 モザイク・カルテット−１５ 「あなたがいるなら」
走って。 走って。 流れる汗。 喉から心臓が飛び出しそうっていうのは、こういうことなんだ。 それくらい必死で走るなんて滅多にあるものじゃない。 昼間同様晴れわたった夜空に、しんと冷え切った空気。 寒さなんて感じない。 寒かろうと暑かろうと。晴れでも雨でもかまわないから。 今だけ、世界陸上で走るスプリンターの足を貸してくれないかな。 ああ、頭はぐちゃぐちゃだ。とにかく。 お願い。間に合ってー。 わかってたから。 駅で時計を見た時にはもう。 たどりついた校庭は静まりかえっていた。 固く閉ざされた門。格子を握るとカシャ・・と微かな音が耳に響く。 まだ汗も体も、全力疾走の名残で熱いのに。 心が冷える。 美琴にとっては、１年分の間の悪さを集めたような１日だった。 あの夜、羽矢からのメールのあとで美那子を文化祭へ誘った。 そこから葛西、吉澤につながったのはともかくとして、 桜井に桐辻、沖まで釣れてしまったのには驚いた。 桜井は葛西と、桐辻と鳴見は吉澤と、たまたま同じ大学へ進んでいたのがその理由。 随分賑やかになったおかげでためらいは消え、行く気十分だったのに。 日曜の朝一でかけてきた電話の主は、パニック寸前だった。 「柚華？ 悪い。頼むよ〜。」 誰かと思えばボランティアサークル「Kokoro」のリーダーで、学科の同期でもある友人。 サークルは今日、郊外へでかけるグループの補助予定だったが、 今朝になって、予定していたメンバーがどうしても、来られなくなったらしい。 「最寄り駅に一番近いのが柚華なんだよ。時間がなくてさ。」 「でも、あたし予定が。」 「頼むよ。郊外だから、あんまり慣れない奴だと相手側が困るし。 安全面もあるし。拝むから、このとおり。」 そう言われて断れる美琴ではなく、ヘルプに駆けつける。 夕方までにはなんとかなるだろうと思ったから。 しかし、アクシデントは続く。 まず、携帯を家に置き忘れてきた。母は仕事ですでに出てるはず。 朝折り返し、美那子に遅れるとは伝えてあったが、その後の連絡ができなくて困った。 細々したトラブルもあって、時間はずれる一方。 帰りも自宅まで送っていかねばならない人を頼まれ、 それが距離はともかく分かりづらかったりして。 行程を全部終えると、とんでもない時間になっていたというわけだ。 そこから必死でとって返してきたけど。 門にとりすがったまま見つめる校庭は真っ暗だ。 毎年見下ろしていたのに。赤々と燃えるキャンプファイアー。 今年はひとりぼっち。気配すらなくてー。 にじみかける視界をこらえる。やだ。こんなところで泣きたくない。 職員室にはまだ灯りがみえるけど、そこへ向かう勇気は残っていなかった。 うなだれると両手がだらりと下がる。 帰ろう。 帰って携帯からみんなに連絡入れなくっちゃ。ごめんって。 それからー。 ぐすぐすと鼻をすすりながら、体の向きを変える。 目を落とした自分の足元は泥のついたスニーカー。 汚れたベージュの綿パンは、なんだか惨めでため息が出る。 走るだけ走ったあとで、足が鉛のよう。 やっと２，３歩踏み出した美琴だったが。 うつむいた目にもうひとつ別の靴先が見えた。 え？ 「どこに行く？」 ゆっくりと顔を上げると、街灯を背に腕組みしている姿。 「・・・琉斗・・・さん・・？」 「このままおまえに帰られたら、忠犬ハチ公よろしく、 ひたすら待ってた俺の立場はどうなる。」 ずっと。 待っててくれたの？ こらえたはずの涙で、目の前の姿が溶けて見えなくなっていく。 もう声も出せず、両手で顔を覆ってしまった美琴。 直後に、抱きしめられていた。 「・・・マジで来ないかと思ったろ。脅かすなよ・・」 強く押しつけられた胸で聞こえる鼓動は、 さっき全力疾走した時の自分に負けないほど早い。 不安だった？ 同じだった？ 安堵で漏れるため息。重なる想いを知れば尚、流れる涙は止まらない。 「・・・ごめ・・・っ・・なさい・・」 「いいよ。来ただろ。汗だくで。」 「・・・って・・・や・・くそく・・」 「してないじゃん。」 見上げれば、優しい目が見下ろして笑う。 確かに言葉にした約束じゃないけど。 そんな風に言われると、余計に泣けて来ちゃうよ。 「・・・綺麗・・だった・・・？」 やっぱり見たかった。 キャンプファイアー。 「たいしたことない。」 美琴を抱きしめたまま、半身になってついっと視線を誘う顎。 その先には街灯？ わけがわからず首を傾げる。 「一緒に見るならあれで十分だな、俺には。」 「・・りゅ・・・うとさん・・・」 「そんなもんだって。悔しいことにさ。」 必要不可欠。 おまえがいなけりゃ。 おまえさえいれば。 急に強くなる腕の力。 華奢な美琴の肩へ顔を埋めるようにして、きつく抱きしめる。 「・・・美琴切れで・・・死ぬかと思った。もう勘弁な。」 伝わってくる同じ想い。 「・・ぁ・・・いたかった・・」 一体何をあんなに、こだわっていたんだろう。 『 逢えばわかるわよ 』 藍さん。ほんとだね。 美琴の伸ばす手は羽矢の広い背中の半分にも足らないけれど。 その心には十分すぎるほど届いて羽矢を包み込む。 いつも。 「あたしも逢いたかった・・・」 一言。それだけでいい。 重なる路上の影はおぼろだ。 キャンプファイアーとは比べようもない、ぼんやりした灯りでも。 想いはちゃんと確かめられる。 唯ひとり。 あなたがいるならー。  |