「マスタぁー、もう一杯！」
「キャー、姫ったら男前！」
「ホリさん。あかんて煽ったら。あぁアホ姫もう飲むんやない」
「マスターうるさい」
「そうだそうだ」
「ペラさんまでやめ。堪忍してや」

バー『one』の店主・壱葦いちい　は呻いた。今日は仏滅だっただろうか。眉間の皺を指先で揉み伸ばす。仕方ない。こういう夜もある。


人の集まる場所は当たり前ながら主役は人だ。そのため取り合わせによって雰囲気はがらりと変わる。
ここみたいなこじんまりした店は少ないがそれでも月に一度は荒れる。荒れかたもいろいろで必ずしも悪くはなかったりするが、頭が痛いことに代わりはない。

今夜みたいに妙なテンションの時は危うさを孕んでいて眼が離せない。元凶がまたハイピッチでグラスをあけている。絶好調か絶不調か。


それでも光姫がまた来てくれたことに壱葦は安堵していた。気まずい思いをさせてしまった。他の返事はあり得ないのをどちらもわかっていたにしても傷つけるのは本意じゃない。男女の愛とは別の意味での愛しさはあったから。
彼女に対して。



初めて来たのはもう４年も前かと思い出す。

外観も内装も甘さが足りないここは女性客自体珍しい。騒々しい面子に紛れて興味深げに店内を眺めていた光姫は何故か印象に残った。そういう縁だったのだろう。後日再び光姫はひとりでやってきたのだった。

気が強くて美人で有能。誰もが認めるそのさらに奥、隠されている素の光姫を壱葦は早くから看破していた。意識してかせずにか高く築き上げた武装は完璧で堅固。どんな男が言い寄っても彼女のそれを解くことはできぬようにみえた。もてるくせに特定の男の話は聞いたことがない。

自分への思慕はどうしてやることもできないから、性根のない奴ばかりなのを壱葦は嘆いてきた。見た目とは真逆な繊細さを包める男はいないものかと。


今、悪酔いの光姫に閉口しながら思う。

あの荒れ方は色恋や。
違おたら俺の目はフシアナちゅうこっちゃ。あの坊主か？


つい先日、光姫が初めて連れてきた男を思い浮かべ壱葦は含み笑いになった。若いが骨がありそうなヤツだった。ちゃんと『男』の眼で光姫を見ている。あれならいけるかも。そうであってほしい。妹みたいな彼女を誰かが受け止めてくれることを自分が一番望んでいる。



「こら姫、もうアカンて言うたやろ」
「だって〜」
「飲み過ぎだって姫」
「ほんとほんと」

一生懸命宥める子守の集団に苦笑する。果たして彼女はわかっているのかどうか。望みとは違っていてもやっぱり愛に包まれているということに。