初秋。

ジャケットがないと肌寒い季節だが、温室の中は別天地だ。濃密な空気もまた外とは異なる。酸素が多すぎるような、でも気持ちいい。見渡す限りのポインセチアはかなり早いクリスマス気分を呼び起こす。

何列にも渡る間を縫って歩き回る一星を光姫は眼で追いかける。今、彼の注意は全て足元の葉と枝に注がれていて光姫のことなんて忘れてる。そんな態度に妙に胸がときめいてる。

ときめき？

乙女チックな言葉の響きに心中のけぞりながら、光姫は自分に問う。

一星にときめくの？
そうよ。だって。


あの大好きな緑のスポット。
彼が作ったなんて想像したこともなかった。



『　Rabbit　Field　』
どこかで見たロゴだと思ったら、企業ビルの観葉植物を扱う会社としては大手だった。光姫のところはもちろん、都心のビルを数多く手がけるそこで一星は働いていた。


「あなた学生でしょう？」
「今はバイト。といっても３年目になる」

大学で造園設計を専攻してるというから納得だ。経験がものをいうバイトなのでやる気次第で上にも上がれる。光姫の会社の玄関フロアは一星が初めて全てのデザインを任された場所だという。

「就職活動も兼ねてるわけ？」
「まだまだ。この世界も職人気質だから一人前になるのは当分」

とにかく植物を理解できなければだめだと思った彼は、本来は関わらない育成の方にもヒマがあれば働かせてもらっている。勉強のため無償で。

「全部知るのはすぐは無理だろうけど。育つ過程をわかっているのといないのとじゃ雲泥の差なんだ」

真剣に一つ一つをチェックしていく一星はそれまで光姫が見てきた彼とはまるで違った。仕事に没頭する男の顔。今まで彼について何も、何一つ知らなかったとわかるが、お互い様とも思う。


忘れていたけれど出逢いは確かにあった。その後も何度もすれ違ってはいた。だからってそれだけで好きになれるんだろうか？　積んでばかりの問いかけ。

ふと振り向いた一星が光姫に軽く手を挙げる。わずかな仕草に騒ぐ心が忌々しい。本気で囚われようとしている。近づく彼に。

「退屈？」
「ううん。こういうところ好きだし。落ち着く」
「もう出荷間近なんだ。やるべきことはすんでる畑だから」
「市場へ出すってこと？」
「いや。ここはうちと専属契約してて、直接植え替えに送られる」

「そうなの」
「姫の会社のフロアにも入る予定」
「ほんと？」

ぼんやり見ていたポインセチアが急に特別に見えてくるから現金だ。


「どんな風にデザインするの？」
「それは内緒」
「ケチ」
「楽しみだろ」
からかい気味に言った一星だが。

「そうね。楽しみかも」

思いがけず素直に光姫が笑ったのに不意を突かれた。数歩あった距離を一気に詰めて光姫を腕に囲った。

「いっ……せい？」


誰もいないとはいえ光姫が驚く。下りてくる顔。額と額が合わせられる。

「だからなんだよね」
「え？」
「だから。あなたなんだ」

くぐもった言葉は理解できず。腕は解かれず。

近づく唇を光姫はそれでもそのまま受け入れた。この安堵感はどこからくるのだろう。答えのない問いをまた積みながら。