 モザイク・カルテット−６ 「このバカタレ」
羽矢を引きずるようにして消えた志緒。 路上で見送った美琴と千早が我に返ったのは、随分経ってから。 「な・・・んだよ、あれ・・」 手の早い志緒をいつも怒らせている千早だから、 はたかれるのは日常茶飯事。珍しくもないけど。 驚いたのはあの顔。 苦笑いとか睨まれたりとか、呆れられたりは見慣れているのに。 さっきのは？ それに。 「あいつ・・・なんであの男を連れてったんだ？」 返事を期待した訳じゃないが、返事が欲しい気分。 振り返った千早はあわてた。 美琴の表情がさっき見た志緒とそっくりだ。 今にも泣きそうな・・・そうか、あれは泣きそうな顔だったんだ。 思い至った事実はさておき、 目の前の美琴を慰めようとしたら逆に睨まれてしまった。 「何で？ 木塚君、何考えてんの？」 「い、いや。」 何も、といえる雰囲気じゃないよな。千早の目が泳ぐ。 「こないだのは冗談だったね。そういう口調だったしそれはわかった。 だから琉斗さんの反応の方が過剰だって思ったよ。でも。」 美琴の目がきつい。 「さっきのは何？ 冗談だって言うなら誰への？ あたし笑えないよ？ 琉斗さんは言うまでもないよね。志緒だって・・・。 木塚君、笑えるの？ 一体どういうつもりなの？」 いつも穏やかで、滅多に怒ることはない美琴。 大学入学と同時に知り合って２年半。 実際、本気で彼女が怒るのは見たことがなかった。 ちょっと見くびっていたのかもしれない。なんでも許してくれるって。 今の美琴は全身で怒りを表している。 無理もないが。 その厳しい目にさらされて千早は自分を呪いたくなった。 どうにも取り繕えない。 軽はずみ。ちょっと煽るつもり。言い訳にもならない。 たとえば、美琴を好きで羽矢と張り合おうってことなら、 面倒だけど立派な理由になっただろう。 生憎そうじゃない。全然そうじゃない。 美琴のことは気に入っている。 在る意味こんなに楽につきあえる女の子は久しぶり。 幸か不幸か千早に対して、女性は好意的すぎるのだ。いつも。 その点、出逢った時にはすでに彼氏がいたためか、 それとも性格なのか（千早は後者だと思っているが）。 美琴は実にシンプルに、千早を千早として扱う。 すなわち。 同じ学科の同期生で、やたらもてて成績はいいが、 かなりいい加減で困るところも多い友人として。 そんな距離感を保ち続けてくれる娘はいそうでいない。 千早がなにかと美琴のそばにいるのは、 そこからくる居心地の良さが嬉しいから。 そう、それが２番目の理由だよな。 ・・・あれ、２番目？ なら。 １番目は？ 「大体。志緒まで誤解させちゃってどうするのっ？」 自分の中でトリップしていた千早はギクッとした。 パァッと浮かぶさっきの志緒の顔。今にも泣きそうな。 さらにそこに重なったのは、もっと昔の志緒。 やっぱり泣きそうな？ 「ねえってば。聞いてる？ 知らないからね、ふられても！」 聞くともなしに流していた美琴の言葉の最後が、しっかりひっかかった。 聞き捨てならない。 「柚華。今なんつった？」 「だから、振られても知らない。」 「誰が誰に」 「木塚君が志緒に」 「なんで」 「あんなとこ見られて振られない自信あるの？」 「違うだろ。なんで俺とあいつで、振る振られるの話しになるの。」 そう言ったとたんの美琴の顔に、千早が退いた。 あ。 田舎のばーちゃん。 そこで連想したのは祖母。 千早が幼い頃すでにかなりの年で。すでにしわくちゃの顔で。 怒るとさらに、その顔をしわくちゃにしてた。 どこか似ているしかめ面が美琴を覆っている。 もう死んでしまったばーちゃん。柚華って・・・なんだか懐かしい？ 「木塚くんって頭いいくせに、バカなのね。」 ため息と共に美琴が仰いだ空は、すでに真っ暗。 「は？」 「・・・山ほど彼女がいるけど、結局ひとりに決めようとしない。」 「あ？」 「キス魔って言われるほど誰彼構わず触れるのに、 絶対触れない人がひとり。」 「え？」 「誰でもみんな名字で呼ぶのに、その人だけ名前で呼んでる。」 「・・・えっと・・。」 「そのたったひとりに。振られてもいいわけ？」 そこで聞こえたのは、ばーちゃんの口癖。 同じ台詞をそのまま美琴が吐いた。 『このバカタレ。』 人間の目は、結構遠くも見渡せる。俺の視力は２．０だ。なのに。 目の前にぶらさげられると、逆に見えなかったりする。 長年目の前、鼻先にぶらさがっていた事実は、 柚華の目を通してやっと認識できた。情けないことに。 １番目の理由。 俺が柚華のそばにいて、なにかと構っていたのは？ 柚華があいつの親友で、あいつのそばに柚華がいるから。 柚華をつつけば必ず、あいつが飛び出してくるから。 幼なじみの責任って言いながら。 俺はどうにかして、あいつとの接点を保とうとしてた。 何故なら。柚華が容赦なく言い当てたとおり。 俺は。 志緒を。 「好きじゃないっ！」 絶妙のタイミングで耳へ刺さった叫び声。 あれ？ 違う。否定してるじゃん。今のは俺か？ 柚華を見ると俺を通り越した方へ視線が釘付けだ。 なんだか青ざめてる。 辿るように振り返ったら、人混みを透かして見えた光景。 俺は再び、ばーちゃんの声を聞いた。 『そんなことしとると、バチが当たるぞ！』 さっき叫んだ声の主は、伸びた腕にその頭を抱え込まれた。 寄りによって柚華の彼氏の胸で泣きじゃくっている。 志緒。 俺の胸が突然、きりきりと音を立てて痛み出す。 ・・・ばーちゃん。今更だけど。 信じなくてごめん。 神様っているかもしれない。やっぱ。  |