 point.9 終業式 −信じること−
期末テストの後、学校は学期末へとなだれ込む。 暮れのせわしなさも加わって、生徒も先生も浮き足立つ。 終業式のあとにクリスマスの連休・冬休みと続くので、 生徒達は遊ぶ算段に忙しかった。 あれ以来、羽矢は美琴と話していない。話す時間がとれない。 携帯をかけても美琴は出ない。 かかっても来なかった。 些細なことなのに。でも自分自身を問われたのだとはわかっていた。 理科実験部には美琴は出てきているが、羽矢に近づかない。 何度か授業があっても視線をあわせようとはしない。 どうすればいいのかわからなかった。 一回りも年下のしかも生徒に、振り回されている自分が情けなくもあり、おかしくすらある。 このまま失うのだろうか。つかんだと思ったばかりなのに。 美琴はと言えば。 投げてしまった自分の気持ちと言葉。それを持て余していた。 言いたいことを言って結局逃げてきたんだ。あたしは。 そう思うと羽矢と顔をあわせられなかった。 かかってくる携帯に、どう言えばいいのかわからなかった。 そう。わからない。 先生はどうしてあたしに「惚れた」って言ってくれたんだろう。 あたしのことはろくに知らない。あたしだって先生のこと知らない。 じゃああたしはどうして好きになったんだろう。 でも好きだった。覆らない自分の気持ちだけは確認していた。 だから意味のないキスをする羽矢が怖かった。 子どもなのかな。大人はみんなそう？ 神岡くんにも言われたっけ。男の人はそうなのかな。 考えても考えてもわからなくて、ただ日数だけが過ぎていく。 このまま冬休みに入ったら、３学期まで逢えない。きっと。 どうしよう。 逢いたい気持ちはどんどんふくらんで。 でもわからないまま。 いつのまにか終業式。 冬休みは部活も休み。逢う機会なんてない。 今日。なんとか話さなくちゃ。 でもなんて？ 何をどう言えばいい？ 体育館で校長先生が学期末の訓辞をしている間。 並んでいる先生達の中から羽矢を捜す。 ところが羽矢の姿が見えない。あれ？ 先生いない？ 終業式に来ないはずないのに。 通知票を受け取ってクラスが解散になったあと。 美琴は隣のクラスの葛西のところへ行った。 「葛西くん。」 「部活は３学期まで休みだよ。」 「うん。ねえ、羽矢先生、来てない？」 「ああ。なんでも風邪ひいたらしい。こじらせて、昨日から休んでるって。」 「そうなの？」 「俺もさ。冬休みのこと確認しておこうと思ったんだけど。しょうがないよな。」 「・・・そうなんだ。」 「何か用だったのか？」 「ううん。ちょっとね。ありがとう。又来年。」 「おう。」 風邪。 先生って一人暮らしだったよね。大丈夫かな。 かかってきても出なかった携帯。かけられなかった番号。 美琴はキュッと唇を噛むと、渡り廊下で携帯を鳴らしてみた。 発信音がなるけど、つながらない。 ５回で留守番メッセージに切り替わってしまった。 寝てるのかな。具合良くないんだろうか。 今日はどうしても、話をしようと思ってたのに。 このまま冬休みを過ごすなんて、不可能に思えた。 意を決すると、職員室へ向かった美琴。 「白石先生。」 「柚華。なんか用か？」 「あの。羽矢先生、具合が悪いって。」 「ん？ ああ。ここ１週間ほどセキしてたんだけどな、 昨日とうとうダウンしたって。本人から電話あって。」 「理科実験部でお見舞いに行こうって話になって。暮れの挨拶も兼ねて。」 「へえ。殊勝なことだな。」笑う先生。 「すみません。住所教えていただけますか？」 校門を出てやっと息がつけた。 こんな嘘ついて人の住所聞くなんて、初めてで気が引けた。 でも。 どうしても逢いたかった。逢わないといけない気がした。 書いてもらった住所は、美琴の家とは鉄橋をはさんでちょうど反対側。 一度家に戻って。 風邪なら少し飲み物とか食べ物持っていこう。 具合が悪くないといいんだけど。 探し当てた羽矢のアパートは４階建て。いわゆる独身向きのあっさりした造り。 マンションとアパートの中間のイメージ。まだ新しいのか外壁がきれいだ。 「３０１号室」 エレベーターがないらしく、外階段を登る。 つきあたりの角部屋のドアに羽矢の名前が入っていた。 新聞が入ったままだ。 いないのかな。気持ちが沈む。ここまでくるのもためらいためらい。 ドキドキしながらようやく自分をひっぱってきたのに。 そう。ここまできたんだから。 インターホンを鳴らす。 ピンポーンというその音が、ものすごく大きく聞こえて心臓がとびあがる。 でも中からは応答がなかった。人の気配もしない。 やっぱり留守？ がっかりする。病院かな。 あきらめきれずに握ったドアノブが、カチャっと回った。 開いてる？ 一人で先生の部屋を尋ねるだけで、美琴にしてみればものすごい大胆さ。 ましてや勝手に入るなんて。その場でしばらく迷う。 いないかもしれない。 のぞいていないなら、買ってきたものだけおいて帰ろう。 そう決めて、おそるおそるドアを開けた。 「ごめんください。」 部屋の中は意外に綺麗だった。 玄関を入るとＬＤＫらしく、カウンターの向こうに大きなソファが窓に向かっている。 ローテーブルがそばにあり、そこに新聞やら鉛筆やらが無造作においてある。 キッチンを見ると、そこだけきれいな部屋とはちがって、洗い物がたまってる。 カップ麺の残骸もある。 「先生？ お留守ですか？」返事はない。 やっぱりいないのかな。しょうがない。これ置いて帰ろう。 名前くらい書かないと怪しいだけだよね。あ、ペンがない。 鉛筆を借りようと靴を脱いで、ローテーブルに近づいた。 すると声が聞こえた。寝言のような唸るような声。 また跳び上がる心臓。 リビングの横にもう一つドアがある。そこから聞こえる。 いるの？ 寝てる？ そーっとそのドアを押し開けてみた。 その部屋はベランダに面していて明るいはずなのに、カーテンがしめてある。 シングルベッドがポンとドアの向かいにおいてあって。 そこに羽矢が転がっていた。そう、転がっていた。 見るからに苦しそうであわてた。 「先生？」 駆け寄って額に触ると熱が高かった。額一面に浮き上がっている汗。 「やだ。先生？ 先生ってば。」 声をかけても返事はない。苦しそうに寝返りをうつばかり。 いつからこういう状態なのか、 着ているランニングもかぶっている毛布も汗でぐっしょり濡れている。 美琴はあわててまわりを見渡すと、クローゼットに目を留めて飛びついた。 タオルケットをみつける。もう１枚毛布もあった。 風呂場を探してバスタオルもとってくる。タオルもあるだけ。 シーツを変えたいけど、とても美琴じゃ動かせない羽矢の体。 恥ずかしさも感じるヒマが無くて、とにかく羽矢の下にバスタオルを敷き詰める。 それからきれいなタオルケットと毛布をかける。そのうえから布団を乗せる。 温かくして汗をかいた方がいい。 体温計、もってくればよかった。でもこれじゃ３９度はあるよね。 乾いたタオルの肌触りに安心したのか、苦しげな寝返りをうたなくなった羽矢。 冷蔵庫を勝手に開ける。 アイスノンを見つけてタオルで包むと頭の下にあててやる。 あとは・・水！ ポカリスエット買ってきたっけ。 玄関に駆け戻ると、ペットボトルのそれを取ってくる。 飲めるかな。 「先生？ 水。水飲んだ方がいいよ。」 声をかけるけど、答えはない。 早い息づかい。唇がカラカラにかさついている。 流し入れようとするけど、嫌って駄目だ。口に入らず流れ落ちるだけ。 どうしよう。この熱じゃ脱水症状になりかねない。なんとか飲ませないと。 ペットボトルをしばらく睨んで躊躇してから、美琴はそれを口に含んだ。 ためらい、震えながらも羽矢に口移しで飲ませる。 乾いた唇。 ようやく口に入った水分に、羽矢の喉がごくりとなるのが聞こえる。 「み・・・ず。」 もう一度。美琴は必死で繰り返す。カラカラの唇が湿るまで。 ４度目を飲み終わったとき、羽矢の腕が美琴の肩をとらえた。ビクッとする。 薄目を開ける羽矢。 「ゆ・・げ？」 黙って頷く。 「な・・・んで・・？」羽矢の頭は朦朧としている。 「寝て。寝ないと治らないから。いるから大丈夫。」 まだ熱が高い。とにかく今は寝かせるのが先だった。 「いる・・？」 「ん。いるよ。」 「・・そ・・っか。」 羽矢は子どものように、スッとまた眠り込んだ。 はーっとため息をつくと力が抜けた。 熱、下がるかな。羽矢の顔を見ながら、でも唇から目をそらす。 今のうちに毛布を洗っておけば、きょうはお天気いいから乾く。 洗濯機、あったはず。 眠った羽矢を残して、美琴は毛布をとって風呂場へ向かった。 羽矢が眼を覚まさないうちに、日が暮れてきてしまった。 このままここにはいられないよね。やっぱり。 いるって言ったんだけど。 こんこんと眠っている顔を見ながら、悩む。 やっぱりまずいよね。お母さん帰ってる。今日はもう担任にも嘘ついちゃってるし。 自分の大胆さに呆れそうだ。怖くない訳じゃない。でも。 今はどうしてもそばにいたかった。目を開けるのを確認したかった。 携帯を取り出すと、美那子にかけた。 「はい。美琴？」 「美那子？ ごめん。頼みが。」 「何？ どうかしたの？」 「今晩、美那子んちに泊まることにしてくれない？」 「え？ 泊まりに来るの？」 「そうじゃなくて。そういうことにしてくれない？」 「・・・何。あんたどこにいるの？」 「ごめん。今言えないの。今度、話せるようになったら、ちゃんと話すから。」 「やっぱり、彼氏がいたのね。そうでしょ？」 「う・・・ん。」 「わかった。美琴がそんなこと言いだすなんてまずないものね。いいわよ。」 「ありがとう。」 「そのうち教えてね。」 「うん。話せるようになったら。」 「何？ 変な奴じゃないでしょうね？ 危ない人？」美那子の声が心配そうになる。 「ううん。違う違う。」苦笑する美琴。 「ならいいけど。おばさんにあたしからかけておこうか？」 「いいの？ 助かる。」 「いいって。今度あたしのアリバイにも協力してね。」 「嶋くんと？ クリスマス一緒でしょ。」 「へへ。じゃ、かけとくから。がんばんなさいよ。」 「ありがとう。恩に着る。」 よかった。 美那子に話せるようになるかな。でも先生じゃ・・・。 ううん。余計なことは後回し。 おかゆでもつくっておこう。買い物してきて正解。 洗い物をかたづけたキッチンで、美琴は鍋を捜し始めた。 羽矢はフッと目を開けた。 ここは・・・俺の部屋だ。あたりまえか。 １週間前から体調を崩したが、軽い風邪だと高をくくっていた。 そしたら急に悪化して。終業式の前日、朝からどうにも動けなくなった。 学校へはなんとか連絡したものの、薬が切れても買いに行けない。 食べられない。飲めない。 こういうとき一人暮らしはきついものがある。 羽矢の実家は海岸沿いの田舎。そっちに連絡したってしょうがない。 高くなる熱にベッドでゴロゴロと耐えるしかなかった。 そのうち意識が朦朧としてくる。 まずい。そう思ったが、すでに遅い。 まさか死ぬことはないだろう。わずかな恐怖で記憶が途切れて。 あれ。美琴がいたような。 気のせい？ 夢か？ すっかり熱が抜けて体が楽になっているのがわかった。 起きあがってみると、ベッドにバスタオルが敷き詰めてある。 タオルケットに毛布。俺じゃないぞ、これ。 そこで暗がりの中、ベッドの端によりかかって眠っている美琴を見つけた。 頭をベッドにかたむけて。手にはペットボトルをもって。 甦る記憶。 あの唇は美琴？ カラカラの喉に流れ込んでくる水。 誰かの唇が触れるたび、癒してくれる乾き。 何度も。何度も。 唇が離れるのが不安で手を伸ばしたら、そこに美琴の顔があった。 「寝て。いるから大丈夫。」 そう言われて、ものすごく安心して眠れた自分。 「意味のないキスなんてあたしはいらない！」 そう言って逃げたのに。 来てくれたんだな。おまえ。 「柚華。」 「ん・・・。」 「おい、おまえが風邪ひくぞ。」 体を揺らすとようやく目を開けた。羽矢を見て、一瞬ボーっとして。 「先・・生？」 それからガバッと起きる。 「熱は！？」 「ん。もう大丈夫だ。」 とたんにぽろぽろ泣き出した。 「柚華？」びっくりする羽矢。 「・・・やだもう。心配したのに。」そのまましゃくりあげる。 羽矢はその体を抱え込む。大事に。 「ごめんな。」そう。ごめん。 抱きしめるのは久しぶりだった。そのストレートの髪も。すっぽり入る体も。 ひょっとしたら。もう腕の中につかまらないかと思っていた。 素直に嬉しかった。ここに美琴がいてくれるのが。 どうしても。失うことはできない気がした。 その髪にキスを落とす。額に。頬に。 それから唇に。 美琴はただ受け止めている。やっぱり震えてるけど。 そのキスに意味はあった。溢れるくらいの想い。 それは言わなくてもわかったから。 やがてキスが深くなりかける。舌が忍び込もうとした時、美琴はビクッと離れた。 怯えたようにうつむく。 「・・・ごめん。嫌だったか？」 羽矢が耳に囁く。 「先生・・・前に聞いたよね。」 「ん？」 「なんでふられたんだって。」 「ああ。」 「あたしね。抱きしめられたりキスしたりまではなんとか平気だけど。」 「だけど？」 「それ以上は・・・駄目なの。怖いの。」 恥ずかしいというより辛そうな声。 「今はつき合うとみんな、結構早いでしょ。 中学の時だってそうだったもん。でもあたし、逃げるから。 どうしても怖くて。受け入れられないの。」 「・・・それで？」 「神岡君に言われた。俺は犬じゃない、お預けさせるなって。 そんなの男は納得しないって。それでふられたの。」 声がかすれる。 「なんでそんなに怖いんだ？」そりゃあ始めは誰も怖いだろうけど。 その問いにうつむく。顔を見たくて羽矢はその頬に触れる。 「キスが限界なの。だから、先生も神岡君みたいに思うなら・・・無理しなくていいよ。」 押し出すようにそう言って、やっとあげる視線。 答えの代わりにもう一度ゆっくり唇が重なった。美琴は動けない。 羽矢には、今はそれが大したことに思えなかったのだ。 どう考えても真夜中。 この時間。ここにいるのは勇気がいったはず。 それが美琴が示してくれた思いだとわかってるから。 抱きしめる。壊さないように。そっと。 美琴は黙って胸にもたれた。 ベッドによりかかりながら、羽矢は美琴を抱えたまま聞く。 「おまえ、家には？」 「美那子に頼んで、泊まったことにしてもらったの。」 「大丈夫か？」気がかりそうに聞く羽矢。 「うん。」小さく頷く。 「そういや、どうやって入ったんだ？」 「開いてたよ、鍵。」 「あれ。俺鍵かけなかったのか。」 「でなかったら入れないよ。」 「よく来たな。」 「・・・だって。冬休みになっちゃったから。このまま逢えないのはイヤだったの。 どうしても、逢いたかったの。」 この子の言葉にはいい加減なところはなくて。 いつも率直で嘘がない。 それに追いつめられもするけれど。でも安らぐ。ほんとの言葉だから。 「先生？ もう寝たほうがいいよ。まだ休まないと。」美琴が気にする。 「いいよ。たっぷり寝た。」 「駄目だよ。あ、水飲む？」 美琴はそばに転がしていたペットボトルを取って差し出す。 「サンキュ。」 確かに喉は乾いていた。ゴクゴクと飲み干してしまう。 「まだいる？ 取ってくるから。ベッドに入ってて。」 美琴は玄関の買い物袋から、新しいのを持ってきた。 戻ると羽矢が敷き詰めたバスタオルを見ている。 「これ、おまえだろ。よくやるな。」 「だって。汗でぐっしょりで寝苦しそうだったから。替えのシーツある？ 取り替えるよ。」 羽矢が取り出した新しいシーツを敷き直す。 「手際いいよな。」 「救護とか、看護系に興味あるんだ。だから。」 そういえば体育祭も救護係だったっけ。 「はい。飲むんでしょ。」 ベッドを整え直してから、差し出すペットボトル。 「ああ。」 体が水分を欲しがっている。新しいボトルも半分開けてしまった。 「はやく寝て。ほら。」 「おまえは？」 「あたし、あっちのソファ借りるから。」 「だって毛布、もうないだろう。」１枚はベランダにはためいている。 「大丈夫。コートあるから。」 「いいじゃん。ここで寝れば？」 「は？」 唐突な言葉に美琴の目が点になる。さっき言ったのに、聞いてたのかな。 「その方が温かいだろ。」 「あたし、あっちで寝るから。」 逃げようとする美琴をつかまえる腕。 「あのね。おれは病み上がりなの。襲わないって。」 「そういうことじゃ。」 「そういうことだろ。」 「だって。」 「信じろよ。キスが限界なのはわかったって。手は出さない。」 「信じる？」 「それくらいの理性はあるの。でも一緒に眠りたいからさ。」 なんだか無茶苦茶な台詞。どう聞いたってやばいと思うのに。 でも美琴にはその声音に何か、聞きたかった響きがある気がした。 一緒に眠る−。 「・・・何もしない？」 「しない。」 「それでもいいの？」 「なんで？ 俺がそうしたいんだから。」 「・・・男の人って、そういうのは納得しないのかと思ってたから。」 「そういうのって？」 「同じところで眠っても何もしないでいること。」 「んー。まあ確かに好きな相手だと、それって生殺しできついけどな。」 苦笑する羽矢。 「永遠にそれじゃ辛いだろうけど。相手が納得するまでくらいは待てるさ。」 「待てる？」 「少なくとも俺は構わないけどね。待つのも楽しみじゃん。」 そう言った笑顔が、美琴の頑なさをひとつ溶かす。 待ってくれる？ あたしが納得するまで？ 「まあ、イヤならいいけど。」 そういって布団に潜った羽矢。 ドアが閉まる音がしたから、向こうへ行ったのかと思ったら。 背中にもぞもぞと入ってくる気配。あれ。 振り向いたら美琴がいた。 「・・・いいのか？」 「信じたから。」 「抱きしめても？」 「・・・抱きしめるだけなら。」 腕に中にすっぽりと納める。安心枕だな。これじゃ。 笑っちゃうけど、ホッとする温かさが嬉しくて。 つい軽く唇に触れた。 一瞬体をこわばらせた美琴は、すぐフワッと表情をゆるめた。 「先生？」 「ん？」 「ありがと。」 「なんだよ。変な奴だな。」 「先生も変だよ。」 「そっか。」 ２人でクスクス笑って。美琴の体から緊張が抜けた。 それは逆に羽矢の体に緊張を強いる。言っちゃったもんな。手は出さない。 カッコつけすぎたか。 抱きしめた美琴の体は柔らかくて。 どこからともなく沸き上がりかける凶暴な思いはもちろんある。 でも押さえ込んだ。 美琴の体が重くなるのを腕に感じる。 寝息が聞こえる。寝ちゃったのか。看病で疲れたんだな。 確かにこれは拷問だ。生殺しもいいところ。 でもまあ。ある意味天国。 熱で疲れた体に心地いい香り。これは美琴の髪の香り。 寝息を子守歌に。香りに誘われて。温もりを抱きしめて。 羽矢も眠り込んでいた。 その夜、信じることを覚えた。お互いの心を。心で。  |