 point.7 期末テスト前 −不安な心−
文化祭が終わると、期末テストが目前だった。 楽しいことの後にはどうして、お約束のように辛いことが来るんだろう。 テストを辛いことと言っては、ほんとに辛い人に蹴っ飛ばされかねないけど。 頭がよくないあたしにとっては、やっぱり大変なのだ。 おまけに。 気を散らすことをテスト前に増やしてしまったから。 文化祭のキャンプファイアーを見ながら。 あたしは新しい恋を見つけた。 好きになった人に好きって言ってもらえる幸せ。 だけど、相手は先生で。 一回りも年上で。 おまけに校内に親衛隊まで控える人気者で。 いざ現実に戻ると、なんだか頭を抱えてしまいそうだった。 うまくやれるのかな。 先生とあたしの接点は、普通は授業と部活だけだ。 でも授業は選択教科だから、毎日あるわけじゃないし。 部活は週３日。それも先生がいるときは大抵ミーハー部員・親衛隊が群がる。 文化祭でかなりの衝撃をうけてめげたかと思った親衛隊だったけど。 そのあとすっかり復活したようだ。 ３年の唐さん達にとっては、残り少ない学校生活。 より気合いを入れ直したみたいで、先生へのまとわりつきかたが尋常じゃなかった。 これまであたしはそれを知らんぷりして見ていた方だから。 今さらそこへ混ざるわけにも行かない。それじゃバレバレ。 混ざる気もしないんだけど。 だからって心穏やかってこともできなくて。 おまけに近づくテストで部活は中断。 あたしはテスト勉強。先生はテスト作成準備に追われて。逢うのも難しい。 幸せに浸れたのはほんのちょっと。 あとは上がったり下がったり。故障したエレベーターに乗っているようなものだった。 でもやっぱり、幸せな気分は漏れ出るらしく。 昨日美那子に言われた。 「ねえ、彼氏でもできたの？」 ドキッとした。何も言ってないのに。 「へ？ なんで？」 「なんとなくね。明るいし。でも浮いたり沈んだりしてるし。」 「浮いたり沈んだり？」 「あたしもね、時々なるから。恋してるとそうじゃない？」 鋭い。 「えー。気のせいじゃない？」 「そう？ だって神岡くんに動じなくなったし。」 げ？ そんなとこまで見てる？ 「あたし、神岡くんに動じてた？」 「そんな怖い顔しないでよ。あたしだからわかるくらいよ。ちょっとだけね。」 「ちょっと？」 「うん。こないだの文化祭の時も嫌そうだったでしょ。」 「ああ。あの時は。」 「それがさ、このごろ班が一緒になっても、全然普通じゃない。だからね。」 美那子ってこんなに鋭かったかな。 「ようやくふっきれたってところなのよ。」とりあえずはそう言うしかない。 「うん。だからさ。新しい恋かなって。」 「考えすぎだってば。」 「そう？ ま、明るいからいいけどね。どっちでも。」 ごめんね。ありがと美那子。 それにしても、見てる人は見てるんだな。気をつけよう。 先生相手に恋してるなんてばれたら大変だ。 うちの高校は男女交際にはいたってフランクでオープンな校風なんだけど。 教師と生徒はやっぱりまずいと思うし。 ほんと、冷静になると大変だな、これって。 なんでこうなったんだろう。またぼやきそう。テストテスト。 テスト３日前。 日直だったあたしは、帰る前に物理の提出プリントを集めた。 一緒に日直だった男子が、塾に間に合わないって言うので、 あたしがやっておくからと先に帰ってもらった。 まとめてから職員室へ届けに行く。 「すいません。羽矢先生は？」 「あれ？ さっきまでいたんだけど。」 いないのか。なんだ。ちょっとでも逢えるかと思ったのに。 がっかりしながら、先生の机の上にプリントを置いて出た。 先週の部活以来逢ってないなぁ。そりゃあ授業はあるけど。 教室へ戻ってカバンを持つ。 逢いたいな。 実験室をのぞいてみたけど、森閑としていて人の気配はなかった。 職員室では帰ったとは言ってなかったし。先生のカバンがあったし。 煙草かな。 屋上へ上ってみた。階段口からのぞいてみる。 もう１２月。風が冷たい。 見渡したけど、誰もいない。 はあ。ダメか。帰らなきゃ。勉強しなくちゃ。 帰りかけたとき、声が聞こえた。 「どうしてですかっ？」 唐さん？ あたしはそっと声の方へまわった。 ちょうど階段の上がり口の裏側で。 羽矢先生と唐さんが向かい合ってた。 唐さんの背中が張りつめていてドキッとする。 「あたしは先生が好きなんです。２年の時、先生が赴任してきてからずっと。 そう、ずっとそう言ってきたのに。相手にもしてくれないなんて。」 「あのな。俺は教師。生徒に手は出さない主義。」 その言葉にぎくりとする。 生徒に手は出さない主義。あたしは？ 「先生はあの人が好きなんですね。こないだ来たあの図々しい人。」 唐さんが詰め寄る。 「だから相手にしてくれないんだ。あんな、先生をこれ見よがしに呼び捨てる人。」 「知らない人間の悪口はやめとけ。自分を落とすだけだぞ。」 先生の冷静な声は、こういう時とても意地悪に聞こえる。 唐さんが黙り込む。 「唐、おまえもじきに卒業だろ。もう俺からも卒業した方がいい。 俺はおまえに興味がない。教師であってもなくてもたぶん同じだ。 たとえばおまえが卒業して教え子でなくなったからって、おまえとつき合おうとは思わない。」 はっきりした言葉。残酷なくらい。 唐さんはあたしにとっては不安のタネだったのに。 こんな風に斬り捨てるような台詞は、逆にあたしを不安にする。 これは・・唐さんだけに言うのかな。あたしもいつか言われるんじゃないかな。 唐さんの背中が震える。 「わかってる。ずっとわかってたけど。あきらめきれなかったんだもの。」 押し出すようなつぶやき。 ふいに頭をあげた。 「先生、キスしていい？」 え？ 「それで終わりにするから。親衛隊もやめるから。もう・・・あきらめるから。 キスしていい？」 あたしは息をのんで先生の返事をまった。唐さんと一緒に。 先生は肩をすくめた。 「おまえの気がすむんならな。」 嘘。 自分の目が見開いていくのがわかる。 唐さんはまっすぐに先生に歩み寄ると、その唇に唇を重ねようとする。 その瞬間をあたしは見られなかった。 目をつぶるとクルッときびすを返した。 それから何も考えず、階段を駆け下りた。足音なんて気にしなかった。逃げたかった。 帰り道。 何も考えなくても、決まった道を帰る。人はそういうものらしい。 いつもどおりの道をいつのまにか辿って。 でも頭の中はぐるぐる、同じところを回っていた。 『俺は教師。生徒に手は出さない主義。』 『俺はおまえに興味がない。』 『おまえの気がすむんならな。』 黙って唐さんにキスさせていた先生。 先生にとってキスって・・・なんなんだろう。 意味なんて求めるものじゃないのかもしれない。 先生はいつでも。誰とでも出来るのかも知れない。 でも。 だとしたら、全部そう？ 確かなものってないの？ 頭の中にもう一つの声が聞こえる。 『そんなんじゃ男は納得しねえよ！』 そう言ってあたしから離れた神岡くん。 ああ。 こんな事考えてるヒマないのに。テスト前なのに。期末がくる。 なのに。こんなんじゃ勉強なんてー。 助けを求めるようにまわりを見回すけど、あるわけもなくて。 あたしは家に帰るしかなかった。 夕食の後、自分の部屋に引っ込んで勉強を続けた。 でも。集中できない。 気がつくと、さっきの光景と先生の事を考えている。 あのキスを。 「あーー。もう！ こんなんじゃ成績おっこちちゃうよ。」 思わず独り言が出て、あわててドアを伺う。母さんに聞こえてないよね。 どうすればいいのか。 その時携帯が鳴った。 美那子かな。 着信を見て驚いた。先生？ 携帯番号を交換したのはごく最近。 テストで部活が休みになる直前だ。 下校ギリギリの時間の実験室。 部活の後かたづけをひとりですませていたら、先に帰ったはずの先生が現れた。 「先生。帰ったんじゃ？」親衛隊に囲まれてたはず。 「まいてきた。たまんねえな、あれ。」苦笑いする。 「おまえさ、携帯持ってるだろ。」 「はい。」 「貸せよ。」 渡したらシャカシャカとプッシュして。 「これがおまえの番号か。」 そう言って返してくる。 とたんにあたしの携帯が鳴りだした。あわてて出る。 「もしもし？」 「これが俺の番号ね。」 かけてたのは先生だった。 「名前は暗号にしとけよ。やばいから。」 「・・・はい。」 嬉しくて、一生懸命名前を考えるあたし。 「羽矢。羽矢。羽。ウィングでいいかな。」 「いいんじゃないの。」 「はい。」登録しておく。 『wing』 先生の番号。先生につながる。なんだかホッとした。 そしたらいつのまにか、先生が後ろにいて抱きしめられた。 「最近落ち着かないよな。」 「・・・だって。テスト前だし。親衛隊もがんばってるし。」 「あれは参るぜ、ほんと。」 そういいながら、あたしの髪をなでる指。 首筋にかかる息につい逃げようとする。 「先生は？」 「ん？」 「あたしの名前をなんて入れるの？」 「柚華。」 「それってそのまま。」 「いいじゃん。俺の携帯は誰も見ないさ。」 ちょっとだけだったけど。久しぶりに２人になれた時間。 鳴り続ける携帯に我に返る。あ。出なきゃ。 「も、もしもし。」 「遅いっ！」 いきなり怒鳴られた。なんで？ 「おまえね、風呂にでも入ってたの？」 「・・ううん。勉強してた。」 「何で出ないんだ？」 「ちょっと手間取っただけ。カバンに入れてあったから。」 声がつい沈む。それを敏感に感じ取られたみたい。。 「どうした？」 「え？」 「なんかあったか？」 「・・・ううん。」 首をふる。見えるわけでもないのに。 「あ。物理のプリント、わかった？」 「なに。おまえ日直だったの？」 「うん。いないから机に置いて帰ったの。」 「なんだよ。知ってればいたのに。」 「どこにいたの？」 わざと聞いてみる。ちょっと沈黙。 「ちょっと用でな。」 やっぱり言わない。それはそうよね。でも。 「柚華？」 「はい。」 「勉強してるのか？」 「してるけど・・・進まない。」 「あとで遊べるように、しっかりやれよ。追試くらうぞ。」 「ん。」 言葉が続けられない。聞いてみたいのに。 「先生？」 「なんだ？」 先生にとって、キスって−。 「なんでもない。」 「言いかけてやめるなよ。」 「ごめんなさい。ほんと、なんでもない。」 「おまえ、ホントに何か聞きたいんじゃないか？」 「・・・ううん。」 口の重いあたしに、諦めたように。 「・・・そっか。おまえもたまにはかけてこいよ。」 「はい。・・お休みなさい。」 「ん。」 プツッと切れる音。それが悲しく聞こえる。 勉強しなくちゃ。わかってるのに。 先生の番号を見ながら、あたしの心は不安でうろうろとするばかりだった。  |