調子が悪い。
調子が悪い。

光姫の機嫌は最悪だった。治まらない頭痛が昼間見た光景のせいとは思いたくない。

仕事はリミットが近づき重圧だ。ごねるクライアントはいつものことだが、ごね方が一段と捻れている気がする。上司のフォローがとろい。部下は準備不足。それら全てをいつも楽に呑み込んでいるのに、今日は笑顔が引きつっている。まずい。

どうにかこうにか終業時間までこぎつけたところで光姫は全て切り上げた。こんな日は頑張ってもろくなことにならない。

「あれ、姫。早いですね」
「お先に」

つかまらないよう素早く。どこでもいいからとにかく会社を出よう。武装を解きたい。


「あ、織田さん。お客様ですよ」

フロアの反対側から受付嬢に呼び止められてしまった。退社族の群れの中、視力の良さを誉めるべきかも。仕方なくふりむいた光姫のわざわざ整えた微笑が、欠けた。


「久しぶり、姫。　仕事終わった？」

向けられる彼の笑顔が痛い。いつのまにかそれを特別だと思っていた自分が辛い。何も知らぬげに手を振った一星がフロアをすべり人を縫ってくる。足元は例の如くスニーカー。あの革靴はどこへやったんだろう。

「ラッキー。今日は直接渡せた」


差し出されたいつものプレゼントを睨む。

贈り物を値段ではかったことなんてない。でも。Ｔシャツにジーンズ。スーツもネクタイもない姿。さっきのバラと装いこそ特別な日の特別な人のためだと思う。自分にではない。

なのにどうして。


「何しに来たの」
「姫？」
「何のためにこんなことしてるの」
「好きだから」
「ウソよ」
即座に跳ね返った断定に、怪訝そうだった一星の表情が変わる。

「ウソじゃない」
「そうね。言うのは勝手」
プレゼントからも一星からも顔をそむけて光姫は歩き出した。腕がつかまれる。

「待って」
「放して」
「意味わかんない」
「わからないのはあなたよ」
「何が」
「花を贈る相手がいるのに私に構うことないでしょ」

力は緩んだものの一星は腕を放さない。声が少し柔らかくなる。
「見たの。あれは」
「関係ないわ。私をほっといて」
指が締まった。光姫は顔をしかめる。

「関係ない？」
「ないでしょう？　大体あなたのことなんて何も知らないもの。あなただって私の何を知ってるって言うの？」
「姫が思うより知ってる」
「何を？どこが？好き？　ウソよ。信じられないわ。ゲームでもしてるつもりなんでしょ」

力一杯握られた腕の痛みよりぐいと引き寄せた彼の表情に怯んだ。
怒りと、それから？


「そうだ。知らない。でもあなたが好きなのはウソじゃない。俺の気持ちをあなたが否定するのは許さない」
パッと腕を放されてよろめく。

「あなただって受け取るだけ。聞いてるだけだ。俺のことなんか何一つ知ろうとしないじゃないか」


見上げた時には彼は背を向けていた。何か言いたいのに言葉がみつからない。硬い背中はすぐに見えなくなった。

誰もいないフロアにひとり取り残された光姫。床にころがったプレゼントがぼやけて揺れた。