 point.6 文化祭 後編 −キャンプファイアーを見下ろして−
翌日もいいお天気だった。 文化祭２日目。今日は、４時には終了する。 後かたづけしてから、皆が楽しみにしているキャンプファイアーになる。 そこが文化祭のクライマックスだ。カップルにも。誰にとっても。 たぶん。 今日は午前中にローテーションが回ってきていた。 昨日で皆要領をつかんだので、人が多い割に失敗もなく喫茶室は順調だった。 これなら売り上げも結構上がるだろう。 もっとも売り上げは生徒会活動費になってしまうんだけど。 朝から唐さんの機嫌が悪かった。羽矢先生がつかまらないせいらしい。 今日は校内見回り役らしいから、れっきとした仕事なんだけど。 「昨日だって皆と一緒に帰ろうって言ったのに、消えちゃったのよ。全く。」 仕事をしながら知らんぷりしつつ、あたしはギクッとしていた。 昨日。帰りがけにここで、羽矢先生にまた抱きしめられた。 最初は怖いだけだったけど、最後はとても優しかった。 ゆらゆらと揺られるのがゆりかごのように思えた。 逆立っていた感情がなめらかに整えられる、そんな感じで。 しばらく揺れた後、羽矢先生は腕を解いた。 「落ち着いたか？」 思いっきり泣きわめいたので、恥ずかしくてうつむいたまま頷く。 するとクシャッと髪をなでられた。 「悪かったな。」 見上げた目も優しかった。 「早く帰れ。もう遅い。」 「はい。」 素直に頷いてあたしは部屋を出かけた。 そこでまた声をかけられた。 「柚華。」 振り向くと先生がニヤッと笑った。 「おまえ、結構グラマーだな。」 やっぱり見たんだ。真っ赤になってしまう。 「先生のスケベ！」 ドアを叩きつけたら、先生が笑っているのが聞こえた。 ほんとよくわかんない。 あんなことがばれたら大変だ。 誰も知らないよね。何気なくまわりを伺うけど、誰もあたしに気を払わない。 よかった。 あたしのローテーションは無事に終わった。あとは後かたづけだけだ。 もうちょっと校内を見てこよう。 そのあと、事が起こるなんて思いもしなかった。 お昼を食べついでに一巡りして帰ってきたら、なんだか喫茶室のあたりが不穏な空気。 あれ。なにかあったんだろうか。 あわてて近づく。人垣が出来ている。 「ちょ、ちょっとごめんなさい。」 中にすべりこむと、唐さんの凄い形相が目に入った。 ゴージャスな容姿に、ミニスカートとエプロンという出で立ちで、腕を組んで仁王立ちだ。 にらみつけられているのは、テーブルに座っている女性。・・あれ、どこかで。 あたしは厨房の美那子をつかまえる。 「何？ どうしたの？」 「それがね。あの人が羽矢先生に会いたいってやってきて。」 思い出した。あの人。 夏休みに羽矢先生をひっぱたいた人だ。 どうしてここに？ 「呼んできてくれって言われて。 ご用件はって言ったら、大人のことに口出しするなって。」 うわぁ〜。唐さんにそんなこと言っても。 「唐さん怒っちゃってずっとあそこ。あの人は涼しい顔で羽矢先生待ってるの。 もうまわりがびびっちゃって。お客さん、いなくなっちゃうよ。野次馬ばっかり。」 「羽矢先生は？」 「今日は見回りでしょ。一度見に来たんだけど。 昼休みで職員室にもいないらしいの。葛西くん達が捜してる。」 どこいったんだろう。羽矢先生の行きそうな・・・煙草。 煙草の吸えるところ。屋上か、体育館の裏か、あ、裏山。 「あたしも捜してくる。」 「え？ あ、美琴。」 でもあの人。 ひっぱたいてたから。てっきり先生を振ったのかと思ったのに。 こんなところまで来るなんて。まだ・・・つきあってたんだ。 足がのろくなったのは何故だろう。 重石が胸にのっかったような。なんで？ あたし、先生になにか・・・期待してたんだろうか？ 先生は先生なのに。 頭をぶるんと振ってまた走り出す。 とにかく、先生をつかまえないと。あれじゃまずい。 案の定、先生は裏山にねっころがっていた。 立ち上る煙が居場所を指している。 「羽矢先生！」 呼ばれてあわてて起きあがる。ほんと、こんなとこにいないでよ。 「柚華か。おどかすなよ。」 「お客さんです。早く。」 「客？ 俺に？」 「とにかく早く。唐さんが怒っちゃって。」 あたしは訝しがる先生を引っ張っていく。 「柚華、おい。誰だよ。」 「・・・あの人です。」 「誰？」 「先生をひっぱたいた人。」 あたしと先生の視線が合う。先生の目が見開いた。驚いたんだ。 「マジか？」 「嘘ついてどうするんですか。」 「でもなんで。」 「そんなのわかりません。とにかく来てくれないと、唐さんが凄い顔になってて。」 立ち止まった先生をまた引っ張っていく。 「こんなとこまで来たのか。」 明らかに独り言だったけど。あたしはつい聞いた。 「振られたんじゃなかったんですね。」 また視線が絡んだ。でも先生は何も言わない。 あたしも前を向いて急いだ。 戻ってみると、まるで時間が止まっていたかのように同じ姿勢・同じ光景。 それが羽矢先生の登場で動き出した。 「羽矢先生！」 唐さんがとびつこうとする。女性に対抗するつもりなんだろう。 でも羽矢先生は女性の方へ向かう。 「なんでこんなとこまで。」 「あなたがいい返事をくれないからでしょ。」 「俺は断ったろう。」 「納得できるわけないじゃない。」 まわりは茫然とそれを見ている。 羽矢先生は女性の腕をつかんだ。 その手を見るとあたしはなんだか切なかった。夕べはあたしを抱きしめてくれた手。 なのに。 「ここじゃ話はできない。」 「いいわよ。外へ出ましょ。」 「先生。文化祭終わってません。」 唐さんが精一杯抵抗している。 ほんとに好きなんだな。羽矢先生が。 とてもついていけない人だけど、その一途さが可愛く見えてしまう。今は。 「悪いな。なるべく終わるまでにはもどるから。葛西、あと頼むぞ。」 「あ、はい。」 「ここにいるの、みんなあなたのファンなの？ 琉斗ったら人気者ね。」 『琉斗（りゅうと）』 その呼び方に全員固まった。情けないことにあたしまで。 この人はほんとに大人の女性で。あたしたちはただの教え子で。 それをはっきり示されたみたいに聞こえた。 「いいから。いくぞ。」 先生はその女性を強引に連れだしていった。 見送った喫茶室に流れる沈黙。 ワッと唐さんが泣き出して皆がびっくりした。この人が泣くなんて。 すると波紋がひろがるように、そこここで皆が泣き始めて。 葛西くんや吉沢くんがただ焦っていた。 あたしはというと、泣きはしなかったけど。 なにかポッカリとあいた穴をみつめているような。そんな空しさがあった。 喫茶室にはそのあとしばらく、涙に満ちていた。 午後４時。文化祭は終了した。 あたしたちの喫茶室は、最後は気が抜けてしまっていたが。 ともかく、あのあとも最後まで営業して終えた。 唐さんたち、ミーハー部員は気力を無くしてしまったらしく、 後かたづけもろくにしないで消えてしまった。 明日からは授業が始まるのだから、このままって訳にはいかない。 仕方なく残った部員で、後かたづけに追われた。 他の部にはかなり遅れたものの、 どうにかキャンプファイアーが始まる８時前には、後かたづけも終えた。 「疲れた〜。」 「いくらショックだったからって、後かたづけはやってほしいよね。」 美那子がもっともなことをいう。 いつもなら追随するあたしなんだけど、今日は言わなかった。 唐さんの気持ちが少し分かる気がしたから。 そこに校内放送が入った。 『キャンプファイアーを始めます。生徒は校庭に集合して下さい。』 「美琴、行こう。」 「うーーん。あたしいいや。美那子、行っておいでよ。」 「えー？ なんで？」 「カップルに当てられるんじゃイヤだし。お目当ての人がいるわけじゃないからね。」 「美琴。」 「適当に帰るから。ほらぁ、彼氏が待ってるよ。いっといで。」 「う・・ん。じゃ行くね。」 ３階にあるこの実験室からは、キャンプファイアーが見下ろせる。 あたしは灯りを消した。 点火されるとひときわ大きな歓声が上がった。 赤々と燃える炎が揺らめきながら闇の空へ手を伸ばしている。 綺麗だけど。 綺麗な光景はどうしてこう、切なくなるのかな。 それとも光景が切ないんじゃなくて、綺麗な光景をひとりで見ることが切ないのかな。 炎を囲むようにして、踊りの輪が出来始めていた。 カップルは当然。片思いの子もこの時とばかり、相手に申し込みに行く。 １年間でバレンタインについで、カップルのできる時期だ。 遠い。 去年も一人だったけど、あの中にいて平気だったのに。 今年はあの中にはいられなかった。いたくなかった。 昨日神岡くんに会ったから？ 彼女をみせつけられたから？ それもあったけど。 ふいにあたしは理由にぶちあたった。羽矢先生があの女性といなくなったからだ。 あたしは・・・？ キャンプファイアーを見つめながら、自分の心を探った。 あたしは先生を好きになったのかな。 わけわからない人なのに。 先生なのに。 人気者であたしなんか、ついでにかまってるんだろうに。 大人の彼女がいるのに。 否定すればするほど、自分の気持ちがわかってきて。 ため息をついた。 こういうときにわかるなんて。鈍い。自分が情けない。 今頃、あの人と一緒なんだろうに。 窓際。水道横の棚の上に座り込んで。 抱えた膝の上に頭をのせて。あたしは炎が踊るのを見ていた。 淋しくて。淋しくて。 でもこういうとき泣けない。涙腺強くないのに。 思い出す。神岡くんにふられたときも泣けなかったな。唐さんみたいには。 うらやましかった。素直に泣ける人が。 ガラッ。 急にドアが開いてびっくりした。ガタンと窓に腕をぶつける。 「誰だ？」 その声にさらに驚いた。羽矢先生？ 「誰かいるだろ？」 暗がりに目が慣れてないらしくて、あたしが見えないらしい。 「あ・・の。」 どういえばいいのかな。とりあえず声をだしたら。 「・・・また柚華か。」 すぐわかったらしい。確かにこういうパターンばかりだものね。 ドアを閉めると窓際に歩いてくる。 「何でいるんだ？」 「先生こそ何しに？」 「校内見回り。もう他の教室も誰もいないぞ。何やってるんだ？」 確認したばかりの自分の気持ちに緊張する。 「何も。見てたんです。」 先生も見下ろす。キャンプファイアー。 「なんで行かないんだ？」 「・・・行きたくなかったから。」 それが理由。間違ってない。 先生はあたしの横顔を黙ってみて、それからまた聞く。 「あのあと、大丈夫だったか？」 「大変でした。唐さん泣いちゃった。」 「唐が？」ちょっと驚く先生。そうだよね。 「唐さん、かなり強引だけど、先生のこと本気で好きなんですよ。」 あたしの台詞に口をすぼめる。 「唐さんが泣いたら、みんな泣いちゃって。なだめるのが大変だったんだから。」 「おまえ、なだめてたの。」 「そうです。ついでに後かたづけも全部。 唐さんたち、気力無くして消えちゃったんですもん。」 「ふーん。」 「ふーんじゃないですよ。先生のせいでしょ。」 「おまえは泣かなかったの？」 ふいにのぞき込まれた。ドキッとする。バカ、おちつけ。 「なんであたしが泣くんですか？」 そっぽ向く。 「第一戻ってこないと思ってました。あの彼女は？」 「・・・帰った。」 「綺麗な人ですよね。大人って感じで。」 「そうか？」 「呼び方が。」言いかけてやめる。言うんじゃなかった。 「なんだよ？」 聞き返されたら言わなきゃしょうがない。 「先生を呼んだでしょ。名前で。」 『琉斗（りゅうと）』 その響きがこびりついてる。 「あれでみんなショックだったみたいですよ。」 そう。 羽矢先生っていくつかな。２７？ ２８？ どっちにしてもあたしたちと一回りは違う。大人なんだ。今さらだけど。 それをあの人はあの呼び方で示していった。 先生を「琉斗」と呼べるなんて。あたし達じゃ無理だから。 ぱーんと弾ける音がした。花火かな。 「先生、キャンプファイアー行かないんですか？ 親衛隊の人とか待ってるかもしれないのに。」 「おまえね。」 先生が何か言いかける。あたしが見上げると黙る。 なんだか変な顔。怒ってる？ 先生は気分屋でこまる。 あたしが怯むとそれに気づく。 「なんでそんな顔してるんだ？」 「だって・・・何か怒ってるから。」 あたしの言葉に先生は目をそらした。 「花火、始まりますよ。」 「おまえは？」 「あたしは・・・ここがいいです。」 「淋しいんじゃないの？ ここじゃ。」 「一人で淋しいのはあたりまえでしょ。」 先生はあたしの言いたいことがわからず、首を傾げる。 「みんなの中で淋しいのより、一人で淋しい方が耐えやすいから。」 あたしは視線を窓の外へ戻した。 炎を中心に広がる人の波。あの中で淋しいのはもっと嫌だと思う。 ここなら一人だから。淋しくても当たり前。そう思える。 「柚華。」 「え？」 振り向いたら同じ目の高さに先生の顔。 あたしの座り込んでいる窓際に腰を下ろしていた。 「昨日さ、俺は嫉妬してたんだよ。おまえが神岡に動揺してるのを見て。」 言葉は聞こえるけど。 何を言ってるんだろう、先生は。 「だから問い詰めたんだ。チーズケーキのこと。」 どういう意味？ 「俺はさ、おまえに惚れたらしいよ。おまえは・・・違うの？」 あたしは茫然と先生を見ていた。 今。 地雷を踏んでも。ＵＦＯが下りてきても。太陽が弾け飛んでも。 あたしは絶対驚かない。先生の言葉以上に驚く事なんてない。 「柚華？」 からかってるんだ。絶対そうだ。 この人はそう言う人だ。あたしが頷いたら、ニヤッと笑って背を向けるんだ。 なのに。舌が勝手に言葉を紡いでいく。 「・・・泣いてもいいですか？」 「ん？」 「昼間、先生があの人といなくなった時。泣きたかったの。でも泣けなかったの。 唐さんみたいに思いっきり泣きたかったの。・・・泣いてもいいですか？」 「何で泣くの？」 「失恋したから。」 「誰に？」 「先生に。」 「おまえ、俺の言うこと聞いてた？」 「だって信じられないもの。先生からかってるでしょ。」 ホッとため息をつくと、先生はあたしを抱きしめた。 昨日と同じ。優しく緩やかに。 「じゃ泣けば。おまえが泣きやむまで言ってやるよ。」 「なんて？」 「・・・好きだよって。」 それが合図のようにあたしの目からは涙がこぼれた。 次から次から。溢れて落ちた。 先生はやっぱり嘘つきで。 言ってくれたのはその一言。あとは黙って抱きしめてくれるだけだった。 嘘つき。 大好き。 ようやく涙が止まる頃、キャンプファイアーの最後を飾って、花火が打ち上げられた。 そんなに大きなものじゃないけど、闇に咲いたそれはとても綺麗だった。 そう。綺麗。 誰かが一緒に見てくれると素直に綺麗だ。 あたしは先生の胸にもたれて花火が消えるのを見ていた。 最後の花火がはかなく崩れ落ちたとき、あたしの唇にキスが落ちてきた。 ３度目の。でも初めての恋人のキス。 あたしは目を閉じて受け止めた。 その日、新しい恋を見つけた。  |