 モザイク・カルテット−1 「ひどいんだもん」
すれちがいが続いたのは忙しかっただけ。 いつだって逢いたいと思ってるのに。 現代で季節に敏感なのは、自然よりも女学生かもしれない。 キャンバスのファッションはすっかり、茶と赤とベージュが基調だ。 その中を歩く美琴の装いも秋。 焦げ茶のジャケットに赤茶のフレアスカート。 柔らかくウエーブする髪はバレッタで後ろにまとめられている。 その眉はしかし、やや厳しい。 授業も実習もとにかく無茶苦茶詰まっている。 そこにバイトを加えると、空いている時間を探すのが難しい。 元々厳しい学科だけれど、３年になると尚更シビアだった。 ため息をつく暇も惜しんで、授業へ向かったというのに。 「美琴。休講だよ。」 「嘘。さっき掲示板見たけど、なかったよ。」 「突然らしいよ。教室の黒板にあった。」 「もう・・・・やだっ。」 美琴にしては珍しい反応だった。友達がのぞき込んで来るくらい。 「・・・荒れてるね。らしくもない。」 理学療法学科はあまり人数が多くないため、学生同士のつきあいは密だ。 むろん相性はある。 美琴と曽根田 志緒（そねだ しお）は、最初からウマがあった。 さっぱりしてて明るく行動派の志緒。 思ってることはストレートに口にする。良くも悪くも。 「彼とケンカしたんだ？」 こんな風に。 隠せないのは美琴の性格だが。 「図星ね。いつもラブラブのくせして、どうした？」 「ラブラブじゃないもん。」 「ほらほら、落ち着いて。 どうせ休講なんだから、聞いたげる。カフェテリアいこっか。」 「あ、あたし課題が。」 「そんなんじゃ無理。」 言い切られてしまった。あたってるだけに反論できない。 そのまま拉致られた美琴は、テーブルにホットラテで軟禁される。 できて３，４年というカフェテリアは、構内でも新しく広々してる。 女子学生が気に入る雰囲気だ。 その隅を陣取って、志緒は美琴に尋問体勢をとった。 「で？」 「・・・でって・・・」 「売ったのはどっち？」 「へ？」 「ケンカよ、ケンカ。」 「・・・あたしは売ってない。」 「どうかなぁ。美琴って鈍いから、無意識に地雷踏みまくってたりとか。」 「志緒〜。」 どっちの味方なの、とでも言いたげな美琴の視線。 「だから説明しなさいって。」 諦めたように、美琴が話し出した。 「・・・ずっと忙しかったでしょ。試験があって、後期始まってからも。」 ぼそぼそと話し出す。ホットラテを包み込んで。 「ま、予想はしてたけどね。」 「うん。そうなんだけど、あっちも忙しいのよね。」 「高校の先生だもんね。そりゃ。」 すでに志緒には、彼のことも筒抜けだ。 「２学期は行事が多いから。」 「体育祭とか文化祭とか。懐かしいねぇ。」 今ひとつ呑気な志緒の反応だが、美琴もさして逆らわない。 「うん。」 「で？」 「あたしの都合にあわせてくれた予定が、３連続でつぶれたの。」 「ほぉ。」 志緒の声音に美琴が情けなさそうな顔になる。 「そんなおもしろそうに聞かないでよ。 ほら物理療法学の実習。レポートが書けなくて。」 「ああ、機器の故障が続いて、実習が二転三転した時？ みんな振り回されたもんね。」 「そう！ しょうがないでしょ？ あたし班長だったし。」 「美琴は人望があるから。」 「・・・人が良すぎるって？」 ほんとにすねてるね、今日は。 美琴に似合わないひねた口調。志緒は笑みをこぼす。 「そういうところがいいんじゃない、あんたは。」 その言葉にパッと顔をあげた。目がまん丸。 「何？ へんなこと言った？」 「・・・ううん。同じ事言われたから。」 「誰に？」 「・・・彼に。」 結局のろけてるんじゃん。志緒の笑みが苦笑に変わる。 「なによ。ケンカしてないじゃない。アホらしい。」 「違う、そのあと。」 「後？」 まだ続きがあるのか。 構え直した志緒は、ブレンドで口を潤す。 「忙しいのはお互い様だから。３度目がつぶれたときも、 しょうがないなって言ってくれたの。で、４度目の約束をして。」 「へえ、優しい。」 ほんと、いつ聞いてもベタ惚れよねぇ、美琴に。 これは志緒の独り言。 「そしたら・・・」 しゃべっているうちに、なんだか罪悪感が湧いてきたらしく。 美琴の口が重くなった。 志緒が先を読む。 「４度目もアウトだったんだ。」 「・・・うん・・。」 うつむいて消え入りそうなほど小さくなった声。 気の毒だけどやっぱり他人事だし。 志緒は笑いをこらえる。声だけは真面目に保って。 「それじゃ彼氏に同情するけど？」 ４度も続けてふられるんじゃね。 「だから、謝ったもん。あたしだって悪いって思ってるし・・・逢いたいし。」 拗ねていても頬を染めた美琴は可愛い。 即許したくなるくらい。見られない彼氏にやっぱり同情。 「なら何でケンカ？」 「それがー。」 開きかけた美琴の口が止まる。 その視線は志緒の後ろへとんでいた。 「よっ。休講はもちっと早めに出して欲しいよな。」 振り返らずともわかる声。志緒の眉がよじれる。 「休講じゃなきゃ遅刻よね、千早（ちはや）。」 「あったりぃ。やばかった。俺ってラッキー？」 「しょうもない・・・そうか、あんたね？ 何やったのよ。」 美琴と顔を見比べて断じた志緒は、そいつをにらみつけた。 二人のテーブルに灰皿とアメリカンを置いて、椅子を引きずってきた男。 木塚 千早（きづか ちはや）。 名前だけは両性風だが、中味は紛れもなく男。しかも有名人だ。 自称「彼女」が多すぎる節操のなさ。なのに成績トップの要領の良さ。 人目を惹かざるを得ないタイプ。不思議と男にも受けはよかった。 美琴と志緒の前に座った彼は、煙草を手にきょとんとした顔。 「何やった・・・って。俺、なんかやった？」 フッと吐き出す煙を志緒が嫌そうに払いのける。 「煙草、やめなさいって何度言わせるの。 医療関係に進もうって奴がヘビースモーカーなんて。 今時しゃれにもなんない。就職潰してるようなもんよ。」 「へー。心配してくれるんだ、志緒は。」 この軽さが身上と知ってはいても、苛立つ。 「何よそれ。」 「そりゃこっちの台詞。俺の煙草は今更でしょ。何怒ってんの？」 聞き返されて逸れた話題を思い出す志緒。 隣で美琴は黙ったまま。 「だから。あんた美琴を困らせるようなことやったでしょ。」 「柚華に？ 何を・・・ひょっとしてこないだの？」 やっぱり。 志緒の顔が苦虫をかみつぶして粉にしそうだ。美琴は困り顔。 「吐きなさい。何やったの！」 その剣幕に千早はなんともこたえない様子。 「ちょっとしたお茶目だよ。 やっとこ実習室が使えるようになったのが、レポート締め切り前日で。 どれだけ遅くなろうとやるっきゃないし。 そしたら柚華が彼氏と約束してたらしくて電話で断ってたんだけど。 なーんか相手がうだうだ言ってるみたいだったから。 お灸すえてやろうと思って。」 「思って？」 じろっと睨むとそれなりの迫力の志緒。 濃い眉と大きな眼に千早がわずかに身を退くが、 表情は不快そうではなくてむしろー。 「ちょっと携帯のそばで囁いただけ。『美琴、愛してるよー』って。」 バシッとカフェテリアに鈍い音が響き渡って。 衆目を集めた志緒の手には、ハリセンならぬ厚さ１センチの資料の束。 さすがに頭抱えてうずくまる千早。 「いってえなー・・。」 「当たり前でしょ！」 苛立たしそうな声は必死で自分を抑えている。 この怒りは美琴のため。そのはずだ。 「あんた、美琴を泣かせる気？」 「あんなんで怒る奴なんてしょうもないって。」 はたかれた頭をまださすりながら、悪びれもしないろくでなし。 「前後の事情も聞かないで、部外者がそんなことしたらこじれるだけよ。」 「し、志緒。もういいから落ち着いて。木塚くん、大丈夫？」 美琴が宥めにかかっている。 「やっぱ柚華は優しいよなぁ。志緒もちょっとは見習って。」 「あんたがあたしを怒らせるんでしょうが、いつもいつも！」 「はいはい、撤収〜。」 腰を上げた千早だが、立ち止まって振り返る。 「柚華、ほんとにまずいの？ なんなら彼氏に説明しようか？」 「えっ？ う、ううん。気にしないで。」 「そう？ ま、いざとなったら俺に乗り換えて。」 「千早ーっ！ さっさと消えろーっ！」 「おー、こわっ。」 笑いながら出て行く千早と、まだにらみ付けている志緒。 二人を見比べながら美琴はため息になる。 どっちもいい友達なんだけど。なんでああ、強情というか鈍感というか。 お陰で美琴のキャンパスライフはにぎやかなことこの上ない。 常に。 「志緒ってば。」 「・・・ごめん。あたしが怒ったってカエルの面なのよね、あいつには。」 「志緒が謝ることもないのに。」 「うー、一応幼なじみとして。怒らせちゃったんでしょ？」 そう、この二人は幼なじみ。 古い付き合いなのに逢うたびに揉めるので、とばっちりも多いが。 「ううん。あたしも怒ってるの。」 美琴の抑えた声からにじみ出てくる感情。 「確かに木塚くんはきっかけになっちゃったけど。 琉斗さんもひどいんだもん。なんでああ、信用ないのかな。」 納まったはずの怒りが再燃してきたらしい。 この娘も彼と結構長いくせに、まだまだ倦怠期には遠いわねぇ。 何かと耳にする彼氏との話を思い出しながら、 自分の怒りを封じた志緒は、再び話を聞くことに専念した。 １コマ２時間の授業の休講。 怒るにしろ、宥めるにしろ、紛らわすにしろ。 時間はたっぷりあるーー。  |