 Lastline9 ふりかえる道 −混乱−
なんでお母さんが−−？ 普段、保護者会ですら滅多に来ない母の姿。しかもこのタイミング。 美琴は呆然としていた。 その目が母の横にいる美那子をとらえる。ニコッと笑った美那子が携帯を振った。 美那子が連絡して？ そう言えば、母は夜勤明けで戻ってる予定だった。 美琴の担任はかろうじて、早苗の顔を覚えていた。体育祭でも逢っていたし。 「柚華の・・・お母さんですね？」 その言葉に教頭がギョッとする。 早苗はツカツカと部屋に入ると、教師達ににこやかに礼を取った。 「柚華美琴の母です。先生方にはいつも、娘が大変お世話になっております。」 「い、いえ。こちらこそ。」 「あ・・・その・・。」狼狽した答えが返る。 「なんで・・・ここに・・？」 つぶやく羽矢に、早苗は微笑んで同じく礼を取った。 「羽矢先生、美琴のためにありがとうございます。」 その言葉に、教頭以下３人がガタッとあわてまくった。 「ゆっ、柚華さ・・ん？ あ、あのっ・・・まさか・・・？ ご存じで・・？」 「何をですか？」 なにしろベテラン看護師としてキャリアを積んでいる早苗。 人との対応に賭けては百戦錬磨。ある意味教師よりも長けているかもしれない。 その隙のない笑顔。 確信犯だよなぁ。思わず横を向いて吹き出すのをこらえる羽矢。 未だボーっとしている美琴。 「い、いえその・・・柚華くんと・・・羽矢先生の・・ですね・・・交際というか・・。」 言葉に詰まってしどろもどろになる教頭。 「ええ。そのことでしたら、ずいぶん前から存じておりますが？」 「・・・はぁ・・？」 「・・・へぇーっ・・」 教師たちのため息とも驚きともつかぬ声は、生徒達からのそれとよく似ていた。 「そ、そうなんですか・・・それはその・・・どういう・・？」 「どうもこうも。普通の男女交際・・って言っちゃ、羽矢先生に申し訳ないでしょうか？」 クスクス笑う早苗に、羽矢はあらぬ方を向き、美琴は真っ赤になってうつむく。 お、お母さんっ！ 何を言い出すのよ、ここでーっ！ さっきまでの悲壮感はすっとんでいる。 「でも、気持ちとしては、ごく真面目におつきあいくださってるようでしたので。」 さらっと言い切る早苗に、二人とも冷や汗ものだ。 「で、ではそれは、たとえば−ですね？ 結婚を前提としたとか、そういうことですか？」 動じぬ早苗の様子に光明を見いだしたように、教頭が続ける。 「あー、そうしたものなら話はまた、別で・・。」 美琴の担任も、すがるべきわらが流れてきたかのようだ。 「えーっ？」 「うそーっっ。」 別の悲鳴は生徒達から。 もっとも、美琴も又心中同じ悲鳴をあげていた。何故って。 母は決して、場を納めるためにごまかしたりしない性格だと知っていたから。 「いいえ。」 案の定だ。バッサリ斬り捨てられた顔つきの教頭に、羽矢まで同情する。 あー、美琴のおふくろさんって・・。 「どちらかというと、そう言うことは私が差し止めさせてもらってます。」 「・・・はい・・？」 途方に暮れて問い返す教頭。 「この子の将来をそう簡単に決められても困りますし。」 「あ、あの・・。」 「今の世で、結婚を前提にすれば真面目につきあってることになるなんて、 そんな安直なお考えをお持ちなわけじゃないですよね？」 鳩に豆鉄砲とはよく言ったもので。 すでに教頭も学年主任も、美琴の担任も。早苗という鉄砲で穴だらけだ。 「娘には娘の将来への夢、目指すものがあります。 幸い運もよかったようで、目指す大学にも合格できました。 先生方には感謝の言葉もありません。 羽矢先生と美琴のことをお話ししたのはかなり以前ですけど、 その時点で私は先生にお願いしたんです。 簡単にこの子の行く末を縛ったりなさらぬように。」 戸口に立っている生徒達は皆、早苗の話を食い入るように聞いている。 美那子もまた、かつて美琴に聞いた早苗の言葉を思い返していた。 ほんと。美琴のお母さんって−−強い。 「幸い、羽矢先生は私の言う意味をくみ取ってくださって。嬉しく思ってます。 却っていろいろ美琴に気を遣わせてしまって、申し訳ないくらい。」 「ゆ・・・柚華さん、つまりその・・・ではふたりについては、 お母さんは全部承知で？」 「ええ。もちろん教師と生徒ってことにつきましては、 まずいかしらとは思ったんですけど。 二人がけじめをつければいいかと。つけておりませんでしたか？」 「い、いや・・けじめじゃなく・・・・噂がですね・・。」 問いつめられているのは教頭の方だ。 「ああ。娘に聞いております。私も気になっておりましたの。 でも羽矢先生は決して、娘に無体を強いてるわけでも、 ありがちですがもてあそんでいる訳でもないですし。」 「ちょっ・・・勘弁してくださいよっ！」 さすがに羽矢が焦ると、早苗が人の悪い笑いを返す。 「娘もまあ、多少うつつを抜かすところもありますけど。」 「おかあさんっっ！！」 今度こそ美琴が悲鳴を上げると、けらけらと笑って。 「でも受験もちゃんとやりとげましたし。 うちは母子家庭で、わたしが仕事をしておりますので、 家事はこの子に任せっぱなしなんですが、手を抜くこともなかったですし。 生活もちゃんとしております。 人様に後ろ指さされることはないと、親としては胸を張って言えますが、 何か問題になりますでしょうか？」 呆然とする教師達と共に、思い出す美琴。 お母さんって昔、弁論大会で優勝したとか言ってたなぁ。 今の仕事でも時々研究発表とか、看護師学会でやってるみたいだし。 場数なのかな、これって。 それともあたしたちへの信頼？ 自信に溢れ堂々としてる母に感嘆の眼。・・・あたしは当分勝てそうにない。 それは羽矢も同じ。 このお袋さんの旦那になれる奴って・・・いるのか？ 眼を白黒させながら、理路整然とした早苗の話を聞いていた教頭以下三人は、 しばらくの間言うべき言葉もなく、考え込んでいたが。 「で・・は・・・お母さんとしては羽矢先生には何も仰ることはないと？」 「今のところは。」 釘を刺すみたいなその言い方がいかにも早苗らしい。羽矢は苦笑する。 「では・・表沙汰とか・・」 恐る恐る口にする教頭に、早苗は首を振る。 「わざわざ娘に辛い思いをさせたい親はおりませんわ。」 「それはそうですが・・。」 言い切る早苗に、教師達がひとまず息をついたのがわかる。 こういう場合学校側がまず恐れるのは、世間体であり評判であり、スキャンダルだ。 特に今回気になっていたのは、相手である美琴の親からの訴えだろう。 だからこそ、早苗は先手を打ったのだ。それは効果があったようだが。 教頭の口調は依然として厳しい。 「・・・お嬢さんはこれまで問題があった生徒ではありませんし、 大学にもきちんと合格されているわけですから、事を大きくしたくはありません。 卒業も目の前です。」 その言葉に、目に見えてホッとしたのは羽矢だった。 隣で見上げて切ない顔になる美琴。 早苗が二人に微笑む。 「ですが、噂がずいぶん広まってしまっています。 我々が気づくのが遅すぎたのですが。見てのとおり。」 集まっている理科実験部の生徒を振り返って。 「知らない生徒はすでに、いないのかもしれません。 こうまで広まっていると学校としては、何もせず知らぬフリはできないんですよ。 たとえお母さんの仰るとおりでも、何らかの対応を考えないわけには。 生徒を守るなら−−教師に処分を。」 美琴の顔色がさっと青ざめ、早苗の眉が寄る。 対して静かに受け止めている羽矢に、教頭が視線を向ける。 「羽矢先生、おわかりですよね？」 「俺は・・・柚華さえちゃんと卒業できるなら構いません。」 「そんなっ！ 駄目ですっ！！」 美琴が立ち上がる。 「柚華、聞きなさい。」担任が抑えようとするが。 「いいえ、聞けません。そんなのっ。」 「待ってください！」 別の声が投げ込まれた。振り返ると葛西が一歩前に出ていた。 「柚華さんに対して不問なら、先生も不問でいいと思います。 でないと逆に、生徒は納得しません。 真剣な気持ちだってことさえ伝わればいいんじゃないですか？」 「君、そんな簡単な。」 「難しく考えればいいってものでもないでしょう？」 吉澤も口を挟む。 「何が言いたいんだ？」教頭の問い。 「俺たちは、羽矢先生にやめて欲しくないんですよ。」 「吉澤・・・。」 羽矢が驚いた顔になった。 「先生が悪いことしたっていうなら、処分も仕方ないと思うけど、 お互い好きになってつきあってるだけでしょ。」 「それが教師と生徒だから、問題なんだ。」 「そんなのおかしいです！」 叫んだのは美那子だ。 「確かにそれが問題ある交際なら処分もあるだろうけど、美琴たちは違いますよね？ 教師と生徒、それだけで駄目なんて言わないでください。」 「美那子・・・。」 美琴の眼が潤む。 「羽矢先生に学校にいて欲しいんです。後輩達のためにも。」 「僕もです。先生の授業はわかりやすくて面白いし、 部活だってなんだかんだ言いながら、ちゃんとやってくれてます。」 「生徒はそんなに馬鹿じゃないですよ。 ちゃんと自分たちに向き合ってくれたかどうかくらい、わかります。」 ３年生の主張に圧倒されていた下級生達だが、さっき言われた言葉を思い出した。 『首になったりしないようにすりゃいいだろ。俺たちでさ。』 わだかまりはあっても、やめて欲しくないと思うなら。 「あ・・・たしもやめて欲しくないですっ。」 「僕も。先生の授業好きだし。」 声を上げ始める１，２年生。早苗がその光景に笑みを浮かべる。 「き、君たちは事の大きさを理解してないんだ！」 「いかにプライベートとはいえ、教師たるものが生徒と交際なんて知れたら。」 「・・・あたしっ」 叫んだのは絵里香だった。 「・・・あたし、その噂聞いたときすごく嫌だったんです、すごく。 美琴先輩も羽矢先生も好きだったけど。 二人ともよく知っていたから、だまされたみたいな気がして・・。」 美琴の顔が悲しげに曇る。 「でも。」 絵里香は続ける。 「わかったんです。あたしはたぶん・・・どちらにも一つの顔を求めてた。 優しい先輩の顔と、すてきな先生の顔。それだけであるわけないんですよね。 あたしだって、親に見せる顔や友達といるときの顔やいろいろあるように。」 美琴と絵里香の視線があった。 「だから、嘘をつかずにちゃんと話してくれた二人を・・・認めたい。」 「あたしも。」 声を合わせたのは鳴見。 「人を好きになるのは悪いことじゃないはずです。」 「そうだよな。普通に好きだけじゃん。」 「羽矢先生っ、やめないでください。」 「僕ら、先生にいて欲しいんですっ。」 生徒達の訴えを羽矢は驚き、半ば唖然として聞いていた。 美琴があれだけ言ってくれても、 正直自分という教師を生徒がそんなに求めてくれるとは思えなかった。 確かにこの１年、充実感は得てきた。 ３年目。 周りにも慣れ、生徒も自分と同じ年に入った連中が３年になり、 下の学年も顔見知りばかり。 授業も創るおもしろさを覚え、手応えを感じてきた。 いろんな意味で教師としての醍醐味を知りつつあった。 だが、それはあくまでも自分一人のものであり、 生徒がどう受け取っているかは気にしてなかったのだ。 おまえたち。 そんな風に俺を−−受け止めてくれていたのか。 子どもだと思っていた彼らの、その率直で優しい心に、熱いものがこみあげる。 自分はたいした教師じゃないとわかっているから、 嬉しさよりも恥ずかしさが先立っても。 教師達はどうするべきか、迷うばかり。 「君たちが先生を思う気持ちはわかるが、しかし・・。」 「どうして駄目なんですか？」 「学校にはけじめが必要なんだ。」 「そんなの詭弁です！」 「そうじゃなくて・・。」 「一体これは何事ですっ！？」 凛とした声がその場を制した。 静まりかえった全員の目は、応接室と校長室をつなぐドアに吸い寄せられた。 そこには。 「校長っ。」 「校長先生、お戻りでしたかっ？」 「教頭先生。この騒ぎはどうしたわけです？」 「そ、それが・・。」 教頭が説明を始めるより早く、校長へ雪崩を打ったのは生徒達だった。 「校長先生っ、羽矢先生を辞めさせないでください！」 「お願いしますっ。」 「校長先生！」 わけもわからず、眼を白黒させる校長。 押しつぶされながら、生徒を抑えようとする教頭達。 「こ、こらっ。落ち着きなさい、君たちっ。」 「おまえたち、やめろっ！」 羽矢があわてて生徒を遮ろうとする。美琴も必死だ。 「みんな、落ち着いて！」 「校長先生。」 再び、思わず姿勢を正したくなるような、ピシッとした声がひびく。 生徒の動きが止まった。 「・・・あなたは？」 「３年７組の柚華美琴の母です。いつも娘がお世話になっております。」 美琴を示した後、鮮やかにお辞儀をする早苗。 「お帰りになられたばかりで申し訳ありませんが、 折り入ってお話とお願いがあります。 これからお時間をいただけますでしょうか？」 「お・・かあさん？」 美琴が焦る。 「教頭先生達と、羽矢先生、できれば娘も一緒に。是非。」 「柚華・・・・？」 早苗の顔をじっとみつめた校長の顔に、何故かフッと笑みが浮かんだ。 早苗が珍しく驚いた顔。 「わかりました。とにかく話を伺わないとどうにもなりません。−−あなたたち。」 生徒に向かって。 「私は今、出先から戻ったばかりで、事の次第を聞かないことには、 あなたたちの訴えも聞くに聞けません。 どうやら羽矢先生に関することのようですけれど。 今から本人にも話してもらいますから、あなた達は待つなり・・・帰るなり。 少なくとも静かにしていてくれますか？」 もっともなことを穏やかに言われてはうなずくしかない。 この学校の自由な校風は校長あってのものであり、彼女は生徒にも愛されている。 日頃は愛嬌と神経質なだけに見える人だが、 だてに校長をやっているわけではなかった。 「わかりました。待ちます。」 葛西が生徒を代表するように答えた。 「ありがとう。じゃ、皆さんはこちらへ。 柚華さんもお母さんも。」 校長は、教頭以下３人と羽矢、早苗と美琴を校長室へと招き入れた。 残された生徒達と、職員室にいた先生方は、ただ黙ってそれを見守っていた。 
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