 Lastline11 ふりかえる道 −審判−
「桐辻くん・・・」 突然立ち上がった彼に、美琴も美那子も驚く。 羽矢も同じだ。 「おい、そこのヒステリックに叫んでる女子！」 桐辻は１年女子の一群を指さした。 「おまえら確か、羽矢先生のファンじゃなかったっけ？ それが手のひら返すわけ？ 度量がないね〜。」 指さされた数名が詰まる。 「今時ね、アイドルの恋愛だってもっと広い心で受け止められてるよ。 好きな人が幸せになるのは許せないわけ？」 「なっ・・・だって先生と・・・生徒なんて。」 「じゃあさ、先生の相手が生徒じゃなきゃ、祝福してるのか？ 嘘つけ。」 「そ、それは・・。」 「大体、その他大勢でピーチクパーチク言ってただけだろ。 ぶつかる勇気もなかった奴が、ガキの反応するなよな。」 「ひっ、ひどいっ。あたし達は羽矢先生が好きだったからっ。」 「好きだったなら祝福しろよ。」 「なによっ。あなたに何がわかるの？」 「俺だって、柚華先輩好きだったんだ。」 爆弾発言に１年女子は絶句。上がる悲鳴はおそらく桐辻ファン。 美琴の胸が痛む。 桐辻くん−−。 「だからっておまえらと一緒にしないで欲しいね。おれはアタックもしたし、 告白もしたし、ちゃんと本人にしっかり振ってもらったからな。」 桐辻の迫力に何も言えなくなる女子達。 「マジならそこまでやって玉砕しろよ。その上で好きな奴の幸せは認めてやれ。 ジェラシーで相手を突き飛ばすなんてこと、やるんじゃねえよっ。」 「桐辻・・・おまえ・・。」 羽矢がつぶやく。 美琴の眼からはポロポロと涙がこぼれる。 あんな風に言ってもらえる資格が、自分にあるんだろうか。 わらわらと桐辻の周りに集まってきたのは、理科実験部の１年男子達で。 「なんだよ、桐辻！ おまえ、いつのまに抜け駆けしてたんだっ？」 「わっ、おまえら。今はそれどころじゃっ。」 「うるせー、わかってる。あとで覚えてろよ。締めてやるからな！」 「とにかく、俺らは桐辻に賛成！ 羽矢先生には学校にいて欲しい！」 「美琴先輩の幸せを邪魔する奴は勘弁しねえぞーっ！」 その周りに。集まる生徒が増えていく。 「普通の恋愛だもん。いいじゃないの。ちゃんと気持ちが向き合ってるなら。」 「そうだよ！ 羽矢先生、やめちゃっていいの？」 「いなくなっちゃうんだよ？」 沖鳴見が。桜井絵里香が。叫んでいる。 「お、おまえら。静まれ！」 ぐちゃぐちゃになりかけた館内。押し合う生徒。 抑えようとした羽矢の手から、不意にマイクが奪い取られた。 「静かにしろ！ とにかく座れ！」 視線が壇上に集まる。聞き覚えのある声に、美琴も見上げる。 「・・・神岡・・くん？」 予想もしなかった人物が、羽矢の横でマイクを握っていた。 なんで彼が？ 「神岡？」 羽矢も驚く。 ここに神岡が飛び込んでくるなんて。どういう？ 「校長先生が俺たちに望んでるのは、羽矢先生の糾弾じゃない。 その進退を決めることだ。」 渦に巻き込まれようとしていた生徒達が、ハッと足下に気づく。 「先生方は俺たちを信頼してそう言ってくれたんだから。」 感情のまま叫んでいた生徒も気まずそうにうつむき、座っていく。 「たぶん、その前に俺たちがはっきり確認したいことはひとつなんだ。」 生徒が皆座ったところで、神岡は羽矢に向き直った。 「先生。」 「なんだ？」 「柚華のことが・・・好きですか？」 この上なくシンプルな問いに、ためらいもせず羽矢はうなずいた。 「もちろん。」 意識せずとも、微かに浮かんでくる優しい笑みの答えを、 生徒が全員で見届ける。 わかっていたけど。 神岡はそれでも「この野郎」というちょっと悔しげな色をその目に滲ませた。 すると。 「神岡くん！」 ふりかえると美琴がその場で立ち上がっている。今度は視線は美琴に集まる。 「柚華、おまえもだよな。」 問いかけるようで促す優しさ。 「うん、あたしも。」 震えを止めて、できるだけはっきりした声で大きく、笑顔で答えようとする美琴。 「琉斗さんが好きだよ。」 誇るでなく、宣言でもなく。 どちらかといえば自らへの確認。事実を述べただけの穏やかさ。 誰も口を挟まない。 挟めない。 「二人のことに俺たちが言う事なんて何もない。 人を好きになる、その気持ちはみんなわかるはずだろ。誰だって。」 神岡の淡々とした声が、生徒ひとりひとりに染み入るように広がっていく。 「だから、俺たちが決められるのは、 羽矢先生をこれからも自分たちの先生として受け入れるのかどうか、それだけだ。」 神岡に、自ずと集中していく視線。 「柚華を生徒としてじゃなく一人の相手として好きになった。 そういう先生を。自分の先生として受け入れられない奴はそのまま、座ってろ。 羽矢先生に、来年からもこの学校に居て欲しい奴は、ー立ってくれ。」 神岡の言葉に静まりかえった体育館。 沈黙のプレッシャーの中、立ち上がるのは難しい。顔を見合わせる生徒達。 ひとり立ち尽くしている美琴。 胸が痛いほどの動悸に両手を握りしめ眼を瞑ってしまう。 誰も。 立たない？ 駄目なのー？ うつむいて噛みしめる唇が切れそうだ。そう思ったとき。 ざわざわと音が聞こえた。 握りしめた美琴の手に重なる手。 眼を開けると美那子が横で微笑む。その向こうで葛西と吉澤が笑顔を向ける。 振り返れば桐辻が。１年男子達が。 鳴見も。 その手前で桜井絵里香の顔。 それからーそれから。 次から次へと立ち上がる生徒達。美琴の周りで。 もちろん、頑なに座ったままの生徒もいるが。 見ればさっき激昂していた１年女子達が、美琴を見ないようにしてそれでも立っている。 うん。 それでいいから。ありがとう−−ごめんね。 何を謝ってるのかもわからないけど。 壇上の羽矢にすれば、信じられなかった光景。 たったひとりでうつむいていた美琴を囲むように。 ゆっくりと。波立つ生徒達。 それぞれの意志で。一人、又一人と立ち上がる彼ら。彼女ら。 その目はうつむいていたり、横を向いてたり。 でも最後には決まって羽矢へ向けられる視線。声のように集まってくる。 呼んでいる？ ”羽矢先生 ” 羽矢の視界が歪みかけ、ぐっと奥歯をかみしめる。 沸き上がる涙を堪える。 やがて。 再び体育館が静まりかえった時には、ほとんどの生徒が立ち上がっていた。 神岡が振り返る。 「校長先生。これが俺たちの答えです。それでいいでしょうか？」 校長は神岡の問いにしっかりうなずく。 教師達ももはや一言も発しない。神岡がもう一度羽矢に向かう。 「羽矢先生。俺たちは先生にここに、この学校に居て欲しいと思ってます。見えますか？ 全員じゃないけど、少なくとも大方の、これが。俺たちの意志です。」 羽矢は喉にこみ上げる塊を呑み込んだ。その顔に笑み。 瞳が濡れているのは隠しようがなくても。 「−−ありがとう。」 そう言うと壇上から深々と頭を下げた。 期せずして起こったのは拍手と歓声。 「やったーっ。」 「先生っ。」 「羽矢先生ーっ！」 「かっこいいぞーっ！」 一人が壇上へ走り出すと、あとは雪崩を打つように。 「せんせーっ？」 「先生っ！！」 ウェーブのように生徒を駆け抜ける喜び。 羽矢がもみくちゃになっているのを彼方に見ながら。 美琴はしゃがみこみ、泣きじゃくっていた。美那子に肩を抱かれて。 「美琴。よかったね。」 「・・・んっ・・・えっ・・・っく・・とさんっ・・。」 そこに駆けつける理科実験部。 「先輩っ。」 「美琴先輩っ、よかった！」 「柚華先輩〜。」 壇上の羽矢と。 館内後ろの美琴と。 それぞれ囲まれて声をかけられながら。心はお互いに飛んでいた。 夜。やっと帰り着いた家。 夜勤の母には、メールで報告しておいた。心配してるだろうから。 校長は約束通り生徒の意志をそのまま受け入れて、羽矢の処分はなしと決まった。 むろん美琴もだ。 教師達も異論をはさまなかったらしい。 教室へもどったあと、担任がはっきりそう伝えてくれて改めて安心できた。 羽矢の顔が見たかったけれど。 許されたとはいえ、みんながみんな好意的なわけではないし、好奇心は残る。 せっかくの結末を刺激しないように、美琴はまっすぐ帰ってきたのだ。 さんざん泣いたから疲れてもいた。食事をすませて風呂に入って。 やっと人心地ついてから携帯を取り出す。 帰ったかな。 とたんに入る着信。wingの文字。 「琉斗さん？」 「ああ。帰ってるよな。」 「うん。そっちも？」 「部屋だ。さっき帰った。校長とあれこれ話してて。」 「・・・まだ何か？」 「いや。みんなはああいってくれたけど・・・やっぱＰＴＡとかさ、 ほんとにいいのかって気になってな。」 美琴はまた不安になる。 「・・それで？」 「あんなに腹の据わった人だったとは知らなかった。」 声に苦笑と感嘆。 「生徒の意志が全てだってさ。」 「よかった・・。」 あんなに泣いたのに。まだ泣ける。あたしってほんと泣き虫。 こらえようとしても湧いてくる涙。 「馬鹿。又泣いてんのか。」羽矢が呆れている。 「・・・り・・とさんだって・・・泣いて・・たく・・せに・・。」 「俺・・はまあ・・・その。感動してさ。」照れた声。 「あたしだって・・。」 くっと笑って。 「前にさ、おまえが言ってくれたじゃん。簡単にやめるって言うなって。」 「・・ん。」 「ほんとだったな。思いもしなかった。あんなに・・・望んでもらえるなんて。」 「それも・・・琉斗さんが自分で築いてきた道だよ。」 築いてきた道−。 「そう・・なのかな。自分では気づかないで歩いてきたってのに。」 「高村光太郎の詩にあるよね。」 ーー僕の前に道はない 僕の後ろに道はできるーー 有名な詩だ。『道程』−。 「そんな大それたもんじゃない。大体足跡なんて残してもいないつもりだったんだ。 でも。おまえに会ってからの月日って−−すごくはっきりわかる。」 「あたしもだよ。あたしもそう思う。」 「そっか・・・美琴？」 「ん？」 「逢いたいな。」 「・・・うん・・・でも・・。」 「わーってる。さすがに卒業までは自粛するさ。学校で逢えるしな。」 「・・・あとちょっとだね、学校で逢えるのも。」 「ああ。」 羽矢は窓を見る。 「美琴。いい月だぞ。見えるか？」 その言葉に、美琴も窓を開けた。 空に在るのは半月に少し足りない、でも確かに綺麗な月。 それは途切れることのない光を投げて。 二人を。一緒に歩いてきた道を。 鮮やかに照らしていた。 
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