 モザイク・カルテット−５ 「好きじゃない」
男なんてどうしようもない。 中２で悟ったはずのあたしの口癖。 なのに。 なんであいつはあたしの視界に居続けるんだろう。 目立つ容姿。回転の速い頭脳。 幼なじみは昔から人気者で、小さい頃はそれが自慢だった。 隣にいるのが誇らしかったっけ。純粋にそう思ってたのに。 男だ女だとうるさくなる中学時代。 千早は知らないうちに彼女を連れていた。それもたくさん。 なんでたくさんなんだか。 この辺りからあたしの千早不審が始まった気がする。 千早の女の子への人気とあたしとの関係は見事に反比例を描いてた。 気にしていたのはあたしの方だけでも。 中２の秋冬、あたしにはいろんなことがあった。 千早とのことは多分、彼だけのせいじゃない。 でもわからない。あたしには無理。そう思った。 以来、あたしたちは微妙だった。少なくともあたしにとって奴は鬼門。 心穏やかには対応できない。だからって無視することもできない。 どうしようもなく微妙。 なのに同じ高校。まさかその後まで。 なんで？ 同じ大学の同じ学科にあんたがいるのよ？ オリエンテーションであたしの脳裏に響き渡る曲は「運命」。 それから「葬送行進曲」。 天地がひっくり返ってもあり得ないと思ってたのに。 にこやかに手を振る奴を見れば、確信犯なのはわかった。 でも理由は？ 奇々怪々。 救いは新しくできた友人。 今時珍しいほど素直で可愛くて、女の子としてはあたしの理想かも。 美琴みたいになりたかった。この性格はいかんともしがたいわ。 だから。千早みたいな奴からは護らなくっちゃ。 幼なじみの責任としても。 今日はバイトで、サークル活動には参加できなかったけど。 例のケンカはまだ続いてるようで、 美琴が珍しく飲み会にも行くと言ってたから。 同じ学科のサークルリーダーにメールで場所を教えてもらって、駆けつけた。 千早もいるらしいから、なおのこと。守ってやらなきゃ。 誰から。 誰を？ 『美琴、愛してる』 千早。 あれは本気だった？ あんた美琴が好きだったの？ あの頃もわからなかった。今もわからない。あんたの本気は見たことがない。 人波の中でも、すぐわかる千早。背の高さと見慣れた骨格。 後ろ姿が屈み込む。そこに美琴。 ・・・キス？ ひっぱたいたのはあたしだけど、ひっぱたかれたのもあたしかもしれない。 目の前の事実。 千早は美琴が好きなんだろうか。 見てなかった真実。 あたしは千早が・・・・え？ 『煙草を吸う男となんて、金輪際キスしないっ。』 今でも煙草を手放さない千早。 あたしは。 千早に煙草をやめて欲しかったんだろうか。あの時。 好きじゃない。 お願いだから誰かそう言って。この悪夢を壊して。 ジーザス。アラー。マホメット。ブッダ。 誰でもいいから。 「あのさ。」 手当たり次第に投げた願いにもかかわらず、 慈悲深い誰か御手が降りたのか。 志緒は、どっぷり浸っていた思考から引っ張り上げられた。 「・・・え？」 焦点を合わせた目がとらえたのは、 千早とはタイプが違うが整った、しかもかなり年上の男の顔。 「今更なんだけど。あんた、誰？」 ふたりが向かい合っているのは、ちょっとおしゃれなカフェバーの店内。 手元にそれぞれ飲み物を手にしてるんだからほんと今更。 志緒は、現実へどうにか対応し始める。 「え・・っと。は、羽矢先生、でしょ？」 ちょっと驚いた羽矢だが予想はついた。 美琴も、木塚って奴も名前を呼んでいた。確か。 「志緒・・・って聞いたことあるよ。美琴の友達？」 相手の顔がわずかに緩む。 「はい。曽根田志緒です。美琴、話してくれてるんですね。」 その口調に羽矢が苦笑い。これじゃまるで。 「俺のことも知ってるようだけど。畏まるのはやめてくれよ。 あんたは俺の生徒じゃないんだから。昔も今も。」 きょとんとしたあと、自分の態度に気づいて苦笑は志緒にうつった。 「でも。先生だし、年上だから。」 「そんな理性残ってるように見えなかったぜ、さっきは。」 「・・・さっきはさっきです。ちょっと頭のネジぶっとんで・・。」 ムッとしたような困ったような。切ないようなその顔に、羽矢はさらに言う。 「なんで俺をひっぱったんだ？」 問われて、志緒は初めてそこに思い至った。 「あ、そういえば。言うなら美琴に・・」 「違うって。文句言うなら彼氏だろ。」 「は？」 「あの。木塚っての。彼氏なんだろ？」 「違いますっ！」 ガタッとテーブルに両手をついて立ちあがりかける。グラスがゆらり。 あわててそれを羽矢が押さえると、 わずかに飛沫がこぼれてテーブルに散った。 「違うのか？ てっきりそうかと。」 「美琴がそんなこと言ってますか？」 「言ってないな。」 あっさり否定されてこける。 「でもさ。違うなら尚更、なんで俺を連れてきたの。」 「えーっと・・・何ででしょう・・。」 頭をかかえこんだのは羽矢だ。 「何も考えてなかったとか？」 志緒はさらに焦る。あたしはなんで？ 「・・・多分、千早からあなたをひきはがして説明しようと・・・・かな・・？」 なんともあやふやな自分が情けない。日頃ないことだ。 「千早って？」 「あ、あいつ。木塚千早ってのがフルネームで。」 「男か女かわかんねえ名前だな。」 「中味はどうしようもなく男そのものですけどね。」 あんまりな口調で言い捨てる志緒に、羽矢が再び首を傾げる。 「彼女じゃないわけ？」 「違いますって。」 「俺でなくてもそう思う感じだぜ。」 「・・・幼なじみなんです。」 なるほど。 羽矢の視線がひとつ納得すると、やっと志緒の調子が戻ってきた。 「と言うわけで。昔から嫌になるほど知ってる私から、訂正とお詫びです。 あいつの行動はほんと行き当たりばったりで、あんまり深く考えてません。 美琴のことはあたし同様、友人としてすごく気に入ってるはずですけど、 あなたのことも知ってますし。 こないだのもさっきのもタチは悪いですが、冗談です。 ましてや美琴は不可抗力で巻き込まれてるだけで・・・。」 「ＳＴＯＰ。」 ものすごい勢いで話してた志緒。 その口を塞がんばかりに大きな掌が目の前を遮った。 男の人の手だ。 訳もなくそう思う。大きくて骨張って長い指。薬指に何か巻き付いてる？ 近すぎる距離では指輪にも見えたそれは、 目を引くと単なるバンドエイドだった。 「意味ないから。やめとけ。」 「・・・え？」 それこそ意味がわからない台詞。 「あんたはあの木塚って男でもないし、ましてや美琴でもない。 二人の心配をしてるのはわかるけど。 あんたがいくら俺に説明しても、それはあんたの憶測・予想であって。 要は根拠のない言い訳だ。」 バッサリと言い切られて言葉がなくなる。 なんて見事に切り払ってくれるんだ。この人は。 「あってるかもしれないし、間違ってるかも知れない。 俺は、たとえ嘘でも本人からの言い訳の方がいいと思う方なんでね。 悪いけど、パス。」 ガタッと立ちあがる羽矢を見上げた。言葉が足される。 「それに。今のは俺への言い訳ってよりも、あんたの希望的観測に聞こえた。 やっぱり惚れてんじゃないの？ あいつに。」 言われた言葉を反芻する間に、レシートをもって立ち去る相手。 唖然としていた志緒。 「ありがとうございました」 レジの声に、荷物をつかむと飛び出した。 出てみれば、さっき怒鳴り合った場所からたいして離れてない店だった。 志緒は人混みに離れかける背中を必死で追いかける。 立ち止まって携帯を取り出していた羽矢の腕を、やっとひっつかんだ。 「待って！ 貴方の言ってること、わかんない！」 追いかけられるとは思ってなかったのだろう。 羽矢のびっくりした顔は、やれやれってめんどくさそうなものに変わった。 この人きつい。 「あたしがあいつに惚れてるってどうして決めつけるの？」 「・・・じゃさっきのキスが冗談って、なんで決めつけてんの？」 まっすぐ刺すように問われてドキッとする。 「あの木塚って野郎は、こないだ美琴に「愛してる」って言った。知ってるよな。 今日はキスしてきた。それが冗談って言い切れるわけ？」 「・・・だって・・・」 「そう思いたいあんたの願望じゃないか？」 願望？ 美琴と千早の重なった絵が、志緒の中でぐるぐる回り出す。 「冗談って思いたいのは貴方の方でしょ？ フォローしてるのにどうしてややこしくするの？」 必死で言い返す。 なによ、こいつ。自分の彼女に虫が付く方がいいっていうの？ 志緒の問いに、手にしていた携帯をぱたんと閉じて羽矢はため息を吐いた。 「どんなこともあり得るだろ。」 彼の視線がそこら中を走る。 どこかにいる美琴を探してる。 「俺だって学生だったからな。今の美琴やあんたらの時代がどれだけ自由か。 勝手気ままでその分、心も身体も解放されるってわかってる。 鍵も鎖もつけられない。何があっても不思議じゃない。」 大人だと思う。 でも、飛び回る視線と携帯を弾く指先。余裕の向こうに見え隠れする焦り。 「だからこそ。大事なことは本人に聞く。」 志緒を怯ませる激しさ。 「余分な邪推は無駄。邪推するくらいなら、本人を前にしてわめく。 不安も全部。他人相手に堂々巡りする時間は惜しい。」 これって年の功なんだろうか。強い。とても強い。そこにあるのは信頼？ 自分への。相手への。 美琴への。 「怖くないの？」 壊れる可能性は常にあると思ってるのに。立ち向かうのか。 「あんたが言わないのは、それか？」 ひらりと交わされ、つきつけられて息を呑んだ。 あたしはー。 「別にさ。好きの形なんてそれぞれだから。言えばいいわけじゃないし。 言っても駄目なこともある。一概にどうこうは言えないけどな。 少なくとも。認めないと先へは進めないだろ、自分が。」 千早と似てると思った。見た目。聞いた印象。でも。 この人は千早よりずっと、鋭くて厳しい。 「好きってことをさ。」 厳しすぎて痛い。 耐えきれず志緒は又叫んだ。 「好きじゃないっ。あたしは、絶対、好きじゃないから！」 小さな子どもみたいに。 叫び声と一緒に流れ落ちたのは涙だった。  |