 モザイク・カルテット−４ 「半利もない」
煙草の前に本屋に寄った羽矢。 授業用の参考書とバスケット雑誌、市内のタウン誌など、 決まったルートを立ち読みする。 時々読みふける。 本屋は好きだ。はまると長くなるのはＣＤショップと似てる。 １，２時間はあっという間。 結局、定期購読しているバスケ雑誌だけを手にレジをすませて、外へ出た。 日暮れだ。鮮やかな夕焼けに空が燃えて落ちる頃。 「今日はいい天気だったんだな。」 口にするとまた空しくなる。無意識に開いた携帯は相変わらず素っ気ない。 チッと舌打ちすると、近場の定食屋に足を向けた。 起きてから何も入れてない腹は、二日酔いも抜けて健全に空っぽだ。 この店はセルフサービス。 ご飯もおかずも小鉢も好きにとって、あとで精算のシステム。 みそ汁にサンマの塩焼き、おろし、煮物と和え物のフルコースになってしまった。 「１０５０円です。」 それをぺろっと平らげる。 テーブルに備え付けのお茶を飲んで、やっと落ち着いた気分になった。 人間、腹が減ってると駄目だなと納得する。 最近はレストランも禁煙の処が多いが、ここは男性向けの普通の定食屋だ。 羽矢の周りはとっくに煙がプカプカ浮いている。 気にする必要がないと煙草を取り出そうとして気づく。 「・・・買いに来たんだっけ。」 切らしてたのをすっかり忘れていた。 店の隅に自販機が備え付けられているが、羽矢の好みの銘柄はない。 こういう時マイナー志向は損をする。しゃあない。 ガタッと席を立った。腹が満たされたあとの煙草が今は恋しい。 『琉斗さんは絶対吸い過ぎ！』 突然振ってくるのは、天啓ならぬ美琴の声。 『肺ガンになったらどうするの。百害あって一利なしって言うのに。』 『健康も追求しすぎると不健康なんだぜ。』 そんな返事にむくれる美琴が見える。 『これでも学校じゃ気をつけてるんだ。バスケやってる時もさ。 我慢しすぎても逆効果なんだって。余計に欲しくなる。』 『そういうものなの？』 『そう。おまえみたいに。』 『は？』 確かあの時は、赤くなる前にキスで押さえ込んでたっけ。 ・・・なんで路上でこんなこと思い出してるんだか。 駅前の繁華街の一角は自販機ステーションになっている。 多種多様な自販機が揃っていて、飲み物、食べ物、etc. 煙草も種類豊富だ。羽矢もよく利用する。 ガコンと押しボタンで落ちてきた煙草を取り出しながら思う。 そろそろ限界かな。 禁断症状が出てくると、最後にひどいめに合うのは美琴のほうなんだよな。 そうなる前に事を納めたいんだが。 考えながらも手にした煙草は即、 ビニールフィルムが破られ口にくわえてしまっている。 ポケットから１００円ライターを取り出そうとして、羽矢の目が正面でとまった。 ほんとにまずい。やばい。幻覚見えてきてるかも。 道を歩く女が美琴に見える。 それもイケメンと連れだって・・・連れだって？ 「木塚くん。あたしで遊ぶのやめてくれる？」 その声もまた、紛れもなく。 「・・・美琴？」 無意識に煙草をもぎとって漏れた呼び名に、美琴も立ち止まった。 「・・・え？ 琉斗・・・さん？」 他の女の子にまとわりつかれていた隣のイケメンが振り返る。 「柚華？ 誰？ ・・ひょっとして、彼氏？」 「あ、・・うん。」 「ふーん。」 「えー、柚華さんの？」 「わぁ、大人。」 「カッコイイ。」 女の子達のざわめきは雑音は、向かい合ったふたりにはただの雑音。 逢うのは３週間ぶりだ。いつもなら逢えばすぐほころぶ笑顔がない。 固まってる表情。 それが羽矢を苛立たせる。さっきまでそいつとはしゃいでただろうに。 「えっと・・・久しぶり。」 思いがけぬ状況にとまどいながら美琴が口を開こうとする。 それを千早が奪い取った。 「柚華の彼氏さん？ 初めまして。俺、木塚です。同期で同じ学科。」 『木塚』という名前に顔を確かめた。 羽矢ほどではないがかなりのタッパと、見劣りせぬルックス。 一見血統書つきのネコ風。こびりついてる声。 『愛してるよ、美琴』 こいつか。 「うわ、そんなに睨まないで下さいよ。 ばれてるみたいだから最初に断っておきますが、こないだのは冗談ですから。」 「え？ ばれてる？」 今頃美琴があわて出す。その顔も愛しいと思うのは病気だな。 自分に呆れる羽矢をよそに千早は続ける。声はからかい。 「でも、ご存じの通り柚華は可愛いし。素直だし。人気者なんで。 あんまり駄々こねるとつけ込みますよ。」 何とも不遜な態度に、羽矢の目つきが凄みを増す。美琴がさらにあわてる。 「ちょ、木塚くんっ。何言って・・・」 「へえ、ずいぶん簡単そうに言ってくれるね。」 「年の功で高をくくってると足元掬いますよ。こんな風に。」 千早はいきなり美琴の肩を抱き寄せ半身になる。 唖然として拒む暇もない美琴。 その唇に軽くキスを落としたーーように見えた。 ザワッと。 羽矢は自分の全身の細胞が泡立つ音を聞いた。 瞬間で沸騰する血の熱さ。 「っ・・・のやろうっ！・・」 伸ばした手が千早の胸ぐらを掴んで、反対の手はすでに拳に握りしめている。 そこへ飛び込んでくる美琴。 「だ、駄目っ！ 琉斗さんっ！」 危ういところでヒットせずに、拳を反らすことが出来た。 「このバカっ。なんで・・」 思わず美琴に怒鳴る。下手すりゃ殴ってたかもしれない。 羽矢の前に立ちふさがった美琴はギュッと目を瞑って全身を縮めている。 千早をかばって。 その姿に、声は途切れてしまった。 恐る恐る目を開けた美琴は羽矢を見上げたものの、その表情にハッとした。 「琉斗・・・さん・・？」 さすがにやばいと思ったらしく、その後ろであわてている千早。 「違うって。今、柚華がかばったのは・・・」 そこで。 三つどもえの修羅場にさらに飛び入りがあった。 つかつかと近寄って来るのは。 「志緒・・？」 パンッ！ 美琴がただ見ている前で、 志緒の平手は思い切り千早の頬にクリーンヒットした。 「な、なにすんだ・・・・え？」 いきなりひっぱたかれた千早だが、文句が出なくなった。 顔を歪ませている志緒に。 「肺ガンで死になさいっ！」 クルッと背を向けた志緒は、何故かそこで羽矢の手首を掴む。 ギョッとする暇もなく引っ張られる羽矢。 「お、おいっ。なんだよっ。」 「いいから！」 「し、志緒？」 「待てよ。志緒！」 何がなにやらわからぬままに。 志緒は羽矢を連れ去り、美琴は千早と取り残された。 これがもし煙草のせいなら、百害越えて半利もないな。 どちらもそう思った。一瞬。  |