 モザイク・カルテット−２ 「男のヤキモチ」
「仏の顔も三度まで」ってことわざがある。 あれは仏は三度までは許すって意味なのか。 仏だって三度が限界ってことなのか。 どっちだ？ 俺に言わせるなら絶対後者だ。 似ているようでまるっきり異なるニュアンス。 ましてや百万回生まれ変わっても仏にはなれない身。 いやなりたくない。 煩悩なくしちゃ美琴を抱けないし・・・話が逸れてる。つまりだな。 「４連チャンで約束が潰れた上に。 『愛してる』 なんて囁かれてるの聞いたら怒るだろ、普通！」 響き渡った声にしんと店内が静まりかえる。一瞬。 羽矢の怒鳴り声を受け止めた草太が、うんざりって顔になっている。 これで何度目だ？ 正直勘弁して欲しい。 作り笑顔で周囲に頭を下げながら。 「聞いてんのか、草太。」 「聞いてるっつーか、聞かされてる。耳栓が欲しい。」 「あのなぁ、それが友達に対する態度かよ。」 「２時間怒鳴られ続けて逃げてない俺が、友達じゃないって？」 見下ろすように睨め付けながら低い声でドスを利かせた草太。 さすがに羽矢が怯む。 「練習が終わって疲れた身体を心地よく癒やしたいのに。 なんで延々とおまえの愚痴につきあわなきゃならねえんだよ。 練習だけで十分だろうが。」 「なんだよ。俺の練習にも文句あんのか？」 「おおありだっ。なんだよ、あの内容は。 ペース配分もフォーメーションもあったもんじゃない。 力任せにシュート打ちまくりやがって！ ついでにはずしまくって！！」 ドン！とジョッキをたたきつける草太。 気づくと店内は再び沈黙。やばい。 「お二人さん〜。」 馴染みの店長が恐る恐る声をかけてきた。 再開したざわめきの中、羽矢が仏頂面でまたジョッキを煽る。 草太が取り上げようとする。 「もうやめろ。潰れたら捨てて帰るからな。」 「こんなもんで潰れるかって。」 「ほんとしょうもない。おまえら何年つきあってんだよ。」 額に手を当てつつの草太の呟きに、煙を吹きながら羽矢が考える。 「ぼつぼつ４年くらい。」 「で？ まだそういうアホなケンカをするわけね。」 「アホで悪かったな。おまえんちみたいに万年新婚とは違いますよ、どうせ。」 ああ、すっかり拗ねてる。手がつけられねえ。 みこっちゃん、頼むぜほんと。 草太の繰り言はここにいない美琴への懇願になる。 「みこっちゃんの専攻学科が忙しいのはしょうがねえだろ。彼女のせいじゃ。」 「わかってる。」 「待ちぼうけくらわせたわけでもなくて、ちゃんと連絡して謝ってるんだろ。」 「ああ。」 「なら怒ることねえじゃん。何いきりたってんだ。」 「だから。 なんでそこで知らない野郎が、『愛してるよ』なんて割り込んでくるんだ？ それも『美琴』なんて呼び捨てにしやがって。」 「だから。学科の友達がふざけただけって、みこっちゃんが釈明したんだろ。」 「そういう冗談を日頃言わせるようなつきあいってことじゃんか。 あいつは大体スキがありすぎるんだ！ 男の下心に気をつけろっつったら、怒りやがって。」 「・・・羽矢・・・。」 呆れ果てる草太。 一応思いやりで控えていた台詞でとどめを刺すことにした。 「なっさけねえ。おまえ幾つだよ。 男のヤキモチくらい見苦しいもんはないね！」 「・・・っ・・・」 まくしたてていた羽矢が、壁にぶち当たったように固まる。 それでも赤い顔で言い立てるからしつこい。 「・・・っるさい！ 妬いて悪いかっ！」 疲れ切った草太はただ美琴に思いを馳せるだけ。 みこっちゃん〜。このバカを見捨てるなよな。 世界平和のため、いや俺の健康のため。 みこっちゃんがいなくなったこいつなんて、俺は想像もしたくないぞ。 周りのにぎやかさとは対照的に静まりかえった席で、 羽矢と草太は残りのビールを片づけることに集中した。 目を覚ましたら昼も過ぎていた。 別に酔いつぶれたわけじゃないのに、怒りにまかせて飲み過ぎていたらしい。 おきあがろうとした羽矢は頭を抱える。 「・・・っってぇ・・・二日酔いか・・・」 こんなの久しぶりだ。頭の中で金だらいがカンカンガンガン叩かれる感じ。 叩いてるのはきっと美琴だ。 「くそー。」 なんとか起きあがって直行するバスルーム。 シャワーで多少なりとも酔いを抜く。 金だらいは叩かれ続けるものの、全身を流して気分はさっぱりする。 着替えてコーヒーを入れながら、タオルで髪をガシガシと拭いていたら。 『琉斗さんのバカっ！』 さらに大きく響いた声は記憶から。 未練がましく携帯を開けても、メールも着信もありはしない。 液晶は単調な時刻表示。 「・・・相当怒らせたからなぁ。」 ため息になる。 忙しいのはお互い様だ。 高校の２学期は行事が目白押し。専科とはいえ、体育祭に中間テスト。 理科実験部の顧問も続けてるし、ストバスはむろん。 リーグ戦が導入された後、市内はレベルがあがってきて、 皆練習にも力が入っている。 美琴はというと、入ってみてわかったのだが。 理学療法学科はとにかくハードだ。 専門学校ほどではないにしろ、かなり実践的学問で実習も多い。 年中レポートに追われてもいる。 医療関係なので学費的にもそれなりのため、 美琴はバイトにも励んでとにかく多忙。やたらめったら。 そんな中で時間を作ってるふたりだが。 逢える時間、一緒の時間は格段に減るのはどうしようもない。 美琴の卒業と共に、二人の位置も変わった部分と変わらない部分があった。 学校での教師と生徒という上下関係が消えても、 年齢差が縮まるわけではない。 それでもふたりは互いに対して、対等な関係を意識していた。 美琴は大人になろうと一生懸命背伸びした。 時に笑われてすねたりしながらも。 羽矢は美琴に煽られたり、密かに不安に襲われつつ、隠して大人を装ったり。 そんなことを何度も繰り返し。 草太や藍から言わせれば、とにかく羽矢がうるさかった。 「あいつにはジェラシーの神様でもとっついてるに違いない。」 事が起こるたびに、羽矢の愚痴や荒れにつきあわされる二人の結論。 願わくば、美琴が愛想尽かすことのないようにと、 夫婦でフォローに走ることしきり。その割りに報われていない草太だ。 今日は日曜。 せっかくいい天気だっていうのに、太陽すら恨めしい気分。 ケンカさえしなきゃ、久しぶりにゆっくり逢えただろうに。 ああ見えて、いざとなると意地っ張りの美琴。 間違ってないと思う時はなかなか折れない。 そのあたりは高校生の頃と変わらないかも知れない。 美琴なりの羅針盤が心にあるのだ。必ず。 「・・・確かにちょっと逆上したよな・・。」 いないからこそ、言える言葉。 だってなぁ。９月以降ろくに逢えてないんだぞ。 大学生が暇なんて誰が言ったんだよ。 あいつに限っては当てはまらなさすぎる。まあそれは我慢するしかないけど。 『美琴、愛してるよ』 グシャッと。 飲み干したペットボトルを手の中で握りつぶしてしまった。 思い出したくないが、思い出すたびに走る衝動。 ぶっとばしてやりたい、あの声の主。 ふざけた？ ふざけて言わせるな。俺すら言ったことのないそんな台詞。 とはいえ。 頭の隅ではわかってもいた。どう聞いてもその声はからかいの含み。 マジなわけない。 美琴の声があわててたのは、約束を果たせないことへの後ろめたさだけ。 わかってる。 『木塚くんっ、な、何言って。遊ばないでよっ。』 一緒に聞こえた笑い声やざわめき。 ああ、大学生やってるんだなと思った。 自分もかつてそうだった。こんなところで感じる年の差。 いきなり襲われたそんな感情にも押されて、つい怒鳴っていたのだ。 『おまえね、もうちょっと自覚しろよな。 甘い顔してたら男なんてつけあがるし寄ってくるんだ。下心に気をつけろ。 言い寄られてんじゃねえのかっ。』 ズキッと走る頭痛。あー、頭いてぇ。またガンガンしてくる。 煙草まで切れた。窓から見える陽はもう傾いている。 ため息をついて立ちあがった羽矢は部屋のキーを握った。 適当に飯でも。 迎え酒でもいいか。煙草を買いがてら行ってこよう。 自分が悪いとは思っても、まだ詫びを入れる気分じゃない。 早いほうがいいだろうに。 今の自分の見苦しさをさらけ出せない。美琴にはなおのこと。 ちょっとは仏様を見習うべきか。見栄ってのも煩悩に入ってたっけなぁ。 『琉斗さんのバカッ！』 バカだな、確かに。 回した鍵はカチャッと虚ろに響いて。 苛立ちはなかなか静まらなかった。  |