３度目は偶然？



降り注ぐ光を避けるように、表通りで光姫は右手をかざした。

この時期の日射しは柔らかいように見えて実は、かなりの紫外線を含んでいる。外回りが基本の仕事だから化粧品はむろんＵＶカットだけれど、陽にさらす時間は少ないに越したことはないだろう。こんな時は上天気も恨めしい。

「織田さん」
待ち人が走ってくる。まだまだ新人の後輩。

「契約書、持ってるわよね」
「もちろんです」
「うん。初めて立ち会った感想は？」
「すっごい緊張しました。今まで判なんて気軽に押してたのに、こういう場合はまるで違う重みがありますよね。」
「それ問題発言よ。これからあなたの押す判にも、十分責任がかかってくるの。わかってる？」
「は、はい」

メガネ越しとはいえ、上目遣いに光姫に睨まれるのはきつい。光姫よりずっと背の高くても、後輩の彼は顔を引きつらせる。

仕事中の『姫』の出すオーラは格別だ。憧れるが迫力ありすぎ。わかってないのは本人だけ。


「じゃあその重要書類をさっさと本社へ持ち帰ってくれる？」
「え？　織田さんは？」
「呼び出しが来てね。例のクライアントへ回らなきゃならなくなった」
「はぁ……って、これ俺が持って行くんですかぁ？」
かなりびびった声なのは当然か。その１枚に何千万が動く。新人にはさしづめ爆弾だろう。

「重みを実感しなさい。特別にタクシー使って良いわ。帰社したら即、部長に提出」
「織田さ〜ん」
情けない顔には関知せず。
シカトして手を挙げた光姫の前に、キッとタクシーが停まった。

「ほら乗って。領収書もらうのよ。ＧＯ」
「は……いっ」
バタンと閉じたドアの窓に見えた情けなさそうな顔が、すぐに運び去られた。

「やれやれ。手がかかる」
毎年この時期は新入社員でにぎやかな本社だが、まだ実務にはやってこないのが普通だ。彼は中途採用組で研修を終えて営業へ回されたのだ。

入社５年目ともなると、新人の面倒も仕事のうち。ましてや営業で名の知れた『姫』には期待もされる。とはいえ。
「あぁ気使うわ。しょうがないんだけど。」

クライアントからの呼び出しはほんとだが待ち合わせは１時間先だった。距離を考えても３０分のゆとりがある。

先週からさっきの契約の詰めと新人の面倒見に追われていたので、一段落のこの際ちょっと息抜きさせてもらうことにしたのだ。

「ブレンドかラテ……ハーブティーもいいな。」
お洒落な街並みには流行のカフェも多い。一服にはもってこいだ。
歩き出した光姫だったが。


「ひーめーっ」


ピタリ。立ち止まった光姫の頭は凄い勢いで検索する。
はじき出す答え。この声は？
恐る恐る振り返った光姫の目に、行きすぎかけたオープンカフェの席から手を振る男はまさしく。

「……一星」

聞こえそうにもない呟きを聞き取ったかのようなタイミングで彼は笑った。



「ラッキー。姫と初茶だ。」
「……は？　あ？　わっ」

腕を引っ張られた光姫は、瞬きする間に向かい側に座らされていた。張り出した屋根の下。そこら中にプランターの緑。

「何が好き？」
「えっと」
「今日はアイスかな。でもホット？」
「だから」
「あぁ、お奨めはね」
「一星！」

思わず出した大きな声に、返ってきたのがとろけるような笑みなんて。
なんだか変だ。それに見惚れた自分も。


「姫に初めて名前を呼ばれた。いいねぇ、今日は初づくし」
そんな嬉しげに言われても。
「あ、あなた、なんでここに？」
「ん？　そういう姫は？　サボり？」
「失礼ね。あたしは仕事中よ」
「だよね。さっきのは後輩？　恋人かと焦ったけど」
全然焦ってない口調で。

「見てたの？」
「姫って目立つから。俺にはとびきり」

サラッとこう言ってのけるのってのは、女たらしよね。頭では思ってるのに、なんでドキドキするかな。
……眼だ。この眼がどうにも自分をたじろがせる。わけもなく。


「何？」
見入っていたら聞き返され、恥ずかしくなってうつむく。
「別に。あたし忙しいのよ。これからもう一つクライアントへ回るの」
「そっかぁ。お疲れさん。」
その言葉と一緒に、コトンと光姫の前にグラスが置かれた。

あ、あれ？

置いたのはウェイター。だってまだ注文してなかったはず。
眼をパチクリしてカップと一星を交互に見比べる。一星が吹き出した。

「クッ。そんな鳩に豆鉄砲そのままの顔」
「だ、だって。あれ？」
「別に手品でもなんでもないって。姫を呼ぶ前に注文しておいただけ」
「あ、そうなの」

わかってしまえばなんてことないけど。この人、気が利く。
グラスは円筒形。透明な中に色様々なキューブ。これは氷？　でも。


「ベースはスカッシュなんだけど、この氷はフルーツジュースで作ってあって。溶けて来るに従って味が加わるんだ。面白いだろ」
「へぇ。綺麗ね。初めてよ」
「今月からの新メニューだってさ。おすすめ」

日射しにほてった体には、流れ込んでくる甘さと炭酸のさわやかさはなんともいえず。
「美味しい」
「そう？　よかった」

ぽろっとこぼれた本音をあっさり受け取ってまた微笑む。
綺麗な笑顔だ。


よくよく見てもやっぱりずっと年下だろう。最初に逢った時も、こないだもそうだったけど、至って気軽な格好ばかり。ジーンズにＴシャツとか綿シャツ羽織るとか。
そのくせどこかお洒落に見えるのは髪型なのか、その先のメッシュなのか、それとも顔立ちなのか。


「あなた、大学生？」
光姫の問いに、ちょっとだけ一星が目を見開く。口角があがる。
「俺に興味でてきた？」
「しょってるわね」
なんとなくムッとする。

「そう？」
「誰が見たって学生でしょう」
「さてね。こんな格好の社会人だっているさ。poohさん好きの社会人と同じく？」
グッと口ごもる光姫にクスクス笑い声。どうにもペースを乱される。
なんでいつも。


ぴぴっとアラームが鳴ってハッとした。あわてて取り出す携帯。
待ち合わせ時間まで３０分。行かなくちゃ。


「レシートは？」
「いいよ、これくらい」
「よくないわ。散々もらい物してるのに。借りばかりじゃない」
「借り？　ふぅん。じゃあ」
ひょいっと伸ばした手に携帯を奪い取られた。
「ちょっ、何？」

今時の若者らしい早業でどこかにかける。光姫の耳に聞き慣れぬ着信メロディがとどく。一星が携帯を取り出す。ってことは。

「ケー番でチャラね」
ニカッと笑う顔は悪びれもせず。
「あんたってほんと。あぁもう、急がなきゃ。」

遅れるわけにはいかない。席を立つ光姫にひらひらと手が振られた。
足早に通り過ぎたのに、なぜかその大きな手と指が印象に残る。
「まったね〜」


つかまえたタクシーからチラッと彼が見えた。
光姫には相変わらず正体もよくわからないのに、自分だけどんどん浸食されているようで落ち着かない気分だった。



見送った一星は携帯をしまうと、ゆっくり立ちあがりプランターに近づく。差し伸べた指先に緑の感触。優しく撫でる手はどこか愛しげで。
誰かを思い浮かべるようだった。





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