 point.14 バレンタイン 後編 −チョコの味は−
羽矢は夕方、学校へ戻ってきた。 外出は予定外だったし考えることが多くて。ちょっと参る。 とりあえず仕事を片づけなくては。 職員室へ戻って見ると、机の上にリボンのかかった包みが小山になっていた。 向こうから白石先生が笑う。 「独身はもてるねぇ。うらやましい。」 「勘弁して下さいよ。」苦笑する羽矢。 「いいじゃない。教え子にもらうのは教師冥利ってもんだ。」 他の先生も茶化す。 「おれ、甘いの苦手なんですよね。食べませんか？」 「こらこら。一応持って帰れよ。どこで生徒が見てるかわからないからな。」 たしなめられて肩をすくめた。確かにそうか。食べなくても持って帰るしかない。 ふと、美琴はくれなかったのかなと気にする。 くれるわけないか。 もう一月経つ。話すこともないまま。 駄目かな。そう思いながら未練がある。 片づけものをすませると、紙袋に小山のチョコレートを入れて車で戻った。 ビートルを駐車場において、ぶらぶらとアパートへ。 もしかしたら。 でもそんなわけない。どこにも捜している姿はない。 ホッとため息をついて鍵を開けた。暗い部屋に灯りをつける。 抱えている自分の迷い。それも大きいのに。 浮かんでくるのはやっぱり美琴で。 昨日のあいつは、やけにまっすぐ俺を見ていた。 あの顔は・・・なんだか泣きそうに見えた。違うかな。もうわからない。 随分しゃべってなくて。 先生と生徒として普通に接触はしてるけど。 決してそれ以上踏み込まない美琴。 あいつにはもう終わってるのかもしれない。ずっとこのままだろうか。 ならいっそ。 突然携帯が鳴った。着信を見て驚いた。 美琴？ しばらくみつめていたが、鳴りやまない発信音。 ようやく出てみる。 「もしもし？」 「・・・先生？」 どれくらいぶりだろう。こうして携帯で聞くのは。 顔は見てるのに。声も聞いているのに。 なんだか・・・ものすごく久しぶりの気がして、声がつまりそうだった。 「柚華？」 「・・・久しぶりだね、電話で話すの。」 美琴も同じことを思ってるのかも知れない。 「ああ。・・かけてもこなかったろ。」 ちょっと沈黙。 「かけちゃいけないと思ったから。」 「え？」 「先生をもう、困らせたくなかったから。先生に辛い思いさせたのあたしだもの。」 美琴の声は静かだ。 「だから。我慢したの。授業で会えるし。部活もあるから話だってできるし。 それで平気にしたの。頑張って。」 静かで沈んでいきそうな声。 「先生、あの・・人とつきあってるの？」 「あの人？」 「文化祭に会いに来た人。みんながそう言ってる。」 黙る羽矢。 「それでもいいって思ったの。顔さえみられるなら。声聞けるなら。我慢できるって。」 「柚華？」 「学校、やめちゃうの？」美琴の声が細く細くなる。 「おまえ、それ・・。」 「やめ・・・ないで・・よ。」 絞るような声。泣いてる？ 「顔見られるだけでいいから。学校にいて。遠くに行かないで。 ・・・こんなこと言う資格ないんだけど。」 泣き出しそうなのを必死でこらえている。そのうしろで車の音がした。 外？ 「柚華？ 今どこだ？」 「バスケやるの？ 先生好きだもんね。 楽しそうにバスケットやる先生は見たいの。そう思うけど。 あたし・・どうしても、先生に会えなくなるのは嫌なの。嫌なの。どうしよう・・・。」 「どこにいる？ おい。」 焦る。つかまえなくちゃならない。どこだ？ 「チョコレート。・・いっぱいもらった？ きっとたくさんあるよね。」 「おまえ、くれなかったろ。」話をつなげようとする。 「作ったよ。先生に。」 「え？」 ドキッとする。 「あげられないってわかってたのに。持って来ちゃった。でも先生いなかったし。」 「どこにいるんだ？ おい！ 聞いてるのか？」 「今ひとつ食べたの。あたし甘いの作ったんだよ。 凄く甘くしたはずなのに・・・苦いの。塩っ辛い。なんでかな。 失敗したのかな。先生・・・食べなくて良かった・・」 いきなり美琴は切った。 「美琴！」 だが切れる直前、羽矢は聞き覚えのある音をとらえた。 電車の反響。あれは。 ツーッという音に羽矢は飛び出した。外はいつのまにか小雪が舞っている。 美琴は鉄橋のそばの公園にいた。 最初に２人で入った、滑り台の裏のちいさな穴。落ちてくる小雪が土で溶ける。 美琴の横には、ほどいたリボンと２つ残ったチョコ。 苦い。なんでかな。甘く甘く作ったのに。 痛い。胸が痛くて。潰れそう。 かけちゃいけないのに、かけてしまった電話。羽矢の声がどうしても聞きたかった。 空を見上げると、自分が昇っていくような錯覚。 寒いのに。寒さは感じなくて。ただ痛くて。苦くて。辛くて。 この思いをどうすればいいのかわからなくて。 膝を抱えて声を押し殺して泣いた。 どのくらいそうしていたのか。 ジャリと靴音を聞いた。それが近づいてくる。 泣き疲れてゆっくりと顔を上げたそこに、羽矢の姿があった。 「・・・んせ・・い？」 なんでここにいるのかわからない。あたし、場所を言っただろうか。 「電車の音がさ、聞こえたから。」 羽矢が口を開く。走ってきたのだろう。まだ息が切れている。 「いい勘だろ。」 ニヤッと笑った。その顔を見てまた涙が溢れた。 飛びつく美琴を、待っていたように受け止める腕。 声も出なくて。ただ、しゃくり上げて泣き続ける美琴。 その細い体を強く強く抱きしめていた。 小雪が踊りながら、髪に、肩に、腕に。２人に触れては涙になって消えた。 美琴が落ち着くのをまって、羽矢は自分の部屋に連れていった。 「嫌ならどっか茶店にするか？」 それはこないだのあとだから。羽矢の気遣い。 美琴はその眼を見てから言った。 「大丈夫。」 美琴のコートはかなり濡れていたが、 雪だったからコートだけで、その下の服は濡れなかった。 コーヒーを飲んで、ようやく温まることができたふたり。 床に座り込んでソファによりかかっていた美琴は、羽矢にポツッと聞く。 「先生。学校・・・やめるの？」 「なんで。」 「噂になってるよ。」 羽矢は黙る。 「やめるの？」 「・・・まだ、迷ってるんだ。」 それは本当だった。 「２年前まで、社会人チームで選手だったんだ。 あんまり大きな会社じゃなかったけど、若い連中ばっかりで、がむしゃらにやってて。 ほんとバスケだけやってられれば幸せでさ。」 羽矢は低い声で、思い出すように話し始めた。 「でも。俺は結構独りよがりだったんだな。 少しずつ勝てるようになっていくと、ワンマンになっていって。 確かにあのチームの中では俺は実力はあった。でもバスケは一人じゃ出来ない。 個人能力はむろん必要だけど、それだけじゃないんだ。 わかってるつもりだったのに。だんだんまわりと溝が出来て。」 コーヒーの湯気が、羽矢を取り巻くように螺旋を描いて上る。 「チームがつぶれたのは、まわりの亀裂が徹底的になるのと同時期だった。 どっちに転んでも、もうあそこではバスケはできなかった。」 吐き出すような言葉。 「他に誘ってくれるチームはいくつかあったんだ。でも、俺は自信を無くしててさ。 どこへ行っても、バスケはチームである以上同じの気がした。 もう嫌になってとにかく離れようと思ったんだ。」 窓の外は真っ暗。カーテンの隙間からチラチラと雪が見える。 「会社もやめちまった俺に、大学の恩師が心配して。 教師の資格はとってたからって、まだ新設校のここを紹介してくれたんだよ。 教師なんて出来る自信もなかったんだけど。 担任じゃなく専門だけでいいからってことで、受けたんだ。それが一昨年。」 美琴に眼を戻す。 「で、おまえ達と一緒に、ここへ入学したわけだ。」 そうだったんだ。 「今さら教師なんてとも思ったんだけどさ。食べなきゃならないし。生活はあるし。 だから軽くやってきたんだ。楽しければよかった。面倒は嫌いだった。」 苦笑する羽矢。 そう言えば、逢った頃よく言ってた。面倒は嫌だって。 「でもさ。おまえ言ったじゃん。心に残ることは大抵、ちょっとは面倒なことだって。」 そう、美琴が言った。 気がつけばそのとおりで。美琴が入り込んで、起きてきた出来事は面倒ばかりで。 でも。それは全て心に残って。 「そのとおりだった。だからわかったんだ。 俺は自分自信を過信しすぎて、面倒を嫌って。 他人をないがしろにしすぎたんだ。 ひとりじゃどうにもならないことが見えなかった。」 「あの人は？」 「綾か？ 大学時代の後輩でさ。 あいつもバスケやってて。社会人でも活躍したんだけど。 叔父さんが社会人リーグの監督でさ。いまはそのサポートに回ってるんだ。 即戦力のある若手を捜してて、それで俺を口説いてるわけ。やめてからずっと。」 「ずっと？」 「ああ。夏に見られたのもそれで揉めてたところだし。文化祭もそうだ。 実は今日も来てた。ほんといい加減にあきらめて不思議はないのにな。」 「つきあってたんじゃないの？」 羽矢はちらと美琴を見る。 「学生時代に３年ほどな。卒業前に別れて。その後は会社もちがったし。 逢うことなかったんだ。」 やっぱり昔つきあってたんだ。 それで 『琉斗』。 「でも。こないだその監督と話してたって。」 「何で知ってるんだ？」 「クラスの男子が見たって。」 「参るよ。こういうことはすぐ伝わるんだな。」苦笑いする。 「あんまり綾がうるさいから、とにかく一度逢ってくれって。 あいつの顔を立てるつもりだったんだけど。やっぱり試合見るとな。」 「なんで迷ってるの？ バスケ、やりたいんでしょ？」 まっすぐな聞き方はいつもの美琴。 「やりたいよ。でも正直、社会人の選手としては通用しない気がする。 ２年も離れてるし。その間、トレーニングしてたわけじゃない。 それほど甘くないんだ。」 そう、嫌と言うほど知っている羽矢。 「それにさ。昔ほどチームにこだわる気がなくなって。」 「？」 「まだ・・・自分でもわからないんだけどさ。迷ってるんだよ。」 羽矢の本心だと思った。美琴はうつむいて床をにらんだまま聞く。 「・・・いなくなっちゃう？」 心細い不安な声。羽矢の心に響くその声。 カウンターで立ったままコーヒーを飲んでいた羽矢は、 美琴のそばに座るとカップを取って、２つともテーブルにおいた。 それからもう一度抱きしめた。そっと。 さっきは夢中だったけど、今度は固くなる美琴の体。 それがこないだの痕なんだとわかる。 「怖いよな、まだ。ごめんな。」 抱きしめたまま囁く。 「それでもいた方がいいのか？ 俺はおまえのそばにいてもいいのか？」 思いもかけない問いに、美琴の眼が大きく見開く。 「おまえを怯えさせて泣かせたから。もう離れた方がいいと思ったんだ。 繰り返してまた、自己嫌悪になるのも嫌だったしな。」 ちょっと自嘲気味の声。 「現にまだ怖いだろ。」 のぞきこまれても。答えられない美琴。 「責めてるんじゃない。当たり前だ。先のことだってわからない。俺でいいのか？」 美琴がつぶやく。 「・・・待ってくれるの？ こんなに身勝手なのに。」 まっすぐ見上げる眼。 「迷惑かけたくなかったの。だから頑張ろうと思ったけど。 やっぱり先生にいて欲しいの。先生じゃなきゃ駄目なの。」 「いなくなるかもしれねえぞ。」 ビクッとした。唇を噛んで、それでも。 「そしたら・・・あたしも待ってるから。」 それは羽矢が欲しかった言葉だったから。 思わず大きく深呼吸すると、美琴の額に額をつけてつぶやく。 「サンキュ。」 美琴がホッとしたように胸にもたれる。 「先生、・・・いいの？」 「名前、呼んでくれるか？」 「・・・りゅう・・とさん？」 随分久しぶりのその呼び方は、羽矢に甘く甘く響いた。 かすかに震えが残る体。覚えのある髪の香り。 「そうだ。」 羽矢は手を伸ばして、 公園で美琴がほどいたチョコのパッケージを、コートから取り出した。 まだ２つ残っている。 「あ・・うん。でもおいしくなかったの。」口ごもる美琴。 「毒味してやるよ。」 そう言って口にほおりこんだ羽矢を、心配そうに見ている。 「うまいじゃん。ちょっと甘過ぎ？」 「・・・ほんと？ さっき苦かったのに。」 「涙と一緒に食べるからだろ。」 羽矢の言葉に赤くなる。そうだったのかな。 残りの一つも口に入れた羽矢。 ついその口をじっと見つめてしまう。ほんとにおいしいかな？ 美琴の表情を読んでフッと笑った羽矢が聞く。 「味見しなおすか？」 「え？ だってもうないよ。」 箱に視線を走らせかけて、唇を重ねられた。 「・・ん？・・」 びっくりしている間に、ちょっと小さくなったチョコが口移しされてしまう。 すぐ離れた唇。 「甘いだろ？」 「・・・うん・・」真っ赤になる。でもほんとに甘かった。 飲み込んで照れ笑いする美琴が愛しくて、もう一度抱きしめる。 「ボツボツ送るよ。」 そう言いながら腕がとけない。 何も解決していない２人だけど。 一緒にいる事をお互いに選んだ、聖バレンタインデー。 雪はまだちらちら舞っていた。  |