 point.15 ターニングポイント −開く扉−
期末テストが終わった日曜日、美琴は羽矢と待ち合わせをした。 行き先は市立体育館。 羽矢には面白そうなことがある、としか言ってない。 何日か前。 クラスで美那子とおしゃべりしていた時、後ろから聞こえた言葉に耳を止めた。 「・・でさ。おもしろいんだ、ストバス。あんなにレベル高いとは思わなかった。 うまい奴なんて宙を舞う感じでダンクするんだぜ。 結構年上が多くて、３０がざらなのに・・・。」 ダンク？ ってことはバスケットの話？ このところ羽矢のことで、バスケの話には敏感になっている美琴。 後ろを振り向くと神岡だった。 「神岡くん、ストバスって何？」 面食らう神岡。 「あ？ ああ。ストリートバスケット。アメリカでポピュラーなんだけどさ。 路上でどこででも、少人数でできるんだ。３対３だから。」 「面白いの？」 「うん。５人チームとは又違ってさ、凄いスピードがあって。」 「それって、このあたりでもあるの？」 「それがさ、俺も知らなかったんだけど結構盛んでさ。草の根でチームが多いんだよ。 今度、市立体育館で大会やるんだってよ。俺、部活の試合で行けないんだ。惜しいなぁ。」 市立体育館。 「いつ？ 教えて。」 驚いてる神岡に構わず、日にちを確認した。 それが今日。 誰かに会うとまずい。そう思ったけど、どうしても連れて来たかった。 バスケで悩んでるのにまずいだろうか。でも好きなんだし。 別のバスケなら楽しめるかも知れない。楽しんで欲しい。 美琴の願い。 髪をまとめて帽子をかぶってマフラー巻いて、いつもと違う服装。 ちょっと変装のつもり。 「何があるんだ？」 そんな美琴に呆れた顔の羽矢にも、サングラスをかけてもらって。 「せん・・・琉斗さん、ストリートバスケットって知ってる？」 「ストリート？ あ・・あ。聞いたことはある。街の中でやってるバスケットだろ。 ３人一組だっけな。俺は経験ないけど。」 「この辺、結構盛んなんだって。ここで今日、大会やるって聞いたの。」 「へー、誰に？」 「神岡くんが噂してたの。」 その名前に羽矢の眉が寄る。 「神岡？」 こいつ、ついこないだの俺の嫉妬、わかってないな。 「琉斗さんに見せたかったんだもん。強引に聞いて来ちゃった。」 殺し文句か？ しょうがない奴。 苦笑しながら手招きする美琴について入った。 入ってその熱気に驚いた。 入り口には「市民ストバス大会」とだけあったから、大したことないと高をくくっていた。 なんだこの人。すごい騒ぎ。 観客は皆、大声援を送っている。 コートを半分に分けて２試合同時進行しているのだが、半端じゃない真剣さ。 「琉斗さん、結構スピードあるね。」 「ああ。かなりなもんだ。」 「うわ、あの人ダンクした。え、あっちも。」 いつのまにか黙ってしまった羽矢。 こんな世界もあるのか。 もちろん、社会人のレベルとは違うけど、熱気だけなら負けないかも知れない。 皆楽しそうだ。勝ったチームと負けたチームが手をたたき合う。思いっきり。 なんともあっさりしたその挨拶が、新鮮でうらやましいくらい。 俺はバスケットと言えば、大学からの部活と社会人リーグと。 それしかしらなくて。なにか辛くて。 そう辛くて。 いつか体育館で。美琴に言われた。 「楽しそうじゃないから。」 真剣にやるんだから、楽しいわけない。そう決めていた。 でも。違う世界もあるのか。こんな風に肩肘張らず。 勝負を、上を追い求めるのが悪い訳じゃない。それもひとつ。 同じようにこういう、相手を敵でなくて、まるで仲間のように扱う。 その上でお互いを思いっきり楽しむ。それもひとつのありかた。それもありなんだ。 眼から鱗が落ちたような気分だった。 食い入るような羽矢の視線。 その時、思いがけず声をかけられた。 「羽矢？ 羽矢じゃないの？」 反射的に振り返って、声をかけた奴の顔を見る。 「手科？ おまえ手科か？」 「よう。久しぶりだなぁ。」 それは、２年前のチームメイトの一人だった。 最後は孤立しかけていた羽矢に、好意的だった数少ない奴。 「おまえ、教師になったって？」 「まあな。おまえは？」 「俺は家業を継いでるんだ。ちっちゃな酒屋でな。」 「・・・おまえでも、その格好。」 Ｔシャツに短パン。どう見ても。 「いや、好きな奴とチーム組んで参加してるんだ。結構おもしろいんだぜ。」 「だろうな。見てたけど、わりとレベル高いんだな。」 「だろ？ このまわりは好きな奴が多くて、チーム数がレベルを押し上げてるのさ。 年に３回はあるんだぜ、この大会。」 「へえ〜。知らなかったよ。」 「おまえもやってみれば？ おまえなら逆に向いてるかも。」 「いや、俺は。」 「よかったらさ、俺のとこのぞいてみないか？」 思わぬ誘いに言葉が出ない。胸が騒いだ。 後ろから「手科ー。」と呼ばれて合図したあと。 「そうだ。俺の店ここなんだ。」 マッチを取り出すと羽矢にくれた。 「気が向いたら顔出せよ。バスケの好きな奴が週末は集まって飲んでるから。」 「サンキュ。・・・もしかしたら。」 羽矢にしてはなんとも人当たりのいい答えだった。手科が嬉しそうに微笑む。 「待ってる。逢えて良かった。気になってたんだ、おまえどうしたかなって。」 羽矢も微笑んだ。握手して別れる。 こんな風に、あの当時のチームメイトと会えるなんて思わなかった。 「琉斗さん？」 うしろから美琴の声。 「ああ。悪い。」 「お友達？」 「ん。昔の仲間。」 「なんか、嬉しそうだったよ。琉斗さん。」 「そっか？ ・・・そうかもな。」 結局試合が終わるまで、体育館にいたふたり。 「ごめんな。つい夢中になって。」 「ううん。あたしが誘ったんだもん。おもしろかったね。」 「ああ。最後の試合なんて、たいしたもんだった。 ３ＯＮ３ってのも悪くないな。俺も−こういうのやればよかった。」 思わず漏れた言葉を、美琴はあっさり拾う。 「やれば？」 驚いて顔を見る。 「今さら？」 「気に入ったならやってみたら？ あたし、琉斗さんがやるところ、見たいな。」 まるで呪縛を解くように、美琴の言葉が響いた。 気に入ったならやってみたら−。 背中を押す笑顔。 その日は羽矢にとって、ターニングポイントになった。 数日後。部活のない日の帰り道、美琴の携帯が鳴った。 琉斗さん。 こんな時間に？ あわてて出てみる。 「もしもし？」 「俺。変な時間に悪いけど。」 「ううん。どうかしたの？」 「今日さ。夜ちょっとだけ、逢えるかな。」 「夜？」 「今から用があるんだ。その後。」 今日は母の夜勤日。 「大丈夫だけど、どうして？」 「逢ったら話すよ。用が終わったらもっぺん連絡するから。そのつもりでいてくれ。じゃ。」 言うだけ言って切れてしまった。 何？ なんだろう？ 首を傾げる美琴。 でも、たいして重くも暗くもなかった声。待ってるしかないかな。 美琴に連絡した後。 羽矢は学校を６時ごろ切り上げて、車で出た。 向かった先は、いつか吉沢が羽矢を見たといっていたフランス料理店「ラ・メール」。 もう先客が来ていた。 綾。 「悪いな、呼び出して。」 「ううん。いい話なんでしょうね？」 とりあえず料理とワインを注文する。 ２人ともメインに魚を選んだので、白ワインになった。グラスで揺れる。 「こないだはどうだった？」 綾が聞く。 「どうって？」 「いいチームでしょ？ そう思わない？」 「ああ。いいチームだ。」 それは綾に連れられていった社会人チームの話だ。 綾の叔父が監督のチームは、大会でも優勝をねらえる位置にいた。 「あれなら、あなたの力をきっと発揮できるわ。」 綾がワインを口にしながら力説する。 そんな綾に、羽矢が聞いた。 「おまえさ、俺の今の力。知ってるか？」 唐突な言葉にワイングラスが止まる。 「何？ 何言ってるの？ あたりまえじゃない。あなたの実力は。」 「それは２年前。そう、もうじき２年だ。 この間俺はトレーニングをしているわけじゃないし、体を作ってるわけでもない。 ただ安穏と教師をやってきた。 ２年間遊んだ体がどれだけ落ちるか、おまえ知らない訳じゃないだろ。」 「それは−。でも潜在能力が。」 「チームは即戦力を欲しがってる。そう言ったよな。 今の俺じゃチームに入っても、まず３ヶ月は使い物にならないだろう。 こないだあんたの叔父さんもそれがわかったはずだ。」 綾がグラスを置く。 「何が言いたいの？」 「監督は、チームは、ほんとに俺を欲しがってるのか？」 綾の顔が能面のようになる。 何かをいおうとして、言葉にならない唇。 「おまえが俺に声をかけてくれたのは２年前だ。 それから２年間。おまえは俺を誘い続けたけど・・・そんな気の長いチームはないよ。」 「ちがうわ、監督は私に。」 「即戦力を捜せといったんだろう？ 最初は確かにそうだったかもしれない。 でも今の俺はとてもそうじゃない。なのにおまえは俺を引っ張り続ける。 何のためだ？」 綾の顔がだんだんうつむいていく。 「チームのためとは思えない。監督はそれほど俺を欲しがっていない。そうだろう？」 追いつめられてしまった綾。 「・・・そうよ。」 「それで、俺にうんといわせたら、おまえが困るんじゃないのか？」 「確かに今のあなたは即戦力ではないけど、でも３ヶ月あればきっと戻るわ。 叔父はそう説得したの。だから。」 「どうしてそんなに俺にこだわる？」 綾が切れた。 「どうして？ 女にそんなこと言わせないでよ！ 好きだからに決まってるじゃないの！」 まわりがざわつくが、おかまいなしに続ける。 「あなたが最初に。２年前にうんって言ってくれれば何も問題なかったのよ。 なのにあなたはどうしても。あたしの言うことをどうしても聞いてくれない。 バスケットが好きなくせに。どうしてよ？ こんないい話をどうして承諾しないの？ 何故あたしの言うことを聞いてくれないの？」 綾は立ち上がると、店を飛び出した。あわてて羽矢は追いかける。 「待てよ！」 商店街のはずれから住宅街になる。 日が暮れると静かになるその道で、羽矢は綾の腕をつかんだ。 「待てってば！」 振り向いたその目に涙。いきなり羽矢に抱きついた。 「大学の時別れてからもずっと、ずっとあなたが忘れられなくて。 あなたの消息を追い続けて。チームが潰れたって聞いて。 ならあたしがあなたを助けて上げようって。そう思ったのに。 ねえ、どうして？ どうしてうんって言ってくれないの？」 羽矢は綾が落ち着くまで待った。 それからゆっくりと肩をつかんで引き離す。 「チームがつぶれたときに、俺は続ける自信も無くしたんだよ。」 何を言われているのかわからない顔の綾。 「おまえが俺のこと、考えてくれるのはわかってたけど。 でも。それは俺が望んでいることとは違ったんだ。」 綾の表情が変わる。 「頂点を目指して突っ走る、しのぎを削る、そういうバスケを散々やって。 挙げ句人をないがしろにして。最後は浮き上がってた。チームで。 疲れてしまってた。だからどうしてもやるとは言えなかった。 いや、やりたくなかったんだ。」 自転車が二人の横を通り過ぎていく。 「バスケが嫌いになったわけじゃない。 勝つことに取り憑かれた自分に嫌気がさしたんだ。」 「・・・どうして言ってくれなかったの？」ぽつんと綾がつぶやく。 「多分自分で認めたくなかったんだろうな。そういうバスケが辛いなんて。」 気づいてなかった。 美琴に言われるまで。 「俺は社会人チームには行かない。」 羽矢のはっきりした宣言に、綾の顔が泣きそうになる。 「おまえの期待には添えないし、おまえの望むこともしてやれない。 バスケも、それ以外も。もう終わってしまったんだ。昔に。」 綾の頭ががっくりと落ちた。拒絶されたことがわかった。 「・・バスケットはもうやらないの？」 「いや。俺さ、ストリートバスケのチームに入ったんだ。」 思いもかけない台詞に唖然と眼を上げる。 「ああ言う世界があるなんて思ってなかった。 レベルは低いし、まだまだ人口も少ないんだろうけど、このあたりじゃかなりいるんだ。 それも面白いんだぜ。昔の仲間とやってみることにした。」 「あなたが、ストバスを？」 「リーグ戦にかけてるおまえからするとお笑いかな。でもそういう道もあったんだ。 なんかものすごく楽になったよ。今、楽しみなんだ。練習始まるのが。」 その羽矢の顔は。この２年、いやつき合ってからずっと、 綾が見たことのない明るい希望に満ちたものだったから。 もう道が分かれてしまったのだと綾は悟った。 いや、知っていたのに見ようとしなかったのだ。今まで。 「ごめんな。おまえは一生懸命だったし。俺も迷って。未練もあって。」 「もういいわ。」 肩から羽矢の手をはずす。 「どこかでわかってたのに。くっついて振り回してたのね。」 羽矢の顔をもう一度見て、綾は聞いた。 「ねえ、今好きな人いるの？」 ちょっと驚いて。それからフッと笑う。 「ああ。いるよ。おまえみたいに大人じゃないけどな。大事に思ってる。」 「長い長い失恋の終わりだわ。」 苦々しげに言葉を吐いて、羽矢を見て微笑んだ綾。 「もっと、もっとずっといい男、捜してみせるから。」 「いっぱいいるさ。おまえなら。」 「ありがとう。さよなら。・・・ごめんなさい。」 「さよなら。元気で。」 一瞬だけみつめて、綾はきびすを返すとあとは振り返らなかった。 俺が引きずっていた試合が、終わったんだ。 羽矢はやっと確認した。 ホイッスルが鳴る。 家で夕飯をすませた美琴は、いまかいまかと連絡をまっていた。 これじゃ宿題もできない。８時過ぎにやっと携帯が鳴った。 「琉斗さん？」 「出られるか？」 「うん。」 「下まで来てるから。」 「え？」 あわててコートをつかんで部屋を飛び出す。 アパートの１階に下りたら、車があった。羽矢のビートル。 走り寄ると助手席から顔がのぞく。 「乗れよ。」 乗り込むとちょっと考える羽矢。 「話があるんだ。どこがいい？」 「部屋じゃない方がいいの？」 「ん。広いところの方がいいな。寒いけど丘の方いってみるか。」 夜のドライブになった。 羽矢は無口だった。つられてやっぱり無口の美琴。 なんだろう？ その丘は市立公園の一部で、公園の中で一番高いところだった。 春が近いけど、夜はまだまだ冷える。 「大丈夫か？」 「うん。・・・星が綺麗だね。」美琴が見上げていう。 ホントに綺麗な星空だった。 「決めたよ。」 「え？」 「さっき、綾と話してきたんだ。」 急に緊張する美琴。決めた？ 「社会人チームには行かない。ここにいるよ。」 「・・・ほんと？」 「ん。」 「それでいいの？ ほんとに？」 「ああ。」 「後悔しない？」 「なんだよ、行かせたかったのか？」 思いっきり首をふる美琴。 「そんなことない。・・・でも。あたしがわがまま言ったせいだったら。」 「バーカ。」 羽矢が笑う。 「違うよ。どっちかというとおまえのせいじゃなくて、おまえのお陰。」 「え？」 「俺さ、ストバスやることにした。」 星空に伸びをする羽矢。 「・・・え？ ほんと？ いつの間に。」 「こないだ友達にあったろ。あいつに連絡取ったら、いっしょにやろうって誘われて。 やってみることにした。」 緊張していた美琴の顔が急に弛んだ。 「じゃあ、バスケットはやるんだ？」 「ああ。」 「ここで？」 「ああ。」 「学校にいるのね？」 頷く羽矢に笑顔になる。満面の笑みとはこういうのだろうな。そんな笑顔。 「嬉しい。あたしもちょっとは役に立った？」 その言い方がなんだか羽矢には切なかった。 「美琴？」 「はい？」 ツカツカと美琴の正面に立つ。 「おまえがこないだ言ったこと。」 「何？」 「生まれたことにずっと罪悪感があったって。」 美琴はうつむいた。 誰にも言ったことがなかった、幼い頃からの自分の影。 「それがいわれのないもので、生まれてきたおまえが持つ必要も責任もないってこと、 多分おまえはわかってるんだよな。なのに、捨てられない。」 そう、羽矢の言うとおりだ。在り続けるそれ。 「なら、一緒に持ってろよ。」 「・・・何を？」 「誇り。」 「誇り？」 「俺は、おまえに会えたから、新しいバスケを探せたんだ。」 羽矢の言おうとしていることがわからない表情の美琴。 「おまえが生まれて、ここにいるから。俺は助けてもらえた。」 ふいに見開いた眼。生まれてここにいるから。 「おまえが生まれて大変だった人もいるのかもしれない。 でも、おまえが生まれて来たことで、幸せになった人もいるんだ。 おまえのお母さんだって、大変だったろうけどそうだと思う。 罪悪感が捨てられないなら。 それに負けないくらいの誇りも持ってろよ。忘れないで。」 羽矢の言葉が、美琴の心を伝って落ちて。 これまでずっと美琴をとらえて離さなかった罪悪感が、ゆっくり別の顔を見せた。 『誇り』 あたしが生まれてここにいて。それで幸せになれた。 そう言ってくれる。この人は。そう言ってもらえる。 あたしはずっと、そう言って欲しかったんだ。誰かに。 良くうまれてきたねって。それでよかったんだって。あたしが必要だったって。 音もなく開いた扉があった。 それは美琴だけが知っていて。でも今は言えなかった。 ただ、その眼からは涙が泉のように沸き上がって、ポロポロと落ちて流れた。 羽矢は美琴を抱きしめてくれる。 「ほんと、泣き虫だよな。おまえは。」 そういいながら、あやすように揺れる。 涙は止まらないけど幸せな想い。抱きしめてくれる腕が温かい。 この人に会えてよかった。 逢いたかった。ずっとずっと。 それが美琴にとっての、ターニングポイントになった。 春の近い星空の下。  |