「……夏だったかな。あたし、風を感じたの。疲れてたけどなんだか元気になった」
たどたどしく記憶を口にしたら一星の眼が輝いた。

「覚えててくれたんだ」
「え」
「俺も覚えてる。あなたがそう言ったのをあのとき聞いてた。すごく、ものすごく嬉しかった」


『あたし。今、風だった』


記憶の、さらに片隅から拾われたのはキャップをかぶった作業着姿。フロアの隅でじっと見送っていた青年。光姫の瞳が丸く縮まる。

「あ、の人。一星だったの？」

いつのまにか真横にいる彼。十数センチの距離。

「初めてだった。ちゃんと受け止めて喜んでくれた人は。あれから俺の緑には宛名がついた」
指が頬に触れる。手のひらに包まれる。親指が唇をこする。

「俺に、造る張り合いと喜びを教えてくれたのはあなただ」
息が熱い。


「だから、あなたは特別なんだ」


包まれて、心も身体も囚われるのは。
それが理由。