 モザイク・カルテット−１３ 「メール」
パッタリと。 美琴の携帯は鳴らなくなり、メールも来なくなった。 その事実が美琴を焦らせる。応えなかったのは自分なのに。 黙りこくった液晶の画面には、シンプルな花の写真。 ガーベラは季節はずれとわかってても。 怒っているんじゃない。話さなきゃ駄目なのに。 思えばこういう時、追いかけてくれたのは羽矢の方で。 そこにいつも胡座をかいていたのかもしれない。 時間が壁を高くする。 知っていて立ちすくんでた。見つめながら。 「美琴」 呼びかけた声は志緒だった。 立ち止まって携帯を睨んでる美琴が気になったのだ。 「まだ話してないの？」 「う・・ん。」 困ったような笑顔に責任を感じる。元はといえば。 「ごめんね。」 「志緒が謝る事じゃないよ。木塚君とうまくやってる？」 不意打ちみたいに聞かれて、パッと赤らめる顔。 わぁ、可愛い。 これまでに見せなかった感情を隠そうとするのがまた。 「うまくなんて。今更よ。いつもと同じ。」 「ふーん。じゃあうまくやってるのね。」 「なんでそうなるのっ。千早だって前と全然同じよ。」 「俺がどうしたって？」 ヒョイっと顔を見せる本人に、ゲッと漏らしながら志緒がのけぞった。 美琴が笑い出す。 「おい、ゲッってのはなんだよ。愛しの彼氏に向かって。」 「誰が愛しいのよっ。」 「おまえ？」 「このバカ！」 「その口、もうちょっとなんとかしろよ。なぁ柚華？」 「そうね。でも志緒だし。」 「そりゃそうか。」 「ちょっと！何ふたりで和んでるのよぉ。」 「こういうとこ、実は好きなんでしょ？」 「あたり。」 「・・っ・・・ばっ・・・！」 二人に挟まれ完璧に遊ばれている姿は、 いつものしっかり者とは思えない。 「よかったね、志緒。」 「心配すんな。丸ごともらうから。」 「・・・こ・・・の・・・バカコンビーっ！」 照れまくった挙げ句爆発して逃げていってしまった。 見送った二人が顔を見合わせる。 「あーあ。柚華がからかうから。」 「木塚君とコンビにされる日がくるなんてね。」 「正しくはトリオだろ。」 ぷっと吹き出した後、千早が声を低めて聞いてきた。 「そっちはまだ？」 志緒とそっくりな心配の仕方に美琴は苦笑する。 「気使わないでよ。」 「使うさ。大体俺が発端だし・・・・連絡はあるんだろ？」 「あったんだけど。ー返事できなかったから。」 うつむいてしまう。 「あいつさ、どう見たってあんたにベタ惚れだから。連絡してやれよ。それで解決だって。」 「う・・・ん。」 「何なら俺がしてやろうか？」 美琴は首を振った。その髪にイチョウが降りかかる。 「ありがと。大丈夫。」 「早めにしてやれってでないとあの男切れるぞ。 周りがたまんないんじゃないかな、ああいうタイプ。」 思い浮かべる千早。 いろんな意味で影響力ありそうだったなと思う。 美琴は笑って頷いたものの、まだ心は迷っている。 美容院「LUNA−BLUE」の看板は蒼い三日月。 細く光って揺れるそれは特注品。 店を持つ時、設備等は中古でそろえたが、これだけは職人に頼んだのだとか。 藍と草太の店に来るのは久しぶりだ。おずおずと押したドアがカランと鳴る。 振り向いた馴染みの店員が微笑んだ。 「店長ー、藍さーん。」 「おう・・・あれ、みこっちゃん？」 「えー、みこっちゃん？ やだ、久しぶり。」 「こんにちは。」 いつも通り歓迎してくれる二人にホッとする。 「元気だった？ ちっとも顔見せてくれないから。」 「ごめんなさい。９月からこっち、忙しくて。」 「カットかい？ 伸びたよね。」 草太はすでに美琴の髪をチェックしている。 「そろえるくらいでいいんですけど。」 「もちろん。ちょうど手も空いてるから。色は？ 前やってからだいぶ経つでしょ。」 「ええ。でもちょっとピンチなんで。またにします。」 美琴がぺろっと舌を出す。 「いいよ。ほら、荷物預けてこっち。」 シャンプー台に座った美琴の横には草太。 羽矢よりも背が高くて、がっしりした体つき。ごつい印象。 なのにその指先は信じられないくらい細やかでしなやかに動くのだ。 草太にシャンプーしてもらうのは密かな楽しみだったりする。 羽矢には内緒だけどーああ、また思い出しちゃう。 頭皮を絶妙な強さで洗う指が心地よくて眼を閉じていたら。 聞かれた。 「なあ、まだケンカしてる？ あのバカと。」 返事がないのが返事みたいなものだ。美琴の沈黙に草太まで黙る。 「・・・琉斗さん、どうしてます？」 「うーん。こないだまでは大荒れ。でも先週は静か。」 「え？」 「静かすぎて不気味。みんな逆にびびってた。 俺、みこっちゃんが引導渡したのかと焦っちゃったよ。」 「い、引導って・・・」 「ついに愛想つかされたかと。」 「そんなことっ。」 美琴が体を起こしかける。草太があわてて肩を押さえた。 「冗談だって。んなことになったら荒れるくらいじゃすまない。」 「こら、草太。みこっちゃん脅しちゃ駄目でしょ。」 藍が後ろから怒鳴る。 「ごめんごめん。でもさ、ほんと変だったんだよね。まだケンカ中？」 洗い流した髪を柔らかなタオルで包み込まれ、 体を起こされたところでまた聞かれる。 「ケンカ・・・っていうか・・」 「え？ マジで振るとか？」 「そーうたー。あんた、別れさせたいの？」 ドライヤーを銃口のように向けながら、藍が睨んできた。 「少しはみこっちゃんの話を聞きなさいよっ。」 「・・・悪い。」 バツの悪そうに引っ込んだ草太に代わって、藍が美琴をフロアへ案内した。 美琴のカットは藍の担当。昔、初めてここに来た時からそうだ。 カットの腕は草太の方が上だが、美琴との相性は藍の方がいいようだった。 「で？ 実際どうなってるの？」 鮮やかにはさみを使いながら、藍が改めて尋ねてくる。 何をどう言えばいいのか、迷いながらその手を見ていた美琴がぽろっと口にする。 「藍さん、ヤキモチ妬いたことありますか？」 「へ？・・・っとっと・・」 予想外の問いに思わずはさみを落としかけた藍。 気とはさみを取り直して、鏡の中から美琴を見つめた。 本人は手元に視線を落とし、どこか落ち込んでいる様子。藍の目が優しくなる。 もともと姐さん気質だが、美琴のことはネコっ可愛がり。 妹みたいに思っているから、こういう時は余計だ。 「何？ 羽矢くんたら生意気にヤキモチ妬かせるようなこと？ ・・・まさか浮気っ？」 「なにーっ？ 羽矢がぁっ？」 突然思いついた可能性を叫んだら、 草太が自分の客を置いてすっ飛んできた。その手にはさみ。 危ないったらない。 「ちょ、ちょっと。草太！」 「みこっちゃん！ あいつそんな大それた事やったのか？ 俺が一発・・」 「ち、ちがうんです。そんなんじゃなくて。」 「草太ぁあ！」 やっと我に返った草太は、店内の注視にあわてて取り繕う。 「・・やっ、すいませんっ。」 「ったく。あたしがちゃんと聞くから。」 「あ、あ。ほんとに浮気じゃないよな？」 「はい。」 ホッとしたのは実は、羽矢よりも自分のためかもしれない。 やっと草太が仕事に戻ってから、美琴は藍に事情をかいつまんで話した。 すなわち。 自分の友達が泣き出したのを羽矢が宥めただけなのだが、 それを見て嫉妬を覚えた自分に嫌気がさしたこと。 「理屈じゃないんだなって、初めてわかって。」 毛先にシャギーを入れながら、藍は耳を傾ける。 「琉斗さんずっとあんな想いをしてたのかな。 ・・・させてたのかなって。」 「うん。」 「あたし、琉斗さんのヤキモチ嫌だったんです。 いくら言ってもやめてくれないし。あからさまだし。繰り返すし。」 「うんうん。」 軽いリズムのはさみと藍の相づちが美琴を促す。 「でも。あんな思いをさせてたとしたら。」 美琴の記憶を掠めるのはふてくされた羽矢。怒った顔。それから笑顔。 「結局はちゃんとわかってくれたのに。」 「申し訳ないとか？」 言葉を探す美琴の気持ちを藍が拾う。黙って頷く表情に、藍は笑みを抑えられない。 あーホント、可愛いわよね、この子。羽矢くんには勿体ない。 「・・・だいっ嫌いって・・・」 「ん？」 「大嫌いって言っちゃったんです。こないだ。」 「あらま。」 藍の声が裏返る。そりゃ美琴にしちゃ大胆だ。 「それっきり逢ってなくて。電話もメールもくれたのに、話すのも返信もしてなくて。 そしたらこの頃音沙汰なくなっちゃって・・・。」 カットされた髪が落ちる。 「何を・・・どう言ったらいいのか、わからなくなっちゃってて・・」 口ごもってうつむく美琴。鏡に映った唇は震えてきつく結ばれている。 しょうがないわね。あの男は。 藍はドライヤーを手に取ると、黙ってブローを始めた。 湿った髪がサラサラと乾かされ、ブラシで整えられていく。まるで心を整えるみたいに。 「ーどう？」 鏡の中の自分は違った顔だ。 肩を覆う長さにそろえられて、軽くウエーブをつけてある。 「いつも思うけど、藍さんのカットって微妙なのに違いますよね。 切る前と全然変わる。ー素敵。」 「よかった、気に入って。」 両肩を抱いて鏡をのぞき込んだ藍が微笑む。 「心配しなくていいから。ちょっとくらい焦らしてもいいのよ、あのヤキモチ魔神は。」 「ヤキモチ魔神？」 凄いネーミングだ。吹き出してしまった。 「みこっちゃんが振ることはあっても、あっちが離れることなんてあり得ないから。」 「・・・そんなの・・・」 「落ち着いたら逢ってあげなさい。何をどう言おうなんて考えなくて大丈夫。 逢えばわかるわよ、必ず。」 「必ず？」 まだ不安げに鏡の藍を見返す。 「うん。だって、気持ちは迷ってないでしょ。言葉はあとから付いてくるものよ。」 「こんなんで、呆れちゃわないかな、琉斗さん。」 つぶやいた美琴に目を丸くして、藍が笑い出した。 「まさかぁ。みこっちゃんのヤキモチなんて羽矢くんには美味しいだけよ。 いくらでも食べてくれるわ、ねえ草太？」 自分の客を終えた草太が、気づけば後ろにいた。大体の話は呑み込んだらしい。 「そりゃもちろん。妬いたなんて言わない方がいいって。 図に乗るぞ。反省させないと。」 二人の笑顔にやっと美琴も安堵できた。いつもの笑顔で。 「ありがとう。藍さんも。草太さんも。」 その夜。眠ろうとしたら、美琴の携帯が鳴った。 メールの着信音だ。あわてて手にすると。 『週末土日が文化祭。後夜祭は６時から』 それだけ。でもわかる。 そうだ、文化祭。 『逢えばわかるわよ。』 カレンダーを見つめた美琴は携帯を手にした。 冬に足先を突っ込んだのか冷え込みがきつい。 温もりが恋しい夜だったー。  |