 point.10 クリスマス・イブ 前編 −呼び名−
終業式から１週間たった。 かなりの肌寒さ。 雪を期待させるけど、この辺ではなかなか降らないだろうな。 薄曇りの空を見上げながら、羽矢は思った。 お昼過ぎ。鉄橋のそばの例の公園で、美琴と待ち合わせだった。 もうすっかり風邪は抜けていた。 美琴にうつしたんじゃないかとあとで気になったが、どうやらそれもなかったらしい。 あのあと。目覚めたのは翌日の昼近くだった。 ふたりして見事に熟睡したわけだ。 美琴もまだ腕の中で眠ってた。クスッと笑う。 まるっきり赤ん坊みたいな顔で寝るな、こいつ。 額に触れる。唇で。 起きねえか。 「柚華、こら。起きろ。」 「ん・・・ねむ・・。」 「起きないと襲うぞ。」 「ん・・・えっ？ ・・・・なんでっ！？？」 薄目をあけて羽矢を見て。目が覚めたらしく、ガバッと飛び起きた。 「えっ？ えっ？ あっと？」 夕べのことを思い出そうとするのがおかしい。 「おまえね。自分で潜ってきたくせに、忘れてるの？」 「あ。あ。あ〜、そうだ。先生、熱だして・・・。思い出した。」 ペタンとすわりこんではぁーっとため息。 「焦っちゃった。やだ。」 「服きてるだろ。なに焦ってんだか。」 「だって。」赤くなる頬。それから思い出したように手をさしのべる。 「先生、熱は？」 白い細い手をスッと羽矢の額にあてる。ドキッとあせらされたのは羽矢。 「引いてるね。もう大丈夫みたい。」 ホッとした笑顔が眩しい。 引っ込めようとしたその手をつかんでひっぱる。 「へっ？」 大勢を崩した美琴の体を抱きしめる。 「せ、せんっせいっ。」美琴が焦る。 「ちょっとだけ。」 そう言って離さない腕。緊張した美琴だがじっと動かない。 「あのさ。」 「？」 「夕べの今朝でなんなんだけどさ。」 「何？」 「いつになったら、お預けはなくなるんだ？」 「え？ あ。」 美琴の間の抜けた声がなんとも。 「かなりの拷問だぜ。おまえ。」 「・・・ごめんなさい。」 美琴が口ごもる。その顔が曇るからやめた。 大体、３０近い教師が１７の教え子に言う台詞じゃない。 これ犯罪になるよな。下手すると。 「じゃひとつだけ。」 「え？」 「ずっとじゃないよな？」 美琴は羽矢の言葉の意味を受け止めて、ちょっと恥ずかしそうに頷く。 「・・・きっと。」 「じゃしゃあない。寒中我慢大会だなぁ。」 ニヤッと笑って耳に囁く。 「賞品たのむぜ。」 美琴は真っ赤になって顔を隠した。 その顔に、ま・これも楽しめるかな。などと思ったから現金だ。 起き出した羽矢は、美琴がゆうべのうちに作っていたお粥を食べた。 （ちょっと怪しんだが、結構うまかった。） 治りがけが肝心なんだと力説する美琴に負けて、おとなしく座っている間に。 美琴はさっさとシーツやらバスタオルやらを洗濯して干したり、片づけたり。 「おまえ、異常に家事に慣れてない？」呆れて聞いてみる。 「母も仕事してるから。小さい頃からやらされて。家政婦みたいでしょ。」 なるほど。道理で。 全部片づけて、昨日買ってきた材料で簡単に夕飯までつくってしまった。 たいしたもんだな。舌を巻く。 「ちゃんと食べてね。」 「おまえは？」 「あたしは帰らないと。夕べの今日だもん。まずいよ。」 それはそうだな。 「ん。・・・サンキュ。な。」 ドアを開けようとした美琴に言いかける。 「あのさ。」 「え？」 「今日の礼も兼ねて。イブ、つきあえよ。」 「え？」 「来週。都合悪い？」 ぽけっとして。それからブンブン首をふった。 「じゃあとで連絡するから。」 「はいっ。」思いっきりの笑顔が可愛かった。 そのあと、携帯で待ち合わせを決めた。 羽矢も冬休みとはいえ、学校の仕事はあったし、 終業式前に休んでしまったので、年内に片づけなくてはならない仕事もあったから。 あれから逢ってなかった。 １週間ぶりだ。遅いな、あいつ。 煙草を吸いながら、流れる煙をボーっと見ていたら。 「先生。」 声に振り返って、煙草を持つ手が止まる。 走ってくる美琴。 最近スカートが多いな。 ブルーの暖かそうなハーフコートにクリームイエローのマフラーをぐるぐる巻いて。 コートの下からベージュのスカートがくるぶしまで覆っている。 その足元は黄色のブーツ。ボアがフワフワとそのくるぶしを取り巻いていた。 ボブの髪がマフラーからこぼれて揺れていた。 小悪魔みたいだ。しっぽがありそう。 「ごめんね。仕度に手間取っちゃった。」 目の前に立って息を切らす。 上から下まで眺めてから口の端で笑う。 「可愛いじゃん。」 ほめられて恥ずかしそうにうつむくのも可愛い。 「行くか。」 「はい。」 今日は車。 どこへ行きたいって聞いたら、大きなツリーが見たいという。天然のツリー。 泊まりってわけには行かないから、ちょっと考えて。 １時間くらいのところにある大きな都立公園に、 ライトアップされる天然のツリーがあるとニュースで見たのを思い出した。 ドライブして、夕飯食べて。ツリー見に行くか。 時間的にはそれでいっぱいの気がする。 美琴には門限はないらしいが。 「遅くなるときは連絡すれば大丈夫だけど。」 あんまり無理はさせられない。こないだ嘘をつかせたばかりだ。 １０時頃には送り届けるつもりだった。 羽矢の車をまじまじと見る。黒のビートルは小型だ。 「何？」 「ううん。車でドライブって滅多にないから。」 だよなー。高校生だし。 「まわりの子はね、結構いるんだよ。 年上の大学生とか社会人とかとつきあってる子も少なくないから。」 「へえ、そうなんだ。」 「うん。話に聞くとね。みんな得意そうに報告するから。」笑って言う。 「得意そうか？」 「んー。大人の人とつきあってると自分も大人になったみたいな錯覚するんだよ。」 「おまえ・・・鋭いね。」 「え？ そう？」 自覚してないところが怖いな。 「ほら。コート後ろへ入れて乗れよ。誰かに会うと面倒だし。」 「はい。」 なんたって同じ街の中だから。ここでは誰にあっても不思議はない。 早いところ、街を抜けよう。 助手席にのりこんだ美琴がシートベルトを締めるのを確認して、発進させた。 街を抜ける頃、すこし日が射してきた。 道はほどほどに混んでいる。まあ、急ぐわけでもないから。のんびり行こう。 「その公園にまっすぐ向かうの？」 「かなり広いから、結構遊べるみたいだし。でも目的はライトアップだから、急がない。 途中どっか見たかったら言えよ。止めてやるから。」 美琴はなんだかおしゃべりだった。 こんなにしゃべったかな、今まで。 目に付くものを手当たり次第にしゃべってる感じ。 幼く見えて、つい笑うことばかり。 「先生、いつ免許取ったの？」 「１８になってすぐだな。まだ高校の時。」 「えー？ 取れたの？」 「学校では禁止だったけどな。男子では結構多かったぜ。隠れてとっちゃう奴。」 「ふーん。やっぱりみんな取りたいんだね。こないだ吉沢くんもそんなこと言ってたよ。」 「なんかさ、憧れるんだよな。免許って。」 「あたしも取ろうかな。あたし、５月生まれだから。３年になるとすぐ１８なの。」 「うちの高校も禁止だろ。やばくない？」 「隠れてとったら？」 「教師が推奨するわけにもいかんでしょ。」 「まあそうだけど。」口をとがらせた顔がおかしくて吹きだす。 「やだ。笑わないでよ。」ちょっとすねた。 「おまえ、５月生まれか。」話題を変える。 「うん。」 「その割に・・・小柄だね。」 「そんなの関係あるの？」また口がとんがる。 他愛のない話ばかりだけれど。他愛ない話が楽しい。 「でね、先生。」 「あのさ。」 「ん？」 「それ、２人の時はやめない？」 「どれ？」 「先生って呼ぶの。」 黙る美琴。 「なんかさ。やばいことしてる気分が抜けない。先生って呼ばれると。」 「やばいこと？」 「教え子連れだしてるって。」まあ事実なんだけど。 「だって・・・。なんて呼ぶの？ じゃあ。」 「名前しかないよな。」 「名前？」 「おまえ、俺の名前覚えてないとか。」 「そんなわけないでしょ。」 「覚えてるんだ？」 「そりゃあ・・・。でもなんか、呼びづらいよ。えー。」 ブツブツ言ってる。クスクス笑う羽矢。 「先生、あたしで遊んでる？」 「ほらまた。先生はやめる。返事しないぜ。もう。」 「えーーー。」 沈黙に陥る車内。 「・・・呼ばなきゃ駄目？」 「駄目。」 「どうしても？」 「どうしても。」 「うー。」 「呼べたら、あとでいいことあるぜ。」 「どんな？」 「それは内緒。呼ぶ気になったか？」 百面相をしてからうつむいた美琴が、かすかに声をだす。 「・・・・とさ・・ん？」 「聞こえない〜。」 「りゅ・・と・・ん。」 「おまえね。せっかく呼ぶんだから、聞こえるように呼んでくれよ。」 何度も口をふくらませたりすぼめたりして。ためらって。 ようやく聞こえた。 「りゅうと・・さん」 呼べと言った本人も意外なくらいそれは甘く聞こえて。 悪くない。 「合格。じゃこれから２人の時はそう呼ぶように。」 「・・・え〜。」 「慣れだよ。切り替えるの忘れるなよ。」 「だったら先生でいいのに。」 「イヤなの。」 渋々承知して。それから美琴が逆襲する。 「じゃあ先生も」ギロッと睨まれて、あわてて言い直す。 「り・・琉斗さんも、名字じゃなくて名前で呼んでくれる？」 「あー、そっか。オッケー。いいよ。」 なんともあっさり頷く。 「じゃ呼んでみて。」 「美琴？」 気軽なその呼び方。でも美琴の顔が嬉しそうに微笑む。 「ん。ならいい。」 ほんと、ガキなんだけど。俺もガキだから同じだな。 公園に着く頃には、短い冬の陽は傾いていた。 とりあえずツリーの場所を確認する。 「えーっと。こっちだってさ。」 「あ、あれかな。おっきい木。」 辿り着いたそこには、確かに大きな大きなツリーが立っていた。 天然の木に無数のライトと飾り。その前にグラスツリーも出来ている。 「うわぁ。これにライト当たったら、綺麗だよね。」 美琴がワクワクしながら、羽矢に振り返る。 「ああ。凄いな。こんなに大きいとは思わなかったよ。」 連れてきた羽矢が驚くほどだ。 まだ夕飯にも早いので、公園内を散策する。 大きな公園なので、走る人、歩く人、犬を連れた人、家族連れ、老夫婦。色とりどり。 だんだん暮れてくる空。薄曇りだったので夕焼けは空の端だけ。 大きな池があった。 そこにうつる夕焼けの色がきれいだった。 「本物より、水に映った方が綺麗に見えることってあるよね。」 「そうだな。」 「どうしてかな。」 「でも、本物の方がいいこともたくさんあるだろ。」 その言葉に羽矢を見て、急に美琴が腕を組んだ。 「？」 「いい？」 羽矢が笑う。腕に頭をすりつける仕草が、美琴らしかった。 風が冷たいのが、こういうときは嬉しかったりした。隣の温かさを感じるから。 空が沈んでいく。星が存在を主張しはじめる。 ここにいるよと。  |