 モザイク・カルテット−１０ 「追いかけっこ」
大学祭は上天気だ。 結構な人出。 理学療法科は「キムチな屋台」で忙しい。 わけのわからないネーミングは、 千早の発案による焼きそばとお好み焼きだ。 どっちもキムチをやたら入れる以外、普通と変わらないのだが、 何故か売れ行きはいい。 一緒に仕入れたドリンク類も辛さのおまけで快調。 「はい、焼きそば３丁！」 「お好み焼き２パック追加〜」 天気の良さも手伝って、目の回る忙しさが続いている。 「ちょっと誰か、茶ー。足りない。ペットボトル補給お願い。」 「はい、行きます。」 志緒が手を挙げながら走り出す。 「待てよ、俺も・・。」 「千早っ、逃げるな。おまえはお好み焼き！」 捕まった千早は恨めしげな顔で志緒の後ろ姿を睨む。 渋々と仕事に戻ると美琴が笑っていた。 あの騒ぎからすでに２週間。 果敢に志緒を捕まえようとする千早の努力は実っていない。 何分志緒の逃げが徹底してる。 現れるのは授業のみ。開始と同時に入ってきて、終了と同時に消える。 それでもなんとか話しかけてみれば。 「話すことない。」 「おい」 「忙しいから。じゃねっ」 とりつく島もないとはこのことだ。 「木塚くん」 さすがに気の毒になって、美琴が声をかける。 「ごめんね。あたしも言ってるんだけど、志緒も強情で。」 「人のこと言えないだろ。柚華は彼氏と話したわけ？」 「・・・・」 自分のことになると美琴も口をつぐむ。千早があきれ顔で見下ろしてる。 「女って難しいよな。」 「・・・男は簡単なの？」 「ガキみたいって言ったの、おまえじゃん。」 「わかってる。自分も子どもみたいだよね。 でもなんか、何をどう言えばいいのかわからなくなっちゃって。 志緒もそうじゃないのかな。」 「嫌ってるんじゃなくて？」 「嫌いになれたらもっと簡単だよ。」 ポツンと漏らして見上げたら、千早の顔が緩んだのに驚いた。 この人ほんとに志緒のこと。ホッとする。 「ふたりも随分、回り道してるね。」 「元々近かったせいかもな。かえって知らないことが多い。お互い。」 「志緒もそんなこと言ってたな。 そう言えば木塚くん、前に志緒を思いっきり怒らせたことない？」 千早が微妙な表情をする。 「あいつ。なんか言ってた？」 「何かっていうか。」 「昔さ。冗談でキスしたことあって。そしたらー」 「『煙草吸う男とはキスしない』？」 思い出した。こないだ言ってた。 「ピンポン」 「・・・バカね。」 「勘弁しろって。今言われると堪える。」 腰に手を当て、肩を落とした千早は変に可愛く見える。 「志緒って、煙草吸う人に嫌な思い出でもあるのかな。」 「は？」 思いがけぬ言葉に千早が目を剥いた。考えたこともなかった可能性。 「志緒が？ 中２だったぜ、俺の冗談。」 「だって・・・違うかな。」 考え込んだ美琴の顔を見つめながら、千早の胸がザワザワとしてくる。 他の誰かに？ それで？ 「ごめん。憶測で言っちゃ駄目だね。聞かなきゃ」 「だよな・・・って聞ければな・・・」 顔を見合わせて軽いため息。 もちろん何も聞けぬまま、大学祭に突入したわけで、 千早の忍耐もそろそろ限界に近かった。 みかけによらず気は長い方だと自負していても、こればかりは。 「わぁあっ、千早っ。いくらなんでも入れすぎだってーっ。」 鉄板の隣から悲鳴が上がる。 「いいじゃん。余ってもしょうがないし。今日で終わりだろ。」 「程度問題ー。」 「るせぇっ。極辛の希望者募ってこい！」 「千早〜」 そんなやりとりは意識の外。千早が考えてるのはひとつだけ。 やっぱり奥の手、実力行使だな。 山盛りキムチのミックススペシャルを焼き上げてしまうと、 コテをその辺に放り投げて。 千早は、焼きそばの売り子をしていた美琴をつかまえた。 「柚華。頼みがある。」 滅多に見られない千早のマジな声と顔。 「いいよ。」 真顔で受け止めた美琴はニコッと笑った。 父親の記憶は微かだ。 両親が離婚したのは、志緒が物心つくかつかないかの頃だったから。 姉ははっきり覚えているらしいが。 「覚えていればいいってものでもないわ。」 いつだかそう言ったのは、 離婚の原因が父の浮気だったせいもあるだろう。 微かな分だけ、志緒はいいところのみ記憶に残したようだ。 母は理性的でしっかりした性格なので、 別れた後父親についてとやかく愚痴ったりしない。 思い出した時は話題にすらした。 まるで長い単身赴任で留守の人を語るように。 母の白黒はっきりする性格とは対照的に、父はどこか曖昧で。 ぼやけた輪郭をそのまま許す人だったと思う。 おそらく志緒は、根っこの部分で父に似ていた。考え方とか判断とか。 そのせいだろうか。なんとなく信じていたのかもしれない。 いつか父にまた逢えると。優しいあの笑みに。 志緒が中２の時、突然知らせは来た。 逢えることなく父は死んだ。肺ガンだった。 離婚した後はひとり暮らしで、忙しさにかまけて健康など顧みず。 病気が発見された時はとうに手遅れ。あっという間の進行。 助けを求めることもなく、こちらが知ったのは亡くなってからだ。 母の涙を初めて見た。 「吸い過ぎに注意しろってあれだけ言ったのに。 ひとりで死ぬなんて・・・男なんて大バカばっかり！」 記憶にしかなかった父。やっと見たのは死に顔。 志緒のショックに姉や母は気づく余裕がなかった。 父さん。 なんでやめられなかったの？ 寂しいならひとりでいなきゃよかったのに。 頬を寄せた父の体から焚かれた線香に混じった匂い。 志緒にそれは、安らかな顔とオーバーラップして刻まれた。 以来煙草が苦手になった。 嫌いじゃない。嫌えない。でも辛い。 直後だったと思う。 クラスメートが集まったクリスマス・パーティー。 そのころから千早はやたらモテていて。それはわかるけど。 誰でも彼でも来る者拒まずの態度は気に入らなかった。 曖昧さは父を思わせた。 痛みから無意識に距離を置こうとし始めていた志緒。 どんちゃん騒ぐ中、ちょっと眠っていたらしい。 眼を開けたらそこにキス・シーン。 ・・・へ？ あっという間に離れたそれは、千早とクラスの女の子。 「きゃー、木塚君とキスしちゃったぁ〜」 どうみても酔ってる？ 誰よ。お酒持ち込んだの。 あまりの唐突さに言葉もない。 気楽すぎて艶がなさすぎなのは救いだったが。 よろめきながら立ち去る女の子を見送ってたら、振り返った千早に焦った。 「・・なんだ。起きてるんじゃん。」 これも軽い。突いたら倒れるグリコのおまけくらい。 「何？ いまの。」 「んー？ キスしたいって。」 「・・・あぁそう。」 挨拶なんだ。 そう思わなきゃついて行けない。わかんないなぁ。 「何？」 悪びれることなく微笑まれると、でも口に出る。 「すっごいアメリカンね。」 「今時キスくらい・・・あー、おまえひょっとして、キス・バージン？」 ニヤッと笑われる。 やばい。こういう千早はろくなことしない。 わかってたのに、奴の方がずっと身軽で脳天気。 塞がれた唇の感触に唖然としていた。 唇の柔らかさと、見開いたままの眼に映るまつげは初めてのもの。 でも。 香ってくる煙草が同じだった。 浮かぶ死に顔。重なるさっきのキスシーン。 怒濤のように押し寄せる情報は許容量を超えた。 ドン、と突き放して、闇雲に振り回した手で頬を打ち払う。 「バカッ！ 煙草を吸う男となんて、金輪際キスしないっ！」 あの時。嫌だったのは煙草だったのか。 煙草を吸う千早だったのか。 誰とでもキスする千早だったのか。 煙草と共に寂しいまま死んだ父だったのか。 考えることを放棄したまま重ねた時間を前に、 やっぱり立ち尽くしている自分がいる。 逃げたってしょうがない。わかってるのに。 構内のはずれまで備品を片づけに来て、記憶に浸っていたら。 携帯が鳴って志緒は我に返った。 メール？ 開いてみると美琴だ。 変なの。かければいいのに。 『打ち上げの幹事なんで先に行くね。場所は”カラチ”だよ。 志緒の荷物は２０３教室です。』 ”カラチ”はすぐ近くにある居酒屋。ここの学生がよくたまっている。 今夜もきっといっぱいだろう。 「急ごうっと。」 志緒は歩き出した。 いいお天気だったけど、秋はあっという間に落ちる陽。もう薄暗い。 祭りの後は何となく寂しい。人もまばらだ。 荷物置き場にしていた教室へ駆け込んだら誰もいない。 「えー、置いてかれちゃった？」 照明のスイッチを手探りで押したら、 ポツンと残されてるのは自分と、その横にもう一つ。 ・・・これって？ 隣にあったディパックの持ち主を思い出したとたん。 後ろのドアが閉まって。 声がした。 「つーかまえた。」 大きな窓ガラスの向こうは闇に沈んでいく。 代わりに綺麗に浮かびだす教室の中はふたりだけ。 志緒と。 千早の。  |